♮192:荒涼ですけど(あるいは、最果てに/巡り来たのは/自分自身)


「……四、五歳くらいのことだったと記憶しています。いや、鮮明に記憶に残ってはいるんですけどね……何と言うか、無理矢理にぼやかされているというか……自分でもよくは理解できていないんですが」


 相変わらず、僕の思考も言葉も定まらないままだ。ここがどういう場なのか、今がどういう時かもおぼろげに感じている。透明度の高い水底で、呼吸がどうなっているかも意に介せず、ただそこに座っている。


「……父親に……父親だった男に、一か月に一回か二回、連れられて行っていたのが、美術館でした……何で……だったんでしょうかね。ちっちゃい子連れていくんだったら、遊園地とか、動物園とか、いろいろあったでしょうに」


 問いかけ気味の言葉を紡ぎ出しているものの、僕は僕に言い聞かせるように、ただ喋り続けている。現に、連れられていった上野にはパンダのいるとことかあったのに。それはほんと、何でだったんだろう。


 辺りの音も、光景も、僕はもう認識が及ばなくなっているようだ。あやふやな、泥酔した時みたいに、知覚できる世界が狭まっている。意識はもう支離滅裂だ。その中から、何かを、求める何かを引きずり出すことが出来るのだろうか。


「……お前さんを、見たかったんじゃねえか? お前さんを聞いて、感じていたかったんじゃねえか? 静謐な空間で」


 答えなんて求めてはいなかったけど、そんな風にぽんと投げかけられた言葉。その主の顔だけが、僕の、ぼわぼわとしてきた視界の中で一点、クリアになって見えた。


 確かに。絵がいくつも掛けられた天井の高い空間には、僕と父親のふたり以外にももちろん人はいただろうけど、僕の記憶には残っていない。


 わたしと、おとーさんだけの世界。


 一緒にいられないことは、もう分かっていた。分かっていたけれど、分かりたくはなかった。


 そんな、どうともならない、どうしようもないことを幼い自分の中に抱え込んだまま、私は成長していった。自分の中に「世界」を築き上げながら。


 その結果が、今の僕か。僕、なのだろうか。父親を自分と融合させながら。


 多重人格。意味合いは違うかもだけれど、多重になってしまった人格の成れの果て、それが今の自分なのだろうか。アンバランスでアンビバレンツな、この僕なのだろうか。


「……少年、お前さんは、お前さんさ」


 頭だけでなく、身体全体にも熱を持ち始め、こわばってるんだか、歪んでいるんだかわからないような滅裂な顔面を晒しているだろう僕に、またも軽やかな言葉が投げかけられてくる。


「自分の過去を、境遇を、無理矢理、理にこじつけようとするこたぁ、ねえのさ。自分は自分。そんな風に吹っ切って、そいつらをもDEPとして昇華しちまえば、魂は浄化される。その結果、残ったのが何であろうと、それを自分として自覚することが出来れば、ダメをダメとして受け入れられた、真のダメ人間になれるのさ」


 面と向かったアオナギの言葉の、98%くらいしか理解は及ばなかったけど、僕の胸の中に、清浄な風がばひょう、と吹き抜けた気がしたわけであって。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る