#038:推参で候(あるいは、グラント/不穏/クオンタム)


 我々の目の前に停まったのは、巨大な黒いミニバンであった。右ハンドル……というのが少し珍しい。クルマの左側、助手席の窓から通して、運転席の長髪の男の姿が確認された。ちょうどの良きタイミング、と言ったら良いか。ギナオア殿の的確な手配、誠に恐れ入る。


 静かなアイドリングを続ける車体のフロントには円に囲まれたVWのエムブレム。この車種は私も留学時代、学友に乗せてもらったことがあるが、なかなかに魅力的な外観フォルムと堅実な走りをしていて私も良いな、と思ったものだ。値段を聞いて即座に諦めたが。


 いや、左様なことはどうでも良いか。とにかく座りくつろいで移動が可能であるクルマは、疲れ果てた体にとって正に救世主。空港まで1時間もかからないだろうが、その間、少しでも休めるのは非常に有り難い。


 先ほど、荷物ごと大河に呑み込まれかけた私は、当然の如く全身に身に着けた服も、換えとして用意していた服もずぶ浸しにしてしまっていた。晴れ渡り、汗ばむ陽気であったため、風邪などをひく心配は無かったものの、空港など、人の多き所にて濡れ鼠というのも体裁が悪い。


 よって、今の私の出で立ちは、ギナオア殿に貸していただいた黒いよれよれのシャツと、どうすればここまで布地がぐずぐずになるのかが分からないほどの、擦り切れたジーンズを直に身に着け、濡れた服や靴は川べりで拾ったコムピヒスの太い枝に通し、旗竿のように両肩に担いで、乾燥しきった砂地を走りきた風にはためかせてながらの行軍を続けていた。


 この上なく合理的な判断であり、ともすればいくさに赴く勇壮なる兵士の佇まいとも取れる誇らしげな格好に期せずして落ち着いたものの、先を行く姫様は振り向いて一瞥された後は、モク、かようなる情けなきものに情は不要ぞ、と、心配そうに私に近づこうとしてきたモクを制すると、自らの御足ですっすと歩を進めておられた。


 何とか挽回の機を得たいものだが、それには幾ばくかの休息は必須。そんなあさましき考えのまま、天の助けであるクルマに乗り込もうと、枝から服を外す作業へとのろのろと移行する私だったのである。


 が。


 ふと、疑問に思ったのは、その長髪男の他に、後部座席……2列に3席・2席が設えられているそれら全てに、人影が見えたことである。


 我ら一行は、姫様、ガンフ殿、ギナオア殿、モク、そして私の5名。全員が乗り込むとなると、7人乗りのクルマには4名ほど余るが……後ろに搭乗している者たちはこの場で降りるということなのだろうか。


 しかし、ここで降ろされても周りには民家のひとつも見当たらないが……などと、呑気な考えでいた私は、やはりこの旅にうかされていたのかも知れない。警戒すべき局面を、見誤っていた。


「……!!」


 いやな予感が背中辺りを走る。


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