僕はありがとうが言えない。

石島修治

ありがとうって何?

「ねえ、知ってる?」

 喫茶店で無造作にノートパソコンを広げる僕に向って、彼女は言った。

 彼女の表情は明るく、声にもハリがあった。

 何だか今日はテンションが高いようだ。


 僕は、「ん、知らないです」と素っ気なく返す。

 日当たりの良いガラス張りの店内は、春の日差しを受けて白く輝いていた。


 彼女とは付き合って一年くらい経つが、今のようなフィラーと動詞だけを駆使した文章を提示されても、何も伝わるわけがない。だからここでのベストアンサーは、「え、何をです?」と彼女に顔を向けて話を繋ぐのだろうが、どうせ大した話でもないだろうし、ぶっちゃけ興味もなかったから、適当な返事をするのだった。


「ありがとうって、"有る"のが"難しい"から、"有難う"って言うんだよ」

 彼女はそう店員さんから、マグカップとソーサー。チョコレートケーキを受け取ってから、「ありがとうございます」と会釈をした。僕は店員の顔を見ようともせずに、適当な位置にアイスコーヒーを置かせる。


「またわけのわからないことを言いますねえ」

 そうウィンドウズを起動して、タイピングを開始する。

 この頃は知り合いの先輩作家がウェブ小説で人気を出しつつあるから面白くない。

 これはおかしい。何かの罠だ。あとで先輩作家に悪口を言ってやろう。


「最近のシュウくんってさ、あんまりお礼言わなくなったじゃん」

 彼女は深刻そうにしてから、チョコレートケーキに三股のフォークを突き刺した。

「あのね、"感謝する"って人としてすごく大事なことだと思うよ」

 そう小さな口に茶色のケーキを入れた。


「あー、そうなんすか。だって僕は何もしてもらってないからね。感謝する相手がいないんですよ」

 マウスを叩く音が強くなる。

 機嫌が悪いときに、イラつく話をするなよ。


 小説投稿サイトを開いて、先輩作家と自分とを見比べてみる。


 評価ポイント、負け。

 アクセス数、負け。

 ブックマーク、負け。

 感想、レビュー、勝ち。


 あー、くそ。

 何で感想やレビューは多いのに、その他は全敗してるんだよ。

 あー、くそ。

 役に立たないフォロワー共だ。


 ……彼女も含めてな。


「ちょっと何を言ってるの。私だって協力してるじゃん!」

 彼女は激怒した。

 アンティーク調の床を蹴ったのか、ヒールの高い音が短く鳴った。

「私だって積極的にレビューや感想を書いたり、SNSで宣伝したりしてるじゃん」

 それを言われるとぐうの音も出ない。


「まあ、それはそうっすけど」

 僕はたじろぐが、彼女は止まらない。

「それにさ、人気が出ないってよく言うけどさ、それってシュウくんが更新してないからじゃないの?」

 そんなに痛いところを突かれても困る。

 べつにサボっていたつもりはないんだが。

「人気が出ないってそりゃあ出るわけないでしょ」

 はい、おっしゃる通りです。


「それによく先輩作家さんの話するけどさ」

 はい、なんでしょうか。

「彼の人気が出るのは必然なんじゃないの?」


「ん、それは違うと思いますよ」

 僕は思わず反論してしまう。

「だってあの人には固定ファンがいないじゃないですか。浮動票の彼に対して、僕には"君"という固定票がいるんですよ。他にもファンはいますが、それならば敗北の余地はないはずです」


「だってその先輩作家さんは、とてもストイックだし、コンスタントに小説を更新できているし、才能もあるじゃない? それに比べるとシュウくんは人の文句を言ってばかりじゃん。でも、シュウくんのそういうクズなところも嫌いじゃないけどさ」


 僕は彼女の歯にきぬ着せない物言いが好きだった。


「うん、僕も自分のことをクズだと思っているけど、そんなところも"君"が好きと言ってくれるなら、僕は喜んでクズになれるよ。いやー、クズで良かったなー。人生がイージーモードだ。でもさ、そんな魅力的なクズ人間であるところの僕が、どうして不人気なんだろう」


「それは人望じゃないのかな。シュウくんがどうしようもないクズ人間であることは周知の事実だけど、あの先輩作家さんってシュウくんとは真逆で、聖人って感じじゃん?」

 僕がどうしようもないクズ人間であることはどうやらみんなが知っていたらしい。

「確かに、頭脳明晰、成績優秀、スポーツ万能の、"なろう系主人公"みたいだね」


「それは違う投稿先のウェブサイトだと思うけど、そんな無能っぷりも好きだけど、要はそう言うことだと思うんだ。最初の話に帰結するようだけど、彼は"有難う"の意味をきちんと理解しているんだと思う」

 僕は鼻高々に、うんうんと頷いた。

「そうなんですよね。僕もライバルとして嬉しい限りです」


「でも、シュウくんは理解できてないけどね」

「いやあ、でもまあ、僕はクズですから」

「この前も貴重な感想を頂いたのに、返信すらしなかったじゃない」

「いやあ、クズの本領を発揮してしまいました」

「後でちゃんと返しなさいよ」

「嫌です」


 彼女はくすくすと笑った。

 つられて僕も笑ってしまう。


「でも、そういうところが好き」

 ふふ、と笑いながらも、僕は背筋を伸ばして、

「僕の長所はクズなところで、僕の短所もクズなところです」

「私の会社なら採用!」

 そう就活風の面接練習をして失笑を誘った。


 きっと僕の尊敬する先輩作家さんが同じ境遇にいたなら神対応を連発しているんだろうなと思って、その名前を検索エンジンに入れたら、彼は毎月200を超える質問だけでなく、ちょっとした感想などの全てにおいても神対応をしていた。さすがすぎる。エンターテイナーとしての格が違う。


「うわあ、こんなに答えてるの? めんどくせえ。僕はクズで良かったー」

 僕は口に含んだコーヒーを彼女にぶっかけながら驚く。

「やっぱりすごいんだね、あの人! すごすぎて人として見れないわ」

 彼女は紙ナプキンでその顔を拭いていた。

「だよね、これでこそ僕のライバルだよ」

 僕はそう伝票を彼女に手渡す。

「お金は"君"が払っておいて!」

「そういうクズなところが好き!」

 彼女は喜んでお支払いをしてくれた。





「ねえ、サイトウさん」


 僕が愚痴を言うためだけに電話をかけると、かの先輩作家はワンコール目で反応した。

 誰に対してでも神対応なのか、このお方は。

 人としての格も違い過ぎる。まるっきり隙がない。


 ただし文句を言うとしたらスリーコール目で出なかったことである。

 早すぎる。神対応過ぎる。あなたは聖人か!


「なんであなたはそんなに人気あるんですかー」

 僕は酔っ払いの絡み方をする。


「それは読んでくれた人が宣伝してくれるおかげかな。彼らの存在はいつも心の支えになっているし、あの人たちがいるからこそ、こうして執筆ができているといっても過言じゃないね。いつも感謝しているよ、ありがとうって言葉じゃ言い表せないくらいにね」

 やっぱりサイトウさんは神だった。

 僕の彼女を天使とするならば、彼こそは天使を仕える神だ。

 素晴らしすぎる。神々しくて、電話越しに浄化されそうだ。


「またまたー。本当はそんなこと思ってないでしょー」

 僕はクズだから、尊敬する先輩作家にも同じ道を勧めてしまう。

 でも、そんなダメな自分が大好きだ。

 きっと彼女も、僕のクズっぷりを見たら、さらに惚れること間違いなしだろう。


「いいや、これは偽ることのできない本音だ。読者の方々にもらう感想の一つひとつは、そのどれもが俺の宝物なんだよ。その応援があるからこそ、俺は頑張ろうって思えるんだ」

 先輩作家はそう眩しすぎる返答を見せてくれた。

 いやー、憧れます。という言葉を、僕はなんとか飲み込んだ。


「僕はその姿勢に否定的ですけどね。なんか読者に媚びてるって感じがします」

「そういえばシュウはコメントに返事をしないよな」

「ええ、面倒くさいだけですが」

「それぞれ作家のスタンスがあるから、余計なことは言わないけど、なるべく返事はした方がいいと思うぞ。向こうだって、貴重な時間を使って書いてくれているんだから」

「嫌です」


「そっか……」

 怒ると思ったが、先輩作家はため息を吐いてから、

「また何かあったら連絡してくれ」

 とだけ言った。

 僕は今週の土日に会いましょうと言って電話を切った。



 当日になって土壇場でキャンセルをしてみた。

 こういうところがクズ人間と言って、みんなから愛されるのだろうが、それでもついついやってしまうのがクズ人間なのだ。まあ、そんなクズな自分が好きなんだけどさ。


 しかし、先輩作家はやはり神対応だった。


「そうか。まあ仕事も忙しいだろうからな。無理はするなよ」

「ええ、怒らないんですか?」

「そもそもお前に期待なんかしていないよ」

「ええ、神対応すぎる!」

「お前はクズ対応過ぎる。そんなんじゃ読者もいなくなるぞ」

「いいんですよ、僕は! 読者は無料で読めているんだから、むしろ僕に感謝しろ!」

 そう言って電話を切った。




 1年後。

 固定ファンどころか、周りに人はいなくなったが、よりクズとしての劣化を遂げた僕は、彼女と幸せに暮らすことができたのだった。

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僕はありがとうが言えない。 石島修治 @ishizimashuzi

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