第二章 王国への士官
第8話 迷子の話
村を出てから四日、トゥユは森の中で迷子になっていた。
何故こうなってしまったか言うと、村から伸びる街道を進んでいたのだが、途中で雨が降って来たので雨宿りをしようと森の木陰で休んでいると、森の中から悲鳴が聞こえてきたのだ。
すぐに茂みを掻き分け、森の中に入って行くと一人の女性が熊に襲われ今にもその爪が女性に向かって振り下ろされそうになっていた。
女性は尻もちを付き震える手で剣を構えているのだが、熊はそんな剣には見向きもせず、二本足で立ち威嚇をし、爪を振り下ろすタイミングを計っていた。
女性が座りながらも剣を突き出すと、熊は振り下ろそうとしていた右手を振るって簡単に剣を弾き飛ばす。唯一熊に対抗できる武器を手放してしまった女性は頭を抱え体を丸くして震えてしまった。
熊が再び右手を大きく掲げ、女性に向かって振り下ろそうとした時、茂みの中からトゥユが飛び出して来た。
このような状態になっているとは思ってなかったトゥユは気軽な感じで熊に近づくと、熊はトゥユを敵とみなし、トゥユに向かって威嚇をしてきた。
「おっきな熊さんだなぁ、友達になれるかな?」
『いや、あの熊は無理だな。気が立っていて話を聞いてくれる雰囲気ではない』
「そっか、ウルルルさんも居るから仲良くなれると思ったのに残念」
そんな会話をしている間に距離を詰めた熊が大きく右手を振り下ろすが、トゥユはこれを軽々と避ける。
──友達になれないとしても殺しちゃうのは可哀想だよね。
そう考えたトゥユは戦斧の石突で熊を小突いて注意を向けつつ、森の奥に誘い込むように移動していく。
女性からかなり離れたのを感じたトゥユは熊の攻撃を避けると同時に茂みに潜り込み、熊からその姿を隠した。
雨が降っているせいか鼻が利かない熊は完全にトゥユの姿を見失ってしまい、何度か辺りを見回した後、森の奥へ消えて行った。
茂みから立ち上がったトゥユは何とか熊を殺すことなく逃げる事に成功したのだが、辺りは全く見た事もない所だった。
森の中どちらに向かって歩けばいいか分からないトゥユはどうするか考える。
──ウルルルさんを呼んだら来てくれるかな? うーん、ちょっと難しそうだよね。かと言って無暗に歩き回っても余計迷子になるだけだし……困ったな。
『荷物も全てウルルルさんが持っておるしな。一日程度ではどうという事もないが、何日もとなると問題だな』
ウトゥスと会話をしていたトゥユは人が側に来ている事に全く気が付かなかった。
茂みから現れた二人はトゥユを見つけると咄嗟に剣を構え、一人がトゥユに向かって叫ぶ。
「貴様、誰だ? こんな所で何をしている?」
「私はトゥユ。この先に有る砦に行こうとしていたんだけど迷ちゃって困ってたんだ。お兄さんたちは行き方知ってる?」
素直に迷子になっている事を伝えたのだが、二人が顔を見合わせた後、行き成りトゥユに向かって切りかかって来た。
「そうか貴様、王国兵の者か! 覚悟しろ!!」
確かに王国兵に志願しに行く途中だが、まだ王国兵ではないので濡れ衣だと思いつつ、仮面を顔に着けて二人の相手をする。
左右に分かれて挟撃して来る所を体を捻り避けると同時に石突で一人の兵士の脇腹を殴打し動きを止める。まだ動ける方の男に攻撃を集中させ、男の頭に戦斧を叩きつけ、鉄兜を割ると同時に血と脳漿をぶちまけさせる。
その様子を見た男は痛む脇腹を抑えつつ森の奥に向かって逃げ出した。
「折角、お仲間が戦ってたのに置いて逃げちゃうなんて駄目だなぁ」
少し気の抜けたような感想を漏らすと、戦斧を逃げる男に向かって投擲する。
刺先が見事に背中に当たり心臓を貫いて目の前にあった木に串刺しになる。
何度か手足を動かした後、動かなくなった男に近寄り、戦斧を男から引き抜くと「ズサリ」という音と共に男が崩れ落ちた。
「王国兵を狙って襲って来たって事は帝国兵の人だったのかな?」
『どうだろうな。場所的にはここに帝国兵が居るとは思わんが、もしかしたらここまで攻めて来たのかも知れんな』
いつの間にか止んでいた雨のせいで森全体が湿気でムッとする所に血の匂いが混じり不快さが増す。
またも茂みの方から「ガサッ」と音がしたのでそちらの方に向いて警戒すると、ウルルルさんが茂みの中から姿を現した。
湿気でトゥユの匂いが判り易くなったのか、鼻を引く付かせている。
「ウルルルさん、会えてよかったよー」
ウルルルさんに近づくとウルルルさんは再会を喜ぶように嬉しそうに顔を擦り付けて来る。ふと、視線をウルルルさんの背に向けるとそこには熊に襲われていた女性が乗っていた。
女性はウルルルさんから降りてこちらに向かって歩いてくると、腰を折り頭を垂れた。
「助けてくれてありがとう。私は王国軍イヴァン=ズーヒャーの副官、ソフィア=エリクソンだ。革命軍に追われこの森に逃げ込んだ所、熊に襲われてしまって……、危ない所だった」
「へぇー、じゃあ、この人たちは帝国兵じゃなくて革命軍の兵なんだ」
トゥユが二人の革命軍の兵に視線を向けると、ソフィアは瞠若してトゥユの方を見る。
「こ、これは……、君が一人で?」
「ん? そうだよ。よく分からないけど、急に襲って来るんだもん。びっくりしちゃったよ」
あっけらかんと答えるトゥユにソフィアは面食らってしまった。こんな小さい子供が大人二人を倒すなんて信じられない。何かの間違いかと思いもう一度聞いてみるが、
「ソフィアさんもしつこいなぁ。そんなに私が倒したって信じられないなら手合わせしても良いよ」
そう言うと戦斧をソフィアに向けて構えるが、ソフィアは慌てて両手を振って誤解を解こうとする。
「いや、君の事を疑っている訳ではないのだ。ただ、こんな小さな少女が二人も倒してしまったのが信じられなくて……」
「アハハハッ、ソフィアさんて面白いね。そう言えば副官をしてるって言ってたけど、それってどんな事するの?」
構えていた戦斧を下ろし、一頻り笑った後、トゥユはソフィアの言った副官と言うのが気になった。
ソフィアは何とか怒りが収まったと思い、安堵の表情を浮かべる。
「副官とは隊長を補佐する役目だ。隊長だけでは事務処理などで手が回らなくなってしまう事があるのでそう言った事を補佐したり、時には作戦の立案や、その指揮を行う事もある役職だな」
「へぇー、じゃあ、ソフィアさんって頭が良いんだ。だったら私の副官になってよ」
トゥユの突然の申し出にソフィアは困惑してしまう。
「えっ、いやっ、申し訳ないのだが、私は君の事を知らない。何処の部隊に所属しているんだ?」
「アハハハッ、私はまだどこにも所属していないよ。これから砦に行って王国軍に入れて貰うんだ」
士官でもない、ましてや王国兵でもない人物に副官になってくれと言われても困ってしまい、ソフィアは微笑を浮かべる。
「申し訳ないが、副官は隊長の補佐をする役割だ。君のように一兵卒の、ましてや王国の兵でもない人間の副官になる事はできない」
本来なら怒鳴りつけても良い所だが、助けてもらった恩もあるため、丁重に断りを入れる。
「大丈夫だよ、私強いからすぐに隊長になるし問題ないって」
そもそも勝手に誰かの副官になれる訳ではなく、千人長以上の任命によって誰の副官になるか決定されるのでフィアに決定権などないのだが、期待させても悪いのでちゃんと断っておく事にする。
「すまない、勝手に誰かの副官になる事はできないんだ」
辺りを見ると陽が沈みかけているせいか暗くなり始めている。これ以上森を歩き回るのは危険だと判断し、先ほど来る時に少し開けた場所が有った事を思い出した。
「その話はまた後にして、来る時開けた場所が有ったのでそこで野営をしないか?」
話を後回しにされたことにトゥユは頬を膨らますが、辺りの暗さを考えると仕方がないと思い従う。
「そうだ、私の自己紹介がまだだったね。私はトゥユ。トゥユ=ルペーズ。将来の貴方の上官よ」
薄い胸を張ってそう言い張って来るトゥユを「はいはい、よろしくね」と相手にせずソフィアは開けた場所に向かって歩き始めた。
トゥユは地面を蹴っていじけるが、すぐにソフィアの後に付いて行った。
トゥユは開けた場所に出ると焚火の準備をする。
雨が降っていたので石で土台を作り、その上に大きめの薪の側面を戦斧で落として中心部だけで薪に火を起こす。
森は既に暗くなっており、焚火の綾なす妖光が辺りを照らし森の不気味さがさらに増す。
トゥユが干し肉を少し焙るとソフィアに渡す。残りの食料が心許ないが将来の副官のため、トゥユは喜んで分け与えた。
「所でトゥユはどうしてこの森に居たのだ?」
すぐに食べ終わってしまった干し肉の味を口に残しながらソフィアは気になってた事を質問する。
「それは、雨が降ってきたら雨宿りしてたら、森の中から悲鳴が聞こえてきたの。森の中に入ってみるとソフィアさんが熊に襲われてたんだよ」
「なるほど、私は運が良かったのだな。熊に襲われた時はもう駄目だと思ったのだが、今生きていられるのはトゥユちゃんのお陰だ」
改めてソフィアはトゥユに礼を言い頭を下げる。だが、トゥユは険しい顔で森を見つめている。
「何か来る」
慌ててソフィアは頭を上げ、トゥユの見ている方を見ると、暗闇の中から炎がこちらに近づいて来るのが見えた。
藪を抜け、開けた場所に出てきたのは革命軍の兵士たちだった。
「こんな所に居やがったのか王国の犬が! 手間取らせて貰った分可愛がった後、殺してやる!」
トゥユは仮面を着けるとウルルルさんにソフィアを頼むと言い、焚火の前に出る。
ウルルルさんにマントの襟を噛まれ、森の方に連れていかれるソフィアが何か言っているがトゥユは目を向ける事もしなかった。
──ソフィアさんが居ると守りながらになっちゃうから、あっちで大人しくして貰った方が戦い易いんだよね。
『確かに。あの娘が居ても我の食事の邪魔なだけじゃな』
革命軍は話しかけてきた男と、松明を持つ男が二人、後は剣を構え既に臨戦態勢に入っている男が四人の計七人。剣を持った男が二人ずつ左右に分かれジリジリと距離を詰めて来る。
剣がもう少しで届くと言いう距離になった時、四人が同時にトゥユに向かって襲ってきた。トゥユは後ろに大きくジャンプして避けると焚火を超えて着地する。
ちょうど男たちとの間に焚火を挟むような形になり、そこでトゥユは良い事を思いついた。
「それっ!」
トゥユは戦斧を上手く使い、焚火を金魚掬いの要領で掬い上げ、男たちに向かって投げつけたのだ。
いきなり降ってきた炎に男たちはパニック状態になり、自分の服に付いた炎を消すために地面に転がったり、走り回ったりしている。
そんな所を逃すトゥユではなく、確実に男たちを殺せるように戦斧を振るい、四人を瞬時に葬り去ってしまった。
「ほう、貴様なかなかやるな。見たところ王国兵ではなさそうだが、良かったら革命軍に入らないか?」
トゥユの戦いぶりを見て、革命軍の男がスカウトして来る。
「残念だけど、私はこれから王国軍に入りに行くからお断りするわ。それに女性を口説くのならもっと雰囲気の有る所じゃないとその顔じゃあ女性は落ちないわよ」
嘲笑しスカウトを断るとトゥユは男に向かって真っすぐ走っていく。
「えいっ!」
男の前で戦斧の握りを逆手に持ち替えると男の目の前に戦斧を挿し、走高跳の要領で男の頭を飛び越す。
「何だと!?」
男が驚愕の声を上げるが、トゥユは地面に着地するや否や戦斧を横薙ぎにすると松明を持っていた男二人を切り伏せた。
声を上げた後、男は前方に飛びのいたおかげで難を逃がれる事ができたが瞬時に二人を失ってしまう。
悔しさを顔に表した男は前方に飛びのいた勢いで立ち上がり、そのまま走り始めた。焚火の火が付いた薪を一つ拾うとソフィアの方に走って行く。
火をウルルルさんに近づけて脅すと、火に驚いたウルルルさんはソフィアを放して森の奥に消えてしまった。解放されたソフィアを男が後ろに回り火のついた薪を捨て、剣を首に突きつけて拘束する。
「そこを動くなよ、動くとこいつの首を刎ねるからな!」
ソフィアを人質に取ったことで男は勝利を確信し、ソフィアの後ろで哄笑する。
「武器を捨てろ! 早くするんだ!!」
ソフィアを人質に取れられている以上、抵抗する事はできず、トゥユは戦斧を自分の前に放り投げる。
自分の失態でトゥユが窮地に陥ってしまった事にソフィアは血が出る程唇を噛み後悔する。
「トゥユ、私の事は気にするな! 武器を拾って此奴を討て!!」
トゥユに攻撃をしてくれと懇願するが、首元にあった剣を押し付けられ、それ以上は話す事を許されなかった。
「両手を頭の後ろで組んで両膝を地面に付けろ」
言われた通りトゥユが従うと、男はソフィアに剣を突きつけたままトゥユの目の前まで来る。
爪先をトゥユの腹に突き刺した後、下を向いたトゥユを思いっきり蹴り上げた。仰向けに倒れたトゥユを見て男は哄笑を続ける。
トゥユの姿を見たソフィアは顔を背けてしまう。
「フハハハッ、大層な口を利くからどんな物かと思えばこの程度か」
人質を取っているせいで強気になる男にトゥユは倒れたまま笑い始めた。
「アハハハッ、何だ、やっつけなきゃいけないのは帝国兵だけじゃなかったんだ。革命軍ってのも潰しちゃわないといけないのか。あぁ、教えてくれてありがとう、糞ったれの兵士さん」
仰向けのまま煽ってくるトゥユに男の顔がみるみる変わっていき、男の目に怒りの色が差す。
ソフィアを突き飛ばし、行動を阻む物がなくなった男は、倒れているトゥユに剣を突き刺す……はずだった。男はトゥユを飛び越え地面に倒れていた。
何が起こったか分からない男は慌ててトゥユの方を向くと、そこには一頭の馬が隣に立っていた。ウルルルさんは火を見て森の中に逃げ込んだ後、大きく迂回をして戻ってきた所、男に向かって体当たりをして弾き飛ばしたのだ。
立ち上がってウルルルさんを優しく撫でるトゥユが戦斧を拾い男の前に来る。
「止めてくれ! 俺が悪かった! 命……」
命乞いを全て聞く前にトゥユは大上段に構えた戦斧を男に振り下ろした。
戦斧自体の重さも加わった一撃は男の頭を潰すだけでは終わらず、体を真っ二つにし、男を血と内臓の海に沈めた。
足元に作った血の海を眺めた後、トゥユは仮面を頭に着け直しソフィアの方に歩いく。倒れているソフィアに笑顔と共に手を差し出すとソフィアはその手を取って立ち上がった。
「ありがとう。トゥユの方は大丈夫だったか?」
「アハハハッ、大丈夫だよ。ウルルルさんが助けてくれたしね」
ウルルルさんの顔を撫でてやると、ウルルルさんは気持ちよさそうに目を細めて喜んでいる。
ソフィアはその様子に安心し、一度息を吐くとおもむろ左膝を立て右膝を地面につけ、首を垂れる。ソフィアの周りにはトゥユから出ている黒い靄のような物が覆っていた。
「二度も助けて貰ったばかりか私の不注意でトゥユにまで迷惑をかけてしまった。この恩を返すためなら私は身を粉にして貴方のために尽くそう」
トゥユにしてみればそこまでの事ではないのだが、そう言ってくるソフィアを無碍に扱うわけにはいかないので、
「分かった。これからのソフィアの働き方に期待する」
ソフィアの両肩に手を置いて満面の笑みを浮かべるトゥユを見て、ソフィアは流れそうになる涙を堪え立ち上がった。
「そう言えばいつの間にかお互い呼び捨てになっているな」
そう言ったソフィアの顔は凛々しく自分が仕える主を得たような顔をしていた。
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