♮190:糢糊ですけど(あるいは、ヴァリュー/オブジ/天性相互)
着手開始。と共に、今まで肌に感じるほどに響いていた歓声やらが、急に収まっていくのを、それも肌で感じ取っている。
「……あらためて、久しぶりだな、少年」
肘掛椅子型の「対局席」にふんぞり返った姿勢で、取り出しくわえたよれた煙草に火まで入れているアオナギは、自然な感じでそう僕にのたまってくるのだけれど。何気ない会話だけど、その手元の「着手ボタン」は押されているようだ。
<アオナギ:2m57s ― ムロト:3m00s>
僕の手元のディスプレイには、そのような表示が為されている。言葉を発するのには、一律「持ち時間」を使用する必要があるみたいだ。たとえそれがDEPではなかろうと。
しかし、そんなのんびりとした挨拶みたいなのをカマしてくるなんて、野郎……それは余裕のあらわれなのか?
「……初めて会った時を思い出すぜぇ」
無言の僕を置いて、目の前の長い顎の男は紫煙をくゆらせながら、そうにやりと汚い笑みを投げかけてくるけど。ぽん、と投げかけられるかのような普通の言葉。でもそれがやけにこちらの心に響いてくるのは、いつもながらだ。
「初めて会った時」。たぶん、5年くらい遡るんじゃあないか? 都内の私立文系に通う大学生だった僕は、キャンパスの中の鬱蒼とした雑木林のただなかで、この男と出逢ったのだっけ。
―『一番』を目指さないか。
記憶が、フラッシュバックというにはほど遠いほどの濁りを醸した断片となって僕の脳内を舞い始める。
―ずっと逃げてきたはずだ。現実から。現実の自分から。
あの時の言葉は、僕の全てを見通しての言葉だったのだろうか。それとも普遍気味なことを言って煙に巻こうとでも考えていたのだろうか。
―ここらで一発、スカンと生きてみようぜ。輝くんだよ、瞬間に。そんな吹っ切れ方、こっから先いったらどんどん難しくなるぜえ。
……僕はあれから、スカンと生きていってるのだろうか。瞬間、瞬間に、輝きを放つことが出来ていると言い切れるような、生き方を、していけているのだろうか。
服飾に目覚め、その道を目指し、自分と向き合い、最愛な
他人へ誇れるほどじゃあないかも知れない。でも、自分に誇れるくらいの人生を、歩んでいる、いや歩み出していってるとは、言えないだろうか。
「……」
そして僕は思い至る。そのすべてが、あの時の「ダメ」によってもたらされたものであるということに。
「少年、お前さんにはまだ、自分の血液に溶け込んでいるかのような『昇華』しきれてねえ過去がある。だろ?」
こちらの目を覗き込んでくる目は、いつも通りの濁ったそれだったのだけれど。言ってることは何か、僕より真実を見透かしているかのような、そんな光を湛えていたわけで。
いつものハッタリであると、言えなくはない。でも、この男の底はやっぱり見えない。でも。それでも僕もここでただ気圧されているだけでは駄目だ。こっちからも、放つしかない。
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