地下室の楽器

坂根貴行

第1話

 僕の両親が結婚二十周年記念ということで、週末に一泊二日の旅行に出かけた。僕は一人で留守番することになった。

「じゃ、しっかりな」と父が太い腕で僕の頭をなでた。腕には痛々しい傷跡がある。仕事中に怪我をしたのだ。

「おなかがすいたら冷蔵庫にいろいろ入ってるから食べるのよ」と母が適当な感じで言った。


「いってらっしゃい」

 僕は玄関で見送った。ドアが閉じられたあとも両親の華やいだ声が聞こえた。


 僕は高校一年生。スクールカーストの二軍だ。一軍に行きたいとは思わないが、三軍には落ちたくない。二軍をキープできればいい。くだらないな。お父さんの高校時代にはスクールカーストなんてなかったらしい。もちろんリーダー的な生徒と大人しい生徒はいたけれど、今のような身分の違いはなかった。

 なんでこんなことになったのか。きっと格差社会が学校に持ち込まれたんだな、と僕は思っている。


 週末はいつも暇だった。

 僕は友達もいるが、学校の外ではほとんど付き合いがない。

 それで仕方がなくゲームに興じるが、決して面白いわけではない。ただの時間つぶしだ。


 僕の家は一戸建てで、駅から離れているが、結構広い。地下室もある。壁には楽器屋みたいにいろいろなギターが並んでいる。父はギターをやっていて、ときどき地下室で弾いている。もっとも最近は腕の怪我のせいで全然弾いていないけれど。

 一方の僕は音楽にはまるで興味がなかった。


 いいのかな、こんなことで。

 と思わないでもない。

 高校生ならもっと友達と遊んだり、彼女と付き合ったり、何かに熱中したりしたほうがいいんじゃないか。

 テレビ画面の巨大な大魔王を倒したところで、僕はゲームの電源を切った。

 まもなく深夜二時だった。

 僕は歯を磨いた。そのとき、室内にピンポーンと音が響いた。


 歯ブラシの動きが止まる。

 こんな夜中に誰だ。泥棒? そんなわけがない。泥棒がベルを鳴らして「盗みに来ました」とでも言うのか。

 もしかして両親が予定変更して帰って来たのかな。

 僕は恐る恐るインターホンの画面を覗いた。何も映っていない。ただのイタズラかと思って離れようとしたとき、再びピンポーンと鳴った。

 だが誰もいない。


 カメラに自分が入らないように身を低くしてボタンを押しているのかもしれない。だったら、僕が無視しても、鳴り続けるだろうな。

「誰?」

 僕はインターホンに通話ボタンを押して言った。

「……せ」

 小さくざわついたような声が聞こえた。低い男の声だ。

「……えせ」

 何かを言っている。僕は不安を蹴飛ばすように、

「誰だよ、おい」と声を強めた。


 すると、声が消えた。ベルの音もしなくなった。

 心臓が鳴っている。

 僕は玄関の戸締りを再確認し、口の中をゆすぐと二階の自室に上がろうとした。

 そのとき、地下から物音がした。

  

 僕の足は階段の途中でとまった。

 さっきの声の奴が勝手に侵入したのか。でもどうやって? 外からは地下室に入れないはずなのに。

 聞き間違いだろうか。

 僕は地下への階段を少しだけ下りてみる。音はやはり聞こえた。弦の弾く音がする。

 僕は立ち止ったまま動揺している。

 戦うか。包丁か何かで。もし僕が勝ったら、学校でヒーロー扱いされるだろうな。でもリスクが高すぎる。


 僕が居間の家電へ走り警察に電話しようとしたとき、ギターのフレーズが聞こえてきた。アンプにつなげたらしく太い音量だった。それは父のお気に入りのフレーズだった。

 ということは、地下室の泥棒は、父?

 なぜ結婚記念旅行の途中で帰ってきたのかはわからないが、とにかくこの音とか弾き方は父のものだ。


 僕は地下室への階段を下りた。ギターのうねりがいよいよ大きくなっていく。

 ドアを開けると、黒いマントとローブに身を包んだ男がギターを抱きしめるように弾いてきた。


「誰?」

 僕はあっけに取られて言った。

 その男は父ではなかった。まったく知らない人だ。

 髪を立てて、とがった目つきで、年は二十歳くらい。

「誰だよ!」

 僕は声を荒立てた。不思議と恐怖はなかった。それよりも、知らない男が父の大好きな場所に勝手に入り、父のギターを勝手にかき鳴らしていることに腹が立った。


 しかし演奏は巧みだった。僕は苛立ちを覚えつつも演奏に聞き入るという不可思議な状態に陥っていた。

 そのギターは真っ赤な木目の美しいボディで、確かGibson SGという名器だ。ギターには興味がないけれど、その赤色は印象が強くて、名前も覚えていた。

 黒ずくめの男と真っ赤なギターは美しい対照をなしていた。


 演奏がひと段落して、指が止まる。

 男はギターを抱きしめて、

「このギター、返してもらうぜ」と低い声で言ったが、目は僕を見ていない。

「誰だよ」僕が言った。

「俺はギターだ」

「は?」

「ギターつってんだろ」

 黒マントが激しく揺れた。男が消えた。

 立ち尽くす僕に、ギターのリズムと音色とフレーズがいつまでも心に響いていた。


 次の日の午後、両親が帰ってきた。楽しかったな、よかったな、と彼らは僕の前で旅の思い出を語った。

「で、留守中変わりはなかったよな?」と父が僕に聞いてきた。

 僕は少し沈黙した後、

「ギター泥棒が来たよ」と言った。どうせ信じてくれないだろうけれど。

「なんだそりゃ」

「真夜中に、黒いマントの男が来たんだ」

「変な嘘言って、この子は」母がしかめっつらをした。

 しかし父は真剣な顔をしていた。

「盗んだギターの名前は?」

「Gibson SG」と僕。

 

 父は過去を語った。

 父が若いころ、バンド仲間のギタリストが死んだ。いつも黒ずくめの衣装だったらしい。その人の愛用していたギターGibson SGを、父は遺品として受け取り、大切に保管していた。

「そうか。俺しばらくギター弾いてなかったからな……。弾かないなら返せってか。ははは」

 父が懐かしそうに笑っている。

 僕はあのギターを聞いたとき、父が弾いていると思った。ということは父は若い時、そのギタリストから演奏方法を学んだのだ。昔から今までずっと続いている二人のギターの絆。

 僕は息子としてなんとなく悔しかった。このままじゃダメになると思った。


 月曜日、学校の帰りに街に寄ることにした。

「どこ行くの?」と二軍の友達。

「楽器屋。ギターを買おうと思って」

 買うのはGibson SG。他のギターではいけないと思った。

「ギター? おまえできるのかよ」

「できなくてもやるんだ」僕はきっぱりと言った。父に教えてもらいたい。邪険にされても、教えを請いたい。僕の指はゲームのコントローラーを握るためにあるんじゃない。

「まさか学園祭でギターで目立って一軍入りを目論んでるんじゃないだろうな」

「くだらないこと言うな」

 僕は強い口調で彼らを見た。

「自分のために弾くんだ。スクールカーストなんて相手にしてられないんだ」

 僕は群れから離れて、一人でギターに向かって歩き出した。


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地下室の楽器 坂根貴行 @zuojia

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