第2話 仮面の話
黒焦げた物から出た少女は自分の体に起こった変化に驚いている。
──少し動くだけで痛みが走っていたのに今は体を動かしても痛みを感じない。こんなに自由に体を動かせるなんて何時以来かな? でも、どうして……もしかしてあの薬を飲んだから?
自分の体の変化に戸惑っている少女に話しかける声があった。
『ようやく目を覚ましたか、我の声を聴きし者よ。我はお主の様な者を待って居った。これより我はお主と共にある』
脳内に直接聞こえるその声は仮面から聞こえる物だと直感的に分かった。
「あなたはもしかしてウトゥス? あなたがずっと私に話しかけてきていたの?」
仮面を着けたまま仮面に話しかけると言うのも変な感じがしたが、今はそのまま続ける。
『そうじゃ。我はお主より名を授けられたウトゥス。お主が我の声を正気のまま聞くことができる事になったのでこうして話すことができたと言う訳だ。これからよろしく頼むぞトゥユ』
トゥユと呼ばれた少女は仮面を外し、両手で高々と掲げる。その顔は今で離ればなれになっていた友達と再会できたかの様な嬉しさで満ちた笑顔で仮面を見つめていた。
「そうなんだ、ウトゥスは話すことができたんだ。ごめんね、今まで気づいてあげられなくて」
『何、気にする事はない。我の声が聞こえた者はトゥユが初めてだ。他の者で我の声に反応した者はおらん』
「じゃあ、ウトゥスも独りぼっちだったんだね。私も独りぼっちだったからお互い気が合うね」
ウトゥスと会話をすることができる事を知ったトゥユは嬉しくなって小躍りを始める。それは今まで少し動かすだけで痛みが走っていた体を自由に動かせる喜びも含まれている。
「そう言えば、私はどうして体が痛くなくなったんだろう……? しかも、黒かった体がいつの間にか元の色に戻っているし。ウトゥスは何か知っている?」
『それは我にもわからん。あの薬と言われた物が何やら関係しているのかもしれんが、その薬もどんな物だったのか見当もつかん』
「そっか、残念」と小さく呟いた後、トゥユは気持ちを切り替える。分からない物はこれ以上考えても分からないのだ。
だが、変化はそれだけではなかった。それはトゥユを覆っている黒い靄の様な物だった。
「何か私から黒い靄の様な物が見えるんだけど、これって何だろう?」
『さあね、考えても分からんものは仕方がないんじゃない?』
急に変わったウトゥスの口調と声色に疑問を覚えながらも、今持っているトゥユの情報ではこれ以上考えても分かる事がないと思い考えるのを止める。
トゥユが次に何をしようか考えていると、トゥユを覆っていた黒い靄はトゥユの体に入る様に消えて行った。
体の中に入ってしまった事により、何か体に影響があるのかと思い、腕を回したり、ジャンプしたりしてみるが、どこかに異常があるとは思えなかった。
分からない事ばかりで、頭がパンクしてしまいそうなトゥユは、一旦考えるのを止めウトゥスの方に話を振る。
「これからどうししようか? ウトゥスは何かやりたい事とかある?」
『我か? 我はトゥユと一緒に居られればそれで良いが、久しぶりにちゃんとした食事をしたいな』
──仮面が食事? どうやって食べ物を食べるのだろう……。目の前にお肉とか置いたら食べてくれるのかな?
『そんな事をしても我は食すことはできん。我の食事は血と魂だ。なので人を殺す時に我を顔に付けてくれれば我が勝手に食事をする』
心に思っただけで会話が成立できる事に驚いた。それならわざわざ声に出す事もないが何か寂しいのでウトゥスと話す時はこれからも声を出して話す事にする。
「そっか、じゃあ、ウトゥスのために一杯殺さなきゃいけないね。私もあの薬を飲ませた人たちは殺すって決めてるんだ」
そんな物騒なことを言うトゥユが浮かべる笑顔は、これから貰った玩具で遊ぼうとする子供の笑顔と同じ物だった。
小さい頃はこの犯罪者しかいない集落でも綺麗な心で育ち、人を殺すなどとは決して口にする事はなかったのだが、野盗に襲われ、友達を傷つけられた恨みはトゥユの性格まで変えてしまった。
『しかしトゥユよ、あの者達を殺すにしても何処にいるのか知っておるのか?』
「それが問題なんだよね。どこの誰かも分からないから探しようがないし……、そうだ! 軍隊に入るってのはどう? 軍に入れば一杯殺せるからウトゥスの食事もできるよ。それにあの薬の男が敵に居れば殺せばいいし、味方に居れば殺した後逃げちゃえばいいしね」
『おぉ、それは良い案だな。確か今はヴィカンデル王国とトルガロフ帝国が諍いをしているはずで軍に入れば幾らでも食事ができるな』
ウトゥスは沢山食事ができる事に喜び、トゥユの意見に同意する。
『しかし、トゥユよ、ヴィカンデル王国とトルガロフ帝国のどちらに就くつもりだ?』
「アハハハッ。そんなの私にも分かんないよ。分かんないからこの集落を出たらどこか村か街を探そうと思うの。そこで聞いた所に入ればいいかな」
あっけらかんと行き当たりばったりで行動することを宣言し、トゥユは辺りをキョロキョロと見回した。不思議に思ったウトゥスがトゥユに何をしているのか尋ねる。
「どうした? 何か探し物でもあるのか?」
「えっとねぇ。武器を探しているんだよ。手ぶらで集落を出て襲われたら軍に入る前に死んじゃうからね」
辺りを見渡した所、家に刺さって放置された剣を一振り見つけた。野盗が忘れて行ったのか村人が野盗を撃退しようとして使っていたのかは分からないが、ともかく剣を一振り手に入れる筝ができた。
トゥユが剣を家の壁から抜き、何度か素振りをするが、どうもしっくり来なくて首を捻っている。
『トゥユよ、武器は使った事があるのか? そんな振り方では人を殺すのは難しいぞ』
家の壁に立て掛けられたウトゥスはトゥユが素振りをする様子を見て、そんな感想を述べた。
「武器は使った事ないけど、何とかなるかなって思って。でも、剣は駄目だね、どうやら私には向いてないみたい」
そうは言っても他に武器になりそうな物は辺りには見当たらなかったので、仕方なく剣を持って行く事にする。武器を持ったトゥユはウトゥスを頭の左側面に着けようとして一つ疑問に思った。
「そう言えばウトゥスって紐とかが付いてないんだけど、どうやって私の顔に付いていたの?」
『それは我の意思で着いていただけだ。我が引っ付こうとすれば引っ付くし、離れようとすれば離れられる』
トゥユはよく理解できなかったが、ウトゥスの意思で引っ付いたり離れたりできると言う事だけは分かった。
『トゥユよ、何処へ行くのだ?』
「ん? あぁ、次の村か街までどれぐらい掛かるか分からないから、携帯食と水を用意しようと思ってね」
トゥユが立ち止まったのはトゥユの生まれた家だった。
扉は壊され、家の外からでも家の中が荒らされているのが分かる。家に一歩足を踏み入れると、鼻を突くような鉄臭い臭いがして顔を顰める。
それでも我慢をして何か持って行ける食べ物がないか探していると、隣の部屋で両親の死体を見つけた。
集落から誰の声もしない事で諦めてはいたのだが、実際両親の死体を見ると、本当に死んでしまったんだと実感できる。
──お父さんの方が傷が酷いのはお母さんを守ろうとしたからかな? お母さんは逃げようとした所を殺されちゃったんだね。でも、私の両親ってこんな顔していたんだ。
トゥユが黒化病を発症してから見た事のなかった両親の顔はトゥユの覚えている顔とは違っていた。
それもそのはず、両親の顔には恐怖がありありと浮かんでおり、とても平穏な日常に浮かべる顔とは似ても似つかない物となっていたのだ。
『両親の死とはかなり堪える……と聞いた事があるが、大丈夫か? トゥユ』
「アハハハッ。何それ。でも大丈夫だよ。泣き叫んだりするかと思ったんだけど、思いの外何も感じなかったな。二年も物置小屋でぞんざいな扱いをされていれば仕方ないよね」
壊れてしまったトゥユの心に両親の死は何の感情も齎す事はなかった。死体が転がっているのはこの世界ではそれ程珍しい物ではなく、両親の死体もトゥユの中ではその中の一つでしかないのだ。
トゥユは再び食料探しを再開する。 家の隅まで探したが、干し肉を数個見つけただけで、他には目ぼしい物はなかった。
自分の家だけでは食料が心許ないので、集落にある家を全て回ると、何とか数日分の食料と、水筒の代わりになる様な容器を三個見つける事ができた。
水筒に水を汲むため、井戸のある所まで戻ると、そこには生きている人が居ないはずなのに一人の男が何かを探している様だった。
その男はトゥユの姿を見付けると驚いたように声を張った
「娘、何故貴様生きている? ……ん? その剣、俺の剣じゃねえか返しやがれ!」
トゥユの姿を見付けた男はトゥユに向かって両手を広げ向かって来る。
トゥユは持っていた剣を握り直し、男に向かって剣を振るうが、バランスを崩してしまい、男を切り付ける事ができなかった。剣など今まで使った事がないのだ。上手く扱えなくて当然だ。
「なんだ? そんな剣の扱いで帝国の兵である俺様に向かって来ようだなんて馬鹿にしてるのか?」
帝国の兵であると素性をばらした男はトゥユが真面に剣を扱えないと見ると、急に態度が落ち着き、トゥユを舐める様に見始める。
「少女ってのは俺様の趣味じゃねえんだが、他に女もいないしな。お前で我慢してやるよ」
トゥユは今年で十六になるのだが、黒化病の影響で成長が止まっていたのと、元々成長が遅かったせいで身長が百四十ぐらいしかなく、男には少女に見えたのだ。
「あなた失礼ね。私はもう十六になるんだから立派なレディーよ」
「そうかい。じゃあ、最後に男を知ってから死にな」
男は今度はフェイントを使いながらトゥユに向かって向かって来る。
ビシュッ!!
トゥユが振るう剣は鋭く、風を斬る音を立てるのだが、男はこれを軽々と腰をかがめて避け、懐に侵入してきてしまった。
トゥユの腰の辺りにタックルを決めた男はトゥユを押し倒し、そのまま馬乗りになるとトゥユが持っている剣を腕ごと押さえつけ、剣を持っていない方の手を足で押さえて身動きが取れないようにする。
「はっ、他愛もない。所詮は女だな。女なら精々俺様を楽しませてみな」
男はベルトに手を掛けるとズボンを下げ始めた。
しかし、トゥユは全く焦ってはいなかった。何故ならここまではトゥユの予想通りの展開だったからだ。
「ごめんなさい……」
トゥユが謝った事に男は更に興奮する。
「そうだ! それだよ! 俺様の心を揺さぶる事が言えるじゃねえか」
涎を垂らし下卑た笑みを浮かべる男だが、その笑みが最後の笑みとなった。
ザシュッ!!
台所で野菜を切るような音が響くと男の頭に剣が突き刺さった。
何が起きたか理解できない男は「はっ?」と間抜けな声を最後にトゥユに覆いかぶさった。
「やっぱり人を殺すのに謝る必要はないわね。無駄なことしちゃった」
『あぁ、久しぶりの食事はやはり旨いな。だが、トゥユよ、次からは我を顔に着けてから人を殺してくれ』
男の頭から噴き出る血がウトゥスを汚すのだが、その血はすぐに吸収されてしまい、ウトゥスにはやはり汚れが残る事はなかった。
「ごめんね。急だったからウトゥスの事すっかり忘れちゃってた。今度から気を付けるね」
トゥユはウトゥスにちゃんと食事をさせられなかった事を後悔するが、次からは失敗しない様に心に誓った。
「それにしてもこの人弱かったね。遠くから当てられないんだから近づかせてあげたらあっという間だったよ」
トゥユ大したことではないように話すが、大人の男性に上から押さえつけられている腕を動かせる少女などそうそうはいない。
『トゥユの腕を抑えていた事で油断したのだろう。全く馬鹿な男だ』
トゥユは男を跳ね除けると雨に濡れた土がドロドロになって背中に付いており、早く服を着替えたくなった。
それにしても以前のトゥユなら男の手を跳ね除けて剣を突き刺すなんて力はなかったはずだが、いつの間にこんな力が付いたのか不思議だった。
「これもあの薬の影響なのかな? それともこの男の人の力が単に弱かっただけかな?」
『一応、兵士と言っていたわけだから男の力が弱いって事はないと思うがな』
押さえつけられていた手を見ると男の手形が付いており、男もかなりの力を込めて押さえつけていたのが分かる。
だがトゥユは押さえつけられていてもそれ程の力を感じておらず、何時でも押し退けるのが可能だと思っていた。
『そう言えば、さっき男が帝国の兵と言っておったな』
「そうだね。これでどちらの軍に入るのか決まったね。私は王国の軍に入るよ」
トゥユは再び自宅に戻ると箪笥の中から綺麗な服を取り出し、着替えながら王国軍に入る決心をする。
その表情は目的が決まったためか晴ればれしており、外に出ると先ほどまで降っていた雨も上がり、西の空には沈んでいくオレンジ色の太陽が見えた。
「思ったより時間が掛かったね。太陽が沈んじゃうと森の中は真っ暗になるから出発は明日にした方がよさそうだね」
『急ぐ旅でもあるまいし、余裕をもって出発すればよかろう』
最後になるかもしれない夜はやはり慣れ親しんだ家で寝るのが良いだろうと思い、物置小屋に向かって歩き出した。
ベット代わりの藁に腰を下ろすと、頭に着けていたウトゥスを外して、今までと同じように壁に立て掛ける。
静かに目を閉じるが、なかなか寝付くことができない。そんな時はいつもと同じ様にウトゥスに語り掛ける。
「ウトゥス。私はおかしくなっちゃったのかな? さっき初めて人を殺したんだけど、何とも思わなかった……。それどころかお腹の下の方が熱くなって興奮していたと思う。剣を抜いた時に噴き出した血や恐怖に歪んだ顔を見ると……、もう、ね」
『我はトゥユの全てを知っている訳ではない。だが、あの時のトゥユは我と出会ってから一番楽しそうであった。ならそれで良いのではないか?』
「そうだよね。私には殺さなきゃいけない相手が居るんだもんね。同じ殺すなら楽しいって思って殺した方が良いよね」
壊れてしまったトゥユの心は、もう、元に戻る事はないだろう。
しかし、この争いの絶えない世界を生きるならそれは決して悪い事ではなかった。いや、僥倖に巡り合ったと言っても良いかもしれない。
何故なら人を殺して壊れてしまうのなら、最初から壊れていた方が生き残る可能性があるからだ。
ウトゥスと話をしている内にトゥユはいつの間にか眠っていた。ウトゥスはその様子を見つめると聞こえていないのが分かって声を掛けた。
『トゥユよ、何があろうが我は其方の味方だ。魂に誓い、其方と共に戦い、共に生きよう。其方が死んでしまうその時まで……』
夜が明けてトゥユが目を覚ますと、隙間から朝日が差し込んできていた。
今までなら痛みで目が覚めていたのだが、痛くもなく目が覚める感覚が戻って来た事にトゥユは昨日の事が夢でなかったと確信できた。
藁の布団から飛び起き、外に出ると雲一つない快晴だった。
「ウトゥス、見て見て凄くいい天気だよ。出発の日がこんなに良い天気だと何か良い事がありそうだよね」
『そうだな。これはトゥユの未来を暗示しているのかもしれんな』
トゥユの前向きな考えにウトゥスは同調して答えた。
「それじゃあ、行こうか。どんな街が在るのかな、私違う街に行った事ないから今から楽しみだよ」
トゥユは用意していた革袋を持ち、昔聞いたことの有る街の方に向かって歩き出した。その歩みは軽快な物で今のトゥユの心を表している様だった。
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