竜を統べる御子 Ⅱ

 話を持ちかけてきた政府機関がそもそも御子の関係者で、囮捜査だったか?

 いや、それならば至竜を殺すわけがない。だが、この対応速度はそうでもなければ信じられないものだ。


 ――何を考えている。今はそんなこと、どうでもいい!


 あれらには勝てるはずもないのだ。今すぐに逃げなければならない。

 焦燥極まったまま駆け出す。


 当てはないが、少なくとも御子と逆方向に逃げるべきだ。そうすればまだ短刀使いを囮に逃げ切れるかもしれない。

 そんなことを思って必死に駆けていたところ、荒れた石畳に足を引っかけて転倒した。


「かかっ。いきなり何すっ転んでやがる。酔っぱらっているのか?」

「いやぁ、寝ぼけて悪夢でも見たんだろ」


 遺跡の残骸に腰かけた男たちが酒をあおって下品な笑いを散らす。

 馬鹿にされているが冗談ではない。本当に愚かなのはそちらだと心で毒づき、すぐに立ち上がった。


 この遺跡は様々な施設に草木が根を張り、低い位置には湧き出た水が溜まって美しくも退廃的な雰囲気を作り上げた場所だ。

 原種が人間の空想で誕生するように、こうした廃墟や遺跡、洞窟といった地形もこの世界では発生することがある。そこを盗賊が根城にしているとでも言えばいいだろう。

 ここにいるのはどいつもこいつも渡りになり切れなかった半端者たちだ。


「こんなはずじゃなかった。俺は……、俺はっ……!」


 渡りとして索敵能力を買われて一時は活躍した。

 だが、調子に乗り過ぎたのだ。

 手に負えない獲物に手を出し、一党は壊滅。自分だけが生き残ったが、ゲン担ぎも重要視する渡り仲間には受け入れられず、賊に落ちぶれるしか道がなくなってしまった。


 しかしやってみるとどうだ。一時は欲望に忠実なこの生き方はなんて心地いいのだろうと思ったものだ。

 渡りとして生きるなら、中程度の実力でも武器の摩耗や渡航費に頭を悩ませ続けなければいけない。

 一方、この生き方なら戦えない里人や自分より弱い元同業者を食い物にすればいいだけ。幻想種に比べれば反撃もかわいいものだし、食い物も女も手に入る。


 けれども、ふとした拍子に夢は覚めるものだ。

 ある程度月日が経って生活が安定すると、不安がもたげた。

 人を困らせれば困らせるほど上級の渡りに討伐依頼が出される可能性は高まるし、そうでなくともまともな集落ではないので野生の幻想種に襲われる恐れもある。


 そんな不安に一度火が灯れば消えることはない。

 怪しむことを忘れて短刀使いの唆しに乗ってしまったのも、どうかしていた。


「そうだ。近くには鉱山遺跡も出現していたはずだ! そこに逃げ込めば、竜や索敵からは逃れられる……!」


 索敵法はその手法が多岐に渡るが、広範囲をカバーするものはほぼソナーと同様の仕組みだ。多少の障害物ならなんとかできても坑道の構造まで対応できない。

 そこに巣くう幻想種の強さにもよるが、逃げるならばそれしかないだろう。


 そう。御子が生かして捕まえても里の連中は容赦なく死罪にしてくる。生き残りたくばそれしか道がないのだ。


「やるしか、ないっ……!」


 決意するとすぐさま方向転換して駆けた。

 今に廃墟群が途切れ、原生林になる。森に入れば遮蔽物のおかげで索敵精度が少しは下がることだろう。あと百メートルもない。まだ詰みではないはずだ。


 ――それが愚かな足掻きと気付かされたのは直後のことだった。

 肌に圧を感じさせるほど濃密な魔力が、あらかじめ垂らされた石油に火が灯るように地面を走った。この廃墟群をぐるりと取り囲む魔力は、質と量ともに尋常ではない。


 続けて森から聞こえていたはずの音がしんと静まり返る。

 異変を察知した人間は静まり返り、反対に使い魔や騎獣などは半狂乱して嘶いた。

 その音が妙に反響することからもわかる。この廃墟群はさっきの魔力によって結界に閉ざされたのだろう。


 それは把握できる。けれども、現実を理解するのは脳が拒否していた。


「……なんなんだ、これは!?」


 眼前どころか、周囲と天蓋を覆った障壁は薄壁ではなかった。

 対人戦闘で渾身の一撃を防ごうと全力で一枚壁を作ったのなら理解できる。

 これは持続的に、拠点防衛並みの規模の障壁が瞬時に形成されたのだ。複数人が大規模術式の準備をした上で力を注いでいるならともかく、一個人が振るった力とはにわかに信じがたい。


 いや、真実と捉える他はないのだろう。

 人間と幻想種の魔力の差くらいは判別できる。

 竜と共にやってきた人間はただ一人であり、この障壁はその人間の魔力で形作られたものだ。


 震える手で懐を探り、短刀の魔具を取り出した。

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