第87話 ノーホーム、ノーライフ?



 ――親友達に裏切られた。

 ――金銭を封じられた。

 ――食料を奪われた。

 ――親にも頼れなくて信頼している人も裏切って。

 ――住むところも今まさに失い。


(まだだ)


 まだ英雄は底ではない。

 きっとフィリアも同じ筈だ。


(まだ希望が残っているから)


 足掻く。

 恐らく安定して勝利を望めるのは、この場で敗北を認める事だろう。

 そして隙を伺い、勝利を為すのだ。

 それが賢い選択というものなのだろう。

 だが。


(――それのさ? 何が楽しいだい?)


 一時的とはいえ、フィリアを喪って得る勝利に何の意味があるのだろうか。

 そして敗北を認めることは、英雄の愛を否定する事で。

 何より。


(フィリアの愛を、僕を愛してくれるフィリアの愛はたとえ誰だろうと否定させないよ)


 だから。


(――よし、燃やそうっ!)


 英雄は躊躇い無く思いついた。

 ライターも無く、コンロの火は付かない。

 けれど、一つだけ残っている。


(日光で買ったんだっけ? 修学旅行のお土産も役に立つときがあるんだなぁ……)


 現代ではライターやマッチなど、手軽に火を起こせる手段で溢れている。

 では、そんな便利な器具が無かった時代はどうだったであろうか。


「どうしたのです英雄様? いきなりウロウロし始めて、降参する気になりましたか?」


「――はっ!? 降参する気なのか英雄っ!!」


「いや、それは最後の最後でも取らない手段だよ。ちょっと捜し物しててね? ……あったあった、よし! ちょっとフィリア、ティッシュ取って?」


「ああ、一枚で良いか?」


「念のため、もうちょい頂戴。んでもって、僕は新聞を部屋の真ん中に置いて、――オリーブオイルでも大丈夫かな?」


「…………すみません英雄様? いったい何をしようとしているので?」


「うん、僕らってば衣食住の全てを失った訳でしょ? だから腹いせに、大きな反撃の狼煙を上げようと思ってね」


「おい待て? 本当に待て? 狼煙? 新聞紙にオリーブオイルをかけてどうする気なんだっ!?」


「どうする? ――――ははっ! 決まってるだろう! こうなりゃヤケだっ! さっき見つけたのは昔買った火打ち石!」


「成程! それは良い考えだっ! ああ、そうだっ! 全てを奪われたのなら――――燃やしてしまえ!!」


「どうしてそうなるのですかっ!! 見習い部隊の皆さん! お願いしますっ!」


「そう来るだろうと思ってたよっ! 準備は良いかいフィリアっ!」


「ああ、勿論だっ!」


「火打ち石を取り上げ――っ!? ここ二階ですよっ!?」


 ドアが開き、執事やメイド何人も飛び込んできた瞬間だった。

 英雄は火打ち石をあっさり投げ捨て、同時にフィリアが窓を道路に面した窓を全開に。

 まさか、と未来が手を伸ばすもフィリアはカーテンの裏に隠されたロープを掴み窓の外へ。

 そして間髪入れずにもう一本存在したロープで、英雄も脱出。


「はっはーっ! 栄一郎と冗談で作った脱出ルートが役に立つ時が来るなんてねっ!!」


「君の悪ふざけに付き合ってみるものだなっ!!」


 二人は見習い隊が戻るより早くアパートの庭に着地、そのまま猛然とダッシュ。


「プランはCに変更! 予想される二人の行き先は三つ! 先回りしなさいっ! ――――…………だから言ったんですよローズ様、絶対に逃げられますって。けれど、さすがにこれで終わりでしょうね」


 未来が複雑そうな顔をする一方、住宅街を疾走する二人は追ってが来ないのを不審に思って。


「どう見る?」


「これは先回りされてるね」


「というか、私たちは何処に行こうとしていたのだ?」


「叔父さんの家、今の時間ならゲーセンもアリって考えてた。後は、歩きで一時間以上かかるけど。僕の実家に行こうかなって。そこも駄目なら学校かなぁ?」


「……ふむ、どんなに急いでも先回りされていそうだな」


「こういう時に、栄一郎達が居れば助かったんだけど」


「無い物ねだりだな、ではゲームセンターをその叔父の家はどちらが近いのだ?」


「ゲーセンだね、駅を挟んで向こう側だよ。叔父さん地はそっから更に先」


「恐らく未来達は、駅、ゲームセンター、君の叔父の家のそれぞれに人を向かわせてると思うが、――裏をかいて英雄の実家に行くというのはどうだろうか?」


「半分も行かない内に気付かれると思わない? そんでもって、そっちに人が行っていないとも限らない」


「時間は私達の味方では無いか……ではどうする」


 すると英雄は財布を取り出して、角の公園の中を指さす。

 そこには。


「こっちから出向く事は無いと思わない?」


「……成程、公衆電話かっ!!」


「そう言うことっ! 叔父さんなら、言えば誰にも見つからずに車で来れるさ!」


 そして意気揚々と電話をした彼であったが。


『この番号にかけてるって事は、我らが脇部一族の誰かだな? すまねぇが、王太に付き合って今は海外なんだわ。マイワイフも一緒だから、用があるなら二、三日後にかけ直してチョンマゲってね!! ガハハ!』


「………………何がチョンマゲだよ叔父さんのバカっ!?」


「どうやら宛が外れたようだな」


「親父のバカ野郎っ!! 何で叔父さん誘って海外行ってるのさっ!! 面白そうな事なら僕らも誘ってくれれば良いのにっ!!」


「こんな時に何だが、英雄は英語とか喋れるのか?」


「……フィリア、世の中ってば単語とボディランゲージで何とかなるんだよ? それにスマホで翻訳した文を見せても何とかなるし」


「ああ、君はそれが出来る男だったな。愚問だった、それで次はどうする?」


「ダメ元で、ゲーセンと叔父さんの家に。……学校にも行ってみる?」


「それは本当に勝算が低い賭けだな」


「だよねーー。…………ホントどうしよう?」


 震えた声。

 その時フィリアは、初めて英雄の顔がクシャっと歪んだのを目撃した。


「英雄?」


「あ、あれ? どうしたんだろう、変だなぁ……」


「――っ!?」


 彼の目から、涙が落ちて。

 ぽろぽろ、ぽろぽろ、流れ落ちて。


「なんで僕、泣いてるんだろう。泣いてる場合じゃないのに」


 自分でも驚くほどに、出された声は弱々しく。

 握りしめようとした拳は、力が入らずだらりと。


「これから」(これから何を?)


 何を、どうすれば良いんだろう。

 最後に頼れる人は不在。


(お金も家も無くて、ここから巻き返す手があるのか?)


 涙でぼやけた視界が、急激に狭まっていく感覚。

 何を目的として動けば良いのか、思考が定まらない。


(義姉さんに直接あって。駄目だっ、逃げて……逃げてどうなるんだ? ――降参、するしかないのか?)


 もし、もう少し大人であれば足掻く事が出来たのだろうか。

 もし、英雄に確かな力があれば、ひっくり返す事が出来たのだろうか。


「…………ごめん、フィリア」


 無力、その言葉が重くのしかかって。

 崩れ落ちる瞬間、ふわりと抱き留められて。


「ごめんなさい英雄」


「……何でフィリアが謝るのさ」


「二人の問題だというのに、君に頼るばかりで何も出来なかったこと。そして、こんな状況なのに英雄を抱きしめる事しか出来ないこと。……全部、全部ごめんなさい。そして――ありがとう」


「お礼なんか言わないでよっ!! 僕にはもう何も出来ないっ! フィリアを連れて逃げても半日だって守れしないっ!!」


「それならお互い様だ。……私は、君の心を守れなかった」


「そんなっ、そんなこと――」


「そんな事あるさ、だって私達は恋人同士なのだから」


「でもっ、でもさっ!」


「英雄が私を姉さんから守るなら、私が英雄の心を守らなければならなかったのに……ただ、側に居る事しか出来なかった」


「僕はそれで十分だったんだっ! これまでもっ! そしてこれからもっ!!」


「ああ、私もだ。君の側に居るだけで幸せだったのに…………でもそれも、もう終了の時間のようだ」


 静かに囁かれる言葉に、英雄ははっとなって。


「――義姉さんの所に行くつもりっ?」


「きっと、……それが英雄にとっても私にとっても最善の道だろうから。――何、君の事だ。すぐに迎えに来てくれるんだろう?」


「フィリアっ!?」


「だからな、……少しの間、さよならだ英雄」


 淡く、儚げに笑ったフィリアが何よりも綺麗で。

 この世の何よりも美しくて。


「だ、駄目だっ! それだけは――絶対に駄目だっ!」


「我が侭を言わないでく……、英雄?」


「駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だダメだっ!」


 逃がさないと英雄はフィリアの手を掴み、血走った目で歯を剥き出しにして。


「義姉さんの所に行くなら、――――僕と一緒に死んでくれフィリア」


「ひで、お?」


 英雄の纏う空気が、重く熱く粘ついた何かに変わり。

 その地獄の底から響くような声に、フィリアは背筋を震わせた。


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