あの日、壊れたもの~相楽光司朗の追憶
法政のクソッタレ一味の一件から一夜明けた。
目覚めたのは正午近く。
今日は…暇だ。
殺し屋稼業は毎日のように仕事があるわけではない。
だから陽の奴は清掃の仕事、紅月は普通に高校生、流は中学生だから義務教育と普通の若者として日常を過ごす。
相手が警察では太刀打ちできないような異能犯罪者の場合、または一般市民からの復讐、仇討ちの代行などが我々の仕事となる。
平和というものは綺麗事で保てるものではない。
法律頼りで裁いた結果、犯人が逃げ得だったなんてことは多々あった。
今この時代は極悪非道な真似をした輩は毎日怯え隠れるように生きることになるだろう。
俺、相楽光司朗。45。元既婚者。
美人な妻と可愛い娘がいたのは10年前のこと。
幸せだったなぁ。リーマン勤務、安月給だったが、幸せだった。
どんなに上司にどやされようが、成績イマイチだろうが、家に帰れば嫁さんと娘の笑顔、美味い飯、熱い風呂と冷えたビール、温かい布団。
不自由も不幸もなかった。
あの絶望の夜までは。
[追憶]
仕事は残業もなく定時に終わった。
しかし、やたらと風が強く、冷える夜だった。
天気予報によると夕方から雨が降るとのこと。
降水確率90%。暴風、雷雨。
嵐かよ。最悪な帰路だな。
電車は遅れる…か。
ちょっと高くつくがタクシーで帰るか。
乗り場に向かってなんとか一台だけ止まっていたタクシーに乗り込み、視界の悪い大雨の中出発。
車が出て10分も走らぬうちに運悪く渋滞にぶち当たる。
「お客さん、すいませんねぇ。ちょっと時間かかっちゃいますけど…お急ぎですかね?」
タクシーの運ちゃんが尋ねてきたので「はい…まぁそうっすね…」と答えた。
外は土砂降りの雨、傘も壊れる暴風、まだ今は遠いが近づく雷の音。
少し考え、意を決して「すみません、降ります!」と言って1000円札2枚を渡して、お釣は受け取らず車を降りた。
折り畳み式の傘は持っている。
が、この暴風雨の中で使ったところで一瞬のうちに壊れるだろう。
そう考えて傘は使わず濡れながら家まで徒歩で約20~30分。
「まぁ…走るか!」
体力には自信があった。
とはいえ、仕事の後だからキツいといえばキツい。
でもタクシーに乗ったままではあの大渋滞だ。
いつ家に帰れるかわかったものじゃない。
猛ダッシュ、小走り、猛ダッシュ、小走り。
と時々ペースを緩めながら走って18分。
この嵐の中、思ったよりも早く自宅に着いた。
我が家の明かりはついている。
さっきタクシーの中で聴いたラジオのニュースでは停電になっているところもあるとのことだったが、うちも含めてこの周辺はどうやら免れたようだ。
スーツのポケットから鍵を取り出し、ガチャリと開け、びしょびしょに濡れたスーツを玄関で脱ぎながら「ただいま!」と一声。
シーンと静まりかえっている。
「?泉水!優季!いるんだろ!?」
タオルを持ってきてもらおうと靴を脱ぎながらもう一声。
だが返事はない。
不審に思い、濡れたままではあるが顔から滴る水滴を拭いながら玄関を上がり、廊下を歩いてリビングに向かった。
開けっ放しになっているリビングの扉が近づくと、何やら鉄の臭いがする。
「!なんだこれは!?」
妻の泉水、娘の優季の姿は見当たらず、おびただしい量の血液らしきものがこぼれて、いやぶちまけたようになっていた。
困惑しながら何処にも見当たらない妻と娘を必死で探した。
「泉水!優季!!どこだ!?」
あの血は二人のものだ。ちょっとした怪我ですむ量ではない。頭でわかっていても探さずにはいられなかった。
いない。寝室にも、娘の部屋にも、風呂場にも。
二人の姿はどこにもない。
絶望に近いほど言いようのない不安。
まともな思考が働かず、警察に連絡するという判断にはなかなか至らなかった。
それに…その場に倒れてすらいないのは何故だ!?
金や金目のものは一切手をつけず、二人をあんなに出血するほど傷つけ拐った?
生きていると信じたかった。
『殺された』とは思いたくなかった。
ほとんど無いに等しい希望を抱きながら、二人の行方を捜索してもらうべく、ようやく110番した。
数分後、警察が到着した。
「ご連絡いただいたこの家のご主人の相楽光司朗さんですね?私、警視庁捜査一課の高杉と言います。事件現場、家の中を見せていただきますね」
そう言って部屋に入り、リビングを見渡すと高杉警部、捜査員皆が険しい顔で目を合わせた。
「相楽さん、ここ大きな爪のような跡があるのわかります?」
高杉警部がリビングの柱を指して言った。
確かに爪のような跡がある。
慌てていて気づいていなかったが、ひっくり返ったテーブルや椅子、冷蔵庫や棚にも大きな引っ掻き傷のような跡があった。
「なんですか、これは?犯人は一体…人間じゃない。猛獣でも出たって言うんですか!?」
何がなんだかわからず、混乱して高杉警部に詰め寄った。
「いや…信じられないかもしれませんが…恐らく犯人は人間ですよ。普通とは言い難いですがね」
高杉警部の言葉に思わずカッとなり
「当たり前でしょう!こんな真似する奴は普通じゃない!異常者だ!」
俺は感情のまま怒鳴ってしまっていた。
そんな俺に少し躊躇うように話を続けた。
「お話するしかないですな。信じられないかもしれませんが貴方は知っておくべきだと思いますから…話しましょう」
「なんだ?何を話そうとしてるんだ?」
漠然とした嫌な予感がした。
聞けば絶望するしかないような。希望が無くなるような。
しかし、高杉警部の口からは信じられない話の数々が。
先ず、二人は食い殺されたのだと。
よって二人の遺体はもう何処にもないだろうと。
そして、あの爪跡は人間のものだと。
何を言っているのか何一つ理解できなかった。
食われた? 二人の遺体はもう無い?
全て人間の仕業だと。
「そんなことがあってたまるか!人間に食われた?爪跡?バカな!映画じゃないんだ!いいから妻の、娘の捜索をしてくれよ!もし…殺人事件だったとして…遺体もないんじゃあんまりだ!」
俺はこの異常で非日常な中、平常心を保てるはずもなく、警察に対してただただ苛立ち怒鳴っていた。
「混乱するのも無理はないし、信じられないのも当然です。しかし、残念ながら奥さんと娘さんは…もう…何処にもいない。無いのです。」
警部の言葉に思わずキッと睨み付けた俺に更に警部は続けた。
「そして犯人は人間であって人間ではない。悪意と欲望で暴走した異能者です」
警部の話に呆然とした。
まさか警察の人間の口から、それも真剣に都市伝説の話が飛び出すとは思わなかった。
「バカな!確かに呪いの力だとか、異能力だとかここ何年も都市伝説として聞きはするが。本当に在るもんか!」
そう言いながらも状況から考えると「あり得ない」とも言いきれない。
現に獣などの目撃情報もなく、荒らし方も獣のそれとは考えにくい。
そして血液のみ残されていて二人の姿形はない。
警察が調べたところ、侵入経路も娘の部屋の大窓の鍵のところに穴を開け…と普通の強盗の手口そのものだ。
「本当に人間…なのか、犯人は。そして…食われた?俺の妻が。娘が。…そんなことが」
絶望、悲しみ、混乱、困惑。
心も頭もぐちゃぐちゃだ。
現実として受け入れることも出来ず、正常に思考が、感覚が働かない。
外はいつの間にか風も弱まり、小雨に変わっていた。
事件現場である自宅にいるわけにもいかず、近くの公園にフラフラと行き、まだずぶ濡れのベンチに座り込んだ。
それによって尻が濡れる不快感すら今はどうでもいい。
「泉水、優季。もうあの家にはお前たちの笑顔も声も…戻らない…のか」
これが悪い夢で明日になれば、いつもの朝が来る。
叶わぬ願いだ。わかっている。
パンの焼ける匂い、入れたてのコーヒーの香り、明るい笑顔と「おはよう」
眩しく愛しい日常を冷たい風が吹く公園で夢見た夜、全てを失った永久に消えない『あの日』の記憶となって俺の脳裏に焼き付いた。
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