トレジャーハンター・トリスメギストス

碧美安紗奈

フランス、革命、追跡

 猛り狂った群集が、奔流となって押し寄せていた。


 十八世紀末。革命の火は瞬く間にフランス全土に広がり、かつての国王ルイ十六世は、もはや忠誠心を失った衛兵の手で革命広場の断頭台に寝かされている。およそ二万のパリ市民は彼を囲むように流れていたが、逆行する二つの影があった。

 広場の内側から外側へ駆ける白いローブと、十歩ほど遅れてこれを追う兵士である。


 ローブの人物は頭部全体を白いヴェールで覆い、尋常でなく裾の長い白いマントで満身を包み、タペストリーのようにたなびかせていた。

 疾走による風圧で身体に張り付いた衣装は、女のものとわかるしなやかな肢体を浮かび上がらせている。それでいて、華奢な体躯からは想像もできぬ異常な勢いで、付近を埋め尽くす群集を掻き分けていくのだ。


 追跡者たる男も、格好こそ他の兵士と変わらぬ制服に翼の刺繍を足したくらいだが、行動は異質だった。一般衛兵は民衆の統制や国王の行く末に集中しているのに、彼だけが獲物を追尾しているのだ。もっとも、周りを気遣いなるべく人とぶつからないように走るがために、彼とマントの女との間合いは開くばかりだった。


 人波を抜けて一足早く通りに出た女は、さらに速度を増した。風を切る音がして、走者の像は歪んでさえいる。

 追跡者が人込みから這い出る頃には、女は道を渡った先に流れるセーヌ川へと肉迫していた。追っ手が懐から、蛇の意匠が施されたフリントロック式の二丁拳銃を抜き、彼女を狙う。


「希望を返してもらう!」


 広場からの太鼓の音と大衆のどよめきが、彼の宣言と発砲音を打ち消した。ギロチン台の刃が、国王の首へと振り下ろされたのだ。


 両手の銃口から発射された二発の弾丸が、命中することはなかった。

 空しく宙を切った閃光が、川の彼方に消失する。


 白マントは跳んだのだ。

 銃弾の軌道より遥かに高く。そこらの建物など越えるくらいに舞い上がった彼女は、大きな川を一跨ぎにしたのである。対岸に着地して、すぐさま二度目の跳躍をした女が今度はブルボン宮殿の屋根上に降りた。


 元の川岸に残された孤高の衛兵は、苦々しげに女を見据えることしかできなかった。撃とうが川を渡ろうが、間に合わない差をつけられたと知っていたからだ。

 三角屋根の頂点に釣り合い人形のように直立した女は、衛兵に自慢するように袖口からひとつの輝石を露出させ、天に翳して呟いた。


「希望はこれから宿るのよ」


 それは青い光りを放つ、拳でようやく包めるほどのダイヤモンドだった。

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