♮050:間隙ですけど(あるいは、世界で/切り取られた/風のリズム)


 何にもならない回想が尻すぼみに終わったところで、状況は全く変わらないのだが。


 荒くなった呼吸を整えつつ、追手が迫ってやしないかと路地裏……でもなかった、ビルとビルの隙間の、身体を横にしなければ入れないほどの隙間に挟まりつつ、夜の喧騒をいまだ孕んでやまない、シブヤの街を細く切り取った風景を、顔も真横に向けたまま見張っている。


 幾重にも堆積した鼻を刺すネコの小便臭が、生温かい風と共に足元から湧き上がってきて、思わず白目になりかける僕だが、ほとぼりが冷めるまでここでやり過ごそう、という気持ちしか出て来ないのでそのままでいる。身体が、疲れていた。特に両肩らへんは疼痛が呼吸するごとに波のように寄せては返していたりして、もぉう、限界だ。


 厄介な作業がようやく終わって、これから帰ってサエさんと軽く飲み食いして、それからナニる……あいや寝るつもりだったのに。


 つい先ほどまではしごく当たり前にあったかのように思える平穏無事な日常が、だんだんと薄ぼんやりとした白い歪んだ闇のようなものに覆い隠されていくような、そんな感覚に包まれていく。


 それにしても僕をスカウトしに来た輩たち……いったいあれは? 全員がモノホン全開の歴戦手練のダメマイスター達であることは分かったけど、ならいいじゃん、僕不要じゃんとの疑問が湧く。今の僕なんて、まっとう過ぎて逆に引くレベルの平凡中庸な一般人ですよ? そもそも丸男の一件が無ければ、そう、あれさえ見過ごせていれば……ッ、こんなことにはならなかったはずなのに……ッ!!


 周りの喧騒も水中で聞くような膜がかかったかのようなものに変化し、ぽこぽこ浮かんでくる思考も既にしっちゃか状態にあって、もう何処に焦点合わせをすればいいかも定まらなくなってきていた。そんな熱っぽくも空白な僕の頭に、突如として衝撃が走る。


「よいっ、やっぱそう遠くまでは行ってないと思ったぜ」


 うわあああああっと大声を上げそうになるところを、顔面筋を総動員して何とか、喉からの気色悪い爛れた鳴き声まで落とし込む。すわ追手か、と鼻を擦らないよう細心の注意を払って右方向へと顔を振り向ける僕だったけど、どっこい、その声の主は分かり過ぎるほど分かっていたわけで。


「翼……何でここに」


 真顔でそう問うことくらいしか出来なかった。僕と同じような姿勢でビル間の狭い空隙を縫って接近してきたのは、他ならぬ僕の双子の兄であったわけで。いい感じに日に灼けた傲岸極まりない顔がすぐ間近まで迫っていた。


 何か……こんなに近くで見たのも久しぶりだ、それこそまだちっちゃい子供の時以来だよ。似てるけど、違う顔。近いんだけど、遠かった顔。


 いろいろな物が、僕の心の防波堤を乗り越え流れ込んで来ようとしたけれど、


「遺伝子が……共鳴したのかも知れねえ……お互いが……お互いを呼び合うんだよ、俺らは……」


 遠くを見るような目で、そうのたまい倒す翼。ん気ぃぃぃぃ持ちの悪いことを言うなッ!!


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