♮098:追憶ですけど(あるいは、挨拶代わりの/俺とお前と/以下二名)


「……」


 やっぱり、あの時のヒトだ。


 僕の方を向いた意志の強そうなその瞳が、何か自分の中の記憶を探るような色を帯びたから。ラグジュアリックな空間に現れたその人は、周りの空気をも巻き込むようにして、強力な力場のようなものを放っているような気がした。


 明るい茶色の髪は、ワイルドなウルフカットと言えばいいのか、毛先はあっちこっちに動きを付けられていて、制止しているのに躍動感がハンパない。切れ長の二重。すっと通った鼻筋。そこだけ艶めかしさを醸す厚めの蠱惑的な唇。小作りに整った顔は、顎がシャープ過ぎるところを除いては、ひと目、引き込まれるような妖しさ、のようなものを内包している。


 藍色のコートの下から覗くのは、かっちりとした黒スーツ……それもカジノのディーラーが着ていそうな、スマートなものだ。黒いチョーカーのような細い蝶ネクタイが、首元できちりと服装全体を締め上げるようにしていて、いやが応にも目を引く。余分な装飾は無い、あくまで黒子に徹するといった佇まい。それなのにそれらひとつひとつの「衣装」たちは、僕より背の高い細身の体に、しなやかに沿うようにして存在感を放っている。


 一分の隙も無い、とはこのことか。シンプルイズベスト。曲がりなりにも服飾に関わるようになってからこっち、実は手垢のついていた斬新さ、とか、奇をてらうだけに終始した美しさの欠片もないデザイン、とかに思考が嵌まりかけていた僕は、その厳然たる「美」に相対して、しばしの真顔になってしまうが、その後で。


僕は何だかこみ上げて来るものをうまく咀嚼しきれずに、愛想笑いと卑屈笑いの中間のような表情を浮かべてしまう。


「……アナタってもしかして、いつぞやの『少年』?」


 そんな僕の度し難い横面を蹴り飛ばすかのように、割に低めのハスキーボイスが僕に向けて投げかけられる。はいそうですっ、と即答した僕は、覚えてくれていたことに感激し、その旨を意気込んで述べようとするが、


「……だが今は敵同士。馴れ合うコト……ソレハケシテ敵ワヌコト……」


 言葉の途中から、温度がぎゅろんと低下したのを感じた。一気に氷点下を突破した感じ。それと共に、目の前に迫っていたその流麗な顔から、表情という表情が、顔面筋のひとすじひとすじから失われていくというサマを、この視覚細胞が全力で認知したのを感じ取る。


 人間と、ロボットとの間に横たわる、如何ともしがたく、決して埋められぬ、その峡谷。不気味谷と表現すればいいだろうか、ともかく根源的にこちらの恐怖心を揺さぶって来るその静の迫力に、ひぎぃぃ、ひ、ヒトの培ってきた遺伝子に転写されていない表情をしているよ怖いよぉぉぉぉぉっ、という叫びを、何故か後ろにいた翼とハモりつつ、喉奥から絞り出すほかは無かったわけだけど。


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