第80話 豆腐の角に頭をぶつけて死ぬ



 モンスターが鎮圧された次の日のことである。

 フィリアにがっちりと腕を組まれ登校した英雄であったが、教室に入ると栄一郎の視線が痛い。

 勿論の事、ローズが英雄を見る目は特に鋭く。

 ロダンは会うなり尻と股間を隠して。

 ――そして問題はというと。


 最近にしては何事もなく、何事もせずに帰宅した二人だったが。

 ともあれ、朝からフィリアの瞳がうるるっと揺れて。


「ねえフィリア? そろそろ離してくれないかな?」


「ダメだ、そう言って学校でもトイレに行ったではないかっ!!」


「トイレには素直に行かせてよっ!?」


「絶対に離さないからな!」


「離さないと着替えられないよ?」


「むむ、では今日ぐらい――」


「はいはい、皺になるから着替えてからくっついてねー」


「ぬわー、乙女を強引に着替えさせるとは何たる外道っ!」


 と言いつつ、着替えやすいように万歳をするフィリア。

 恋人とはいえ、妙な背徳感を味わいながら着替えさせると。


「では英雄は私が着替えさせよう、決して私の視界から出るな」


「今日の君はかなり強引だね、じゃあ頼むよ奥さん?」


「任されたぞ旦那様!」


 そしてジャージに着替え終わると。

 英雄は窓際の壁に寄りかかって座り、その腕の中にフィリアを柔らかく抱きしめる。


「じゃあ二人っきりだしさ、訳を聞かせてよ」


「訳だと? 君は本気で言っているのか?」


「だよね。――ちょっと豆腐の角に頭ぶつけて死んでくるから待ってて?」


「はいストップ、いきなり死のうとするな。ではこちらからも聞くが…………トラウマとやらは克服したか?」


「出来てたら死ぬって言わないよね? まー、幸か不幸か直接見ても平気なぐらいには回復したけどさ……」


「そもそもの話、なんでトラウマになったのだ? 英雄が過去に女の子を助けようとして失敗したとは聞いているが、そこと女装が繋がらないぞ」


 英雄の腕をぺしぺしと叩き、ふくれっ面のフィリアも大変可愛いかったが。

 見とれていては話が進まないと、彼は愛しの彼女をぎゅっと抱きしめるに留めて。


「簡単に言うとね、女の子は美少女で、狙っていた犯人は連続美少女誘拐犯だったんだ」


「…………おい英雄、僕が女装して囮になるよ! とか言ったのだろう! 君の考えそうな事だ!」


「ご明察! いやー、あの時は大変だったなぁ。あまりにも女装が似合いすぎて、変なスイッチが入ちゃってねぇ」


 苦い、苦い思い出だ。


「囮の役割を果たして、彼女の身代わりとして誘拐されかけたんだけど。ほら、女装した僕ってばあの調子でしょう? その場で貞操の危機になっちゃって、そした彼女が慌てて犯人に殴りかかっちゃってさ」


「成程? 押し合いへし合いの果てに、君は大怪我を負ったと?」


「僕も混乱してちゃんと覚えて無いけどさ、誰かに背中を押されて車道に出ちゃって。そこに逃走しようとした犯人の車がドーンって」


「それで君は入院、以後、女装はトラウマになったと」


「ついでに言えば、その入院先で栄一郎に出会ったのさ!」


「ふふっ、空元気なんてしなくても良い。私たちは姉さんに勝ったんだ。――もう無理はせず、安心して私に甘えると良い」


「ふぅん? それは興味深いね、具体的にどうやって甘えさせてくれるのか…………な?」


 するとフィリアは英雄を抱きしめて横に倒れると、もぞもぞと自分は起きあがって。


「ここからどうするの?」


「君の頭を私の太腿の上にご招待だ」


「それは素敵だね、……嗚呼、癒される」


「だろうだろう、では頭を撫でてやろう」


「これは至福だ……、僕はトロトロに溶けてしまいそうだよ」


 うっとりと目を閉じる彼に、フィリアは静かにしめやかに。


「なあ英雄、私が居るんだ。……もう一人で我慢なんて、しないでくれ」


 髪を撫でる手は優しく暖かく、言葉がじんわりと心に染み込んで。


「大丈夫だ、私が居る、どんな時でも、君の側には私が居る。だから、一人で戦わないでくれ」


「…………ごめん、ちょっと気負ってた」


「ふふっ、分かってくれたら嬉しい。今度から、君も行動に移す前に私に相談してくれると嬉しい」


「うん、そうするよ」


「君が分かってくれて嬉しい、もっと、もっと私に寄りかかってくれ英雄……」


「フィリアが倒れないぐらいにね」


「バカだな、私ごと倒れても良いんだ。君はただ私に寄りかかって、一緒に沈んでくれれば良い……」


「…………うん?」


「大丈夫だ英雄、君は何も心配しなくて良い。私に全てを任せてくれればいい、食事も睡眠も排泄も、全て、全てを私に委ねて……」


「ちょっと待って?」


「となれば今すぐ行動に移すべきだ! そうだ! 先ずは首輪と鎖を買ってこよう! ――逆転の発想だ! 実家で暮らせば姉さんも満足するだろう! そして君は私の部屋にずっと繋いでおけばいい!」


 さすがに英雄もガバっと飛び起きて。


「流石にそれはノーサンキュー! 僕の意志が消えちゃったよっ!? どうしてそうなったのっ!?」


「ほう……英雄? 君がそれを言うのか? あれだけの事をして? 私がどれだけ心配したと思っているっ!!」


「ぐう、それを言われると弱いけど、監禁される程じゃないよっ!?」


「ほほーう? 男も女も見境無しに誘惑しておいて? あのまま放置しておけば、ウチの私設部隊どころか、そこを足がかりに関連会社、いずれは本社も魅力一本で籠絡しそうな勢いだったのに?」


「いやいやいや? 流石にそれは無いって、確かに女装した僕は破滅的な魅力があったかもしれない。だけど、あくまでそれも僕さ、僕の意に反する事はしない。…………まあ、どれぐらい色気で進めるかな? とか全員籠絡すれば義姉さんの権力丸裸に出来るかなーって思わなかった事もないけど?」


「やっぱりやつもりだったのではないかっ!? この浮気者がっ!! 危険な浮気者は首輪で繋いでおくしかないではないかっ!! だいたい口説くなら私一人にしろおっ!! かなり悲しかったんだぞっ! もう少しで全員殺そうかと思ったじゃないかっ!!」


「あー、なるほど? もしかしなくてもソレが原因だね?」


「具体的に言え」


「フィリアってば、僕が他の人にちょっかいかけたのが、かーなーりー、嫌だった。そうだね?」


「正解だ! ――ではどうする? 私はかなりお冠だぞ? 並大抵の事では収まらない。そして君は私の実家で監禁だ! トイレもおまるだぞ!!」


「それは遠慮したいなぁ」


 英雄は考えた。

 今回は己にも非があるが、それはそれとして、ホイホイと監禁される訳にはいかない。

 ならばご機嫌を取ればいいのか?

 答えは否である。


 上っ面のおべっかなら彼女はすぐ見抜くだろうし、なにより悲しむ。

 そして、謝罪をして今後絶対に女装をしないと誓った所で意味は無いだろう。

 ――――ならば。


「聞いているのか英雄っ! 私は怒っているのだぞ!」


「じゃあこうしようか、僕が君しか口説かないって証明する」


「どうやって」


「僕に五分くれないかな? ――今の僕なら出来る筈だから」


「…………いや、何をするつもりなんだ?」


「それは五分後のお楽しみってね」


 そして五分後、風呂場から出てきた英雄は。


「わたしっ! 再臨っ!」


「また女装したのかお前っ!? トラウマはどうした!!」


「ふっ、あの時失敗した後悔は胸に。けれど、……わたしは女装を乗り越えた」


「………………つまり?」


「大丈夫よフィリア、今日からは本当に貴女だけを――――背徳にご招待!」


「ぬおっ!? 何をするっ!? 私の性癖を歪めるつもりかっ!!」


「いえフィリア? 貴女の性癖って既に手遅れじゃない? 知ってるわよ、たまに変なアプリで私の写真を女の服に変えて遊んでるの」


「しまったっ!?」


 フィリアの制服を着て、金髪のウイッグを着けた英雄は。

 彼女の顎をくいっと、妖艶な笑みを浮かべて。


「さあ、――天国を見せて、ア・ゲ・ル!」


「嗚呼、私が英雄という沼の底に沈んでいくぅっ!?」


「ごめんね、それって底なし沼なの。さあ、義姉さんに勝ったお祝いといきましょうか」


 その後、うっかり晩ご飯を食べに来たローズとロダンは。

 フィリアが補食されている現場に遭遇し、沈痛な顔でそっと扉を閉めて回れ右。


「ふふっ、浮かれているのも今の内だ……」


「大丈夫? 冷や汗凄いけど」


「だ、大丈夫だっ! 計画は最終フェイズに移行しているっ!」


「ホントに大丈夫かなぁ……。まあいいや、今日は日本のファミレスを堪能しよう!」


 ニタリと嗤うローズは明らかに動揺していて。

 なるようになる、とロダンは微笑んだ。



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