ショートショート「転校生」
棗りかこ
ショートショート「転校生」(1話完結)
「オイオイ!聞いたか?」
大貫(おおぬき)が教室に、息せき切って駆け込んで来た。
「なんだあ?」
「何にも聞いてないよ。」
菜々が、いつものことと、笑いながら答えると、
「冗談じゃないんだよ、ハッチ。」
と、あいつが神妙な面持ちで、菜々を制した。
菜々…から、七。
それから、ハッチ。
いつしか、それが、菜々の通り名になっていた。
最初は、ナナ公と呼ばれていたが、
教室に飛び込んで来たハチに、追い掛けられた時から、
ハチ公とか、ハッチとか、呼ばれるようになり、
今では、誰も、菜々ちゃんと呼ぶ男子はいなかった。
ただ一人を除いては。
菜々は、ハッチと呼ばれてむかつくと、必ず教室のある席を見るようになっていた。
「松山くん…。」
彼だけは、彼女のことを、「村井さん。」と紳士的に呼んでくれる…。
それは、幼心に、ほのかな恋が芽生えるのに十分だった。
「ハッチ。俺が慌ててたのはな。」
大貫が、菜々の意識を元に戻した。
「このクラスの誰かが、転校しちまうって、先生が言ってたんだよ。」
「え~~~~~!!」
何事かと、わらわらと寄って来ていた、クラスメートが、
一斉に、大きな驚きの声を上げた。
「今日、お別れの挨拶があるって。田端先生が。」
「川井先生と話してるのを、聞いたんだ。」
教室中が、そのビッグニュースに騒然となった。
「誰だと、思う?菜々ちゃん。」
まりちゃんが、菜々に聞く。
「さあ…。わかんないよ。」菜々はそう言いながら、
適当に、転校して欲しい男子を思い浮かべた。
沢井…、あいつは、ハチに襲われた私を嗤って、「ナナ公じゃなくて、ハチ公だ!と言ったっけ。
それから、菜々の学校生活は、不愉快さが増したのだ。
アイツこそ、転校すべきだ!
それと…山西。
アイツは、菜々の前で、「イチ、ニイ、サンシ、ゴー、ロク、ナナ、ハッチ。」と、無神経な体操をしてみせた。
アイツも、転校!
死刑ボタンを押すように、彼らを次々と「転校の刑」に処していくと、
気分がスッキリ澄み渡ってくるのを、感じた。
リンゴーン。その時、始業の鐘が鳴って、先生が、
鷹揚に教室の戸を開けて、入って来た。
「みなさ~ん。席について~。」
田端先生は、みんなが、席につくと、悲しそうな顔をして、言った。
「今日は、みなさんに、お知らせがあります。」
クラスメートたちは、皆が皆固唾を呑んで、次の言葉を待った。
「悲しいお知らせですが、クラスメートの一人が、今日転校することになりました…。」
また、教室がざわついた。
「それは、…。」
先生が、一人の生徒の方を向く。
「松山くんです。」
余りものショックに、菜々は、目の前が真っ暗になった。
そんな~~~~~。
「松山くんは、お爺さんの住む四国に転校することになりました。」
今迄、地味だけど、親切だった、松山くん…。
丁寧に、わからない所も、教えてくれた、松山くん…。
菜々は、涙を懸命に堪(こら)えた。
松山くんは、先生に壇上に呼ばれると、
「お爺さんの所にいくことになって、みんなと別れるのが淋しいです。」
と、地味な挨拶をした。
くぅ~~~~、この地味さがいいんだよ。
松山くんって、家で、緑茶をすすってそうだよ。
お爺さんの所ってとこも、実に松山くんらしいよ。
そんな松山くんと、一度は、縁側でお茶してみたかった…。
菜々は、名残惜しさもひとしおだった。
松山くん、ご家族が迎えに来られたから…。
教頭先生が、教室に声を掛けにやってくると、
教室のみんなが、号泣した。
「松山~~~。手紙くれよな。」
「爺ちゃんとこで、元気でな。」
勿論、菜々も号泣した。
「菜々ちゃん、泣いてる…。」
「まりちゃんだって…。」
女子全員も泣いていた。
こうして、松山くんは、遠い四国へ転校していったのだった。
「あたし、もう、松山くん以外のひと、好きになんない。」
菜々は、悲し涙に枕を濡らした。
つぎの日…。
また、大貫が、教室に駆け込んできた。
「また、転校!」
今度は誰?クラスメートは、顔を見合わせた。
「転校するんじゃない、転校してくるんだと!」
「皆さん、今日は、転校生を紹介します。」
先生の声が、響く。
「入りなさい。芹沢くん。」
がらりと、教室の戸が開いた。
綺麗な栗色の髪の男の子が、そこに立っていた。
「芹沢ハルンくんです。みなさん、仲良くしてやってください。」
芹沢ハルン…。
菜々は、一目で魂を奪われるのを、止めることが出来なかった。
「ハルンくんは、ご両親のお仕事の都合で、
この町田市にやって来ました。」
「ご両親は、国際的な、バイオリニストです。」
芹沢みどり、グーフェンタルト夫妻の海外公演の間、日本の祖母の家に住むらしい。
「あの、お屋敷~?」
あこがれの、白亜の家。
菜々は、心の中で、紅茶をハルンと一緒に飲む姿を想像して、幸せな気分になった。
「ハルンくん~。」
菜々は、毎日を、ウキウキと、生きていた。
今日の町田市の空も、晴れていた…。
―完―
ショートショート「転校生」 棗りかこ @natumerikako
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