#105:回遊で候(あるいは、ビスマルティック/ジオーシャン/待命)


 一瞬、その眩さに顔を背けてしまった私であったが、次第に目が慣れてくる。巨大な光の正方形は、緑色に滲むように染まっていった。綺麗に張られた芝生のような……いや、これは人工のものだ。「人工芝」。知識としてはあったが、実物を見るのは初めてだ。さしゅ、というような独特の感触を靴底で感じる。今の私はしゃっちょこばったスーツに足元は磨き上げられた革靴で固めていたりしていて、歩様がぎこちないことこの上ない。


 そんなおっかなびっくり歩く私の、思わず力の入って張ってしまった右肘に、覆うような熱が感じられる。


「……気を張れ、ジローネット。もはや戦いは始まっているがゆえ」


 そう私にだけ届くような低い声で呟いたのは、他ならぬ私のパートナー、姫様だったわけであり。前を向いたまま、目つきは落ち着いてはいるが、鋭さも保っている。


 平常心。つまりはそういうことなのであろう。姫様もそのことを既に認識されてらっしゃる。私だけが浮ついた心持ちでどうする。こんな初っ端で後手を引くわけにはいかぬ。


 私がエスコートするような態勢になってはいるが、その実、リードされているのは私であるわけで。姫様の御手が掴んだ私の肘関節あたりにほのかにぬくもりを感じる。そこから冷たくも温かいアフラが体に送り込まれてくる感覚を受け、私はひとつ呼吸も深くすると、周囲の状況へ目を配る。


 人の流れに押されるようにして、我らはその「外」へとまろび出たのだが。そこは吹き抜け、見上げるほどの巨大な空間。本当に室内か? そこにはひしめかんばかりの人々が上げる、歓声や悲鳴や怒声やらが、いくつものうねる音の奔流となって、こちらを嬲り叩いてきているが。


 これは……見たことがある。蹴球サッカーと呼ばれし競技スポーツをする場だ。しかし実際相対してみると、この広さはなまなかでは無い。長方形のフィールドをぐるりと観客席が取り囲む構造で、ざっと見て数千ほどの人間がゆるゆると動き回っているのが見て取れた。これが全て「対局者」と、そういうわけか。


 <対局相手と同意が取れたのなら!! 左手首の『IDバングル』をお互いに向かい合わせて『認証』させてくださいまし!! 認証が完了いたしましたら、右手に嵌めた『ハンズ=オブ=グロービー』を『所定位置』にセットしまして、いざ対局開始!! 簡単ですね!!>


 うわんわんというように反響しながら、先ほどのアナウンスの女性の声が聞こえる。説明はひと通り受けていたので、迷うことは無い。


 後は対局相手を選定するだけだ。人の群れは、お互いがお互いを探るかのように値踏みするかのように視線を飛ばし合いながら、周遊する魚群が如きにこの緑色の「フィールド」を揺蕩っている。


 いつの間にか、ギナオア殿とガンフ殿の姿を見失ってしまっていたようだ。いや、人の波に揉まれるようにして、私と姫様も流れに沿って歩くことを余儀なくされているが。こんな状態で「選定」……じっくりと見定めている暇など無さそうである。


 それにそうこうしている内にも、そこかしこで「対局」は始まっては終わっており、勝ち抜ける者たち、脱落する者たちが、秒単位で決まっていっている。


 対局相手の選択肢が狭まること、それはどう見積もっても「不利」と思われる。であればすぐにでも相手を確定したいところだが……傍らの姫様は黙したまま、ゆっくりと歩を進めるばかりであるが。


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