第79話 禁断の過去



 深夜に隣から聞こえてきた声は、フィリアと英雄をもって、仲がヨロシくてケッコウと熟睡したものだが。

 ともあれ、次の日の日曜の朝早く。

 ちゃぶ台でトーストと目玉焼き、パジャマで朝ご飯タイムをは、突如来訪したローズ夫妻によってうち破られた。

 二人は困惑する中、駅ビルのブティックに連れてこられて。


「おはよ、英雄殿。そちらも連れてこられたでゴザルね?」


「あ、栄一郎。日曜の朝っぱら災難だったね、……茉莉センセも一緒なんだ」


「未来が迎えに来てな。ったくよぉ、事前に知らせておけっつーの」


「メンゴ茉莉ちゃん、上からの命令には逆らえなくてさー」


「しかし姉さん、こんな所で何をするつもりだ? 営業妨害ではないか?」


「ふふっ、大丈夫だマイシスター・フィリア! 大丈夫だ、ここはウチの系列店だし貸し切りの金は、私のポケットマネーで出しておいた!」


「いやぁ唐突ですまないね皆さん。すまないけど少し付き合って貰うよ」


「何が起こるんです? ロダン義兄さん? 義姉さんはやけにテンション高いですけど」


 ローズの姿にフィリアの姿が重なり、となれば彼女がテンション高く突き進んでいるとならば。

 ――そこには、不安しかない。

 嫌な予感に身を浸しながら首を傾げる英雄に、ローズは胸を張って指を差し。


「勝負だ脇部英雄っ! 最初に言っておく、私が勝ったらフィリアはアメリカに連れて帰る!!」


「姉さんっ!?」


「いや、受けないよ?」


「ならば不戦敗とみなし、問答無用で連れて帰る!」


「はい義姉さんっ! 作戦タイム!」


「よし許す!」


「じゃあフィリア、ちょっとこっちで」「了解だ!」


 英雄とフィリアはローズから離れて。


「どうする? こんな条件で勝負をしかけて来たって事は、だいぶ自信がありそうなんだけど」


「しかし英雄、姉さんはやると言ったらやる女だ。――正直不意打ちで、抵抗する準備が無い」


「なるほど、なら勝負は受けないとね!」


「おい、目をキラキラさせるな! 油断していると足下をすくわれるぞっ!?」


「ははっ、どんな勝負を仕掛けるのかしらないけどっ、僕とフィリアなら乗り越えられるさっ!」


「…………君は偶に楽観的過ぎないか? だがその意気や良しっ! ではやろう!」


 そして再び皆の前に行って。


「その勝負、受けるよ義姉さん!」


「はんっ、小僧が逃げるのなら私としては楽だったのだがな。今からでも遅くはないぞ? 臆病風に吹かれたのならすぐに言え」


「挑発したって無駄だ姉さん、さあ勝負内容を言え! どんな勝負でも完全勝利してみせよう!」


「それは良いとして、拙者たちは何の為に呼ばれたでおじゃ?」


「ふむ、良い質問だ机。貴様と跡野先生と未来には審判をしてもらう。――喜べ小僧、お前の味方を審判にして有利にしてやったのだぞ?」


「栄一郎! 僕に有利なジャッジにしてねっ!」


「そこは公平にって、格好付ける所でおじゃっ!?」


「バカだなぁ栄一郎は、格好付けて勝利逃しちゃ意味ないでしょ? あからさまに依怙贔屓しろとは言わないから、僕らだけ判定甘めにしてよ」


「いや、這寄先生? 良いのでゴザル?」


「無論大丈夫だ! この私達が負ける筈が無いからなっ! 判定を甘くしようが、圧倒的大差で勝利してやろう!」


「へぇ、言ったね? どんな勝負かしらないけど、手加減しないよ……!」


「小僧こそ、フィリアにオンブだっこで醜態を晒した上で、敗北する事を覚悟しておけ!」


 バチバチとメンチを切りあうローズと英雄。

 フィリアもローズを睨み、ロダンは困ったような笑みを崩さぬまま。


「えー、では場が盛り上がった所で。僭越ながら我輩が進行の音頭を取るにゃ!」


「良きに計らえ!」「頼んだっ!」


「ではローズ先生! 今回の勝負内容をどうぞでゴザルっ!」


 そして彼女は堂々を言い放った。



「――――これより女装勝負を行うっ!」



 それを耳にしたロダン以外は、きょとんと目を丸くして。

 英雄はビクっと肩を震わせたまま硬直して。


「気でも狂ったか姉さん?」


「ふふっ、私は正気よフィリア。ねえ、考えてみなさい。貴女は美しい、ならばその伴侶も美しくなければいけない。……このっ、私の様にっ!」


「ロダン義兄さん?」


「ごめんねフィリアちゃん、ローズは本気なんだ。ボクと英雄くんを女装させて、美しかった方の勝ちって事で」


「私とフィリアは女装の補佐をする、理解出来たな?」


「成程、だが忘れていないか? 英雄ならば――…………おい、英雄? 英雄? 何を固まっている」


 全員が注目する中、英雄は固まったまま冷や汗をダラダラ流して。


「あー、僕ちょっとお腹が痛くなって来たなー。これは困ったなー、じゃあそう言う事で!」


「ちょ英雄殿っ!? 不戦敗になるでゴザルっ!?」


「後生だよっ! 離してフィリアっ! 僕はちょっとトイレに行くだけだ! 数時間戻ってこないかもしれないけど気にしないでっ!」


「おい机! 手を貸せっ! 本気で逃げる気だぞコイツっ!?」


「どうしたでおじゃる英雄殿っ!? 女装なんて英雄殿が進んでしそうな楽しそうな事でゴザルのではっ!?」


「や、待って、マジ待って…………うぷっ、ううっ、ひ、卑怯だぞローズ義姉さんっ!!」


「ふはははっ! 何とでも言うが良いっ! 勝利する為には手段を選ばないのが這寄ローズだっ!!」


「ホント、ごめんね英雄くん。でもこれ勝負だから」


 明らかに様子のおかしい英雄に、勝ち誇るローズ。

 フィリアは恐る恐る、英雄に問いかけて。


「まさか……苦手なのか?」


「言いたくないけどね、視界に入るのすら嫌なんだ。テレビ越しとかなら見るのは大丈夫なんだけど」


「実際に着るのは?」


「………………とても、恐ろしい事になる」


「っ!? 姉さん! この勝負は無効だ! もしくは内容を変えろっ!」


「残念だがフィリア、さっきのやり取りは録音済みだ。今更取り消しはきかない。――ああ、降参なら受け付けるぞ?」


「おい審判っ!?」


「フィリア様、申し訳ありませんが勝負を続行した方が宜しいかと」


「未来がそう言うってんなら、続ける事を勧めるぜ這寄」


「…………イケるでゴザるか英雄殿?」


「ぁぁぁぁぁ……、じょ、女装……、悪夢、悪夢だぁ…………、け、けど降参したらフィリアが……、どっちも悪夢だっ!?」


「これは……続行でおじゃ」


「くっ、顔が青いぞ本当に大丈夫なのか英雄っ!?」


 心配そうに顔をのぞき込むフィリア、英雄は吐き気を堪えながらどうにか首を縦に振って。


「……卑怯者、うぷっ、……、じ、時間の余裕は、ううっ、あるんだよねっ!?」


「服を選ぶのに三十分、着てメイクするのに一時間はやろう」


「おいっ、無理をするなっ!? 私なら後で――」


「…………いいや、フィリア。これは、いつか乗り越えなきゃいけない事だったんだ。……さあ、勝負を始めよう……」


 と言って崩れ落ちた英雄、しかしローズは構わず開始を宣言して。


「では未来、時間を計っておけっ! では行くぞフィリアっ!」


「いや、マジでごめん英雄くん。本当にごめん、後でローズは叱っておくから」


「早くこいロダンっ! 勝負はもう始まっているんだ!」


「わ、私はどうすれば……」


「行ってフィリア、君のセンスに、まか、せた――――」


「英雄おおおおおおおおっ!? くっ、君という奴はっ!? 似合うのを持ってきてやるからなっ!」


「肩、が。露出……、してる、の。おねが、い……」


「実は結構余裕あるでおじゃ?」


「バカ言わないで、よ。栄一郎……うぷっ」


 フィリアが慌ただしく動きだし、英雄は栄一郎に介護されて。


「しかし意外でゴザった。英雄殿にまさかそんな弱点があるとはにゃあ……」


「…………先に、謝っておくよ栄一郎。……ごめんね?」


「何故、英雄殿が謝るでおじゃ?」


「……女装には、少しトラウマがあってね。女の子の格好をしたら僕は……っ、ああ、考えるだけども恐ろしいっ! おえっ!」


「これは本気でトラウマになってるでゴザるな? いったい何が――、いや、言える時が来たら話して欲しいでゴザるよ」


「ありがとう、栄一郎――……うう、気持ち悪い」


「まだ時間はあるでおじゃ、少し目をつむると良いでゴザる」


「時間になったら起こしてね……うぷっ」


 青い顔の英雄は、栄一郎の腕の中で瞳を閉じて。


(嗚呼、――傷が疼く)


 背中の大きな傷が、じんわりと熱を持って疼き出す。

 それは、助けられなかった記憶。

 同時に、失敗してしまった記憶。


(あんな事になるなんて、思わなかったんだ)


 思い起こされるは、あの時の少女の驚きに見開かれた瞳。

 自分に延ばされる手、それは欲望に満ちて。


(――嫌じゃ、なかったんだ)


 恐ろしい、失敗した事ではない。

 その手を受け入れようとした自分が、彼女を加害者にさせてしまった自分が。

 制御出来ない己自身を、英雄は恐れた。

 否、――今も恐れている。


(でもさ、そろそろ受け入れなきゃ)


 フィリアと前に進むために、ローズに二人の仲を祝福して貰うために。


(あの時に封印した『ひぃちゃん』……もう一度、力を貸して貰うよ)


 幼き日のあの存在が、英雄と重なって――。


「そこまでっ! 双方とも選ぶのを止め、女装をさせてくださいっ!」


「くっ、もうそんな時間か……。おい英雄、本当に大丈夫か?」


「――ああ、大丈夫だよフィリア。僕は覚悟を決めた」


「だがそんな青い顔で……。よし、お前は目を閉じていろ。全部私が準備してやる」


 だが英雄は、フィリアの提案を笑って。


「いいや、僕が全部やるよ。フィリアは待ってて」


「ほう? そんなフラフラで大丈夫か小僧?」


「へへっ、ローズ義姉さん。――後悔するなよ? 『わたし』という存在を呼び覚ました事を」


「む? まあ良い、試着室に行くぞロダン」


「あ、うん。本当の本当に大丈夫? 病院に……」


「大丈夫だよロダン義兄さん、――――そして、ごめんなさい」


「英雄くん? 何を……?」


「じゃあフィリア、君のメイク道具を借りる」


「あ、ああ…………。おい机? 英雄はどうしたんだっ!?」


「拙者にも分からないでおじゃ……」


「凄い嫌な予感がするぞ、未来、いざとなったら救急車呼べ」


「ええ、救急車ではありませんが。念のためにお抱えの医者を向かわせております」


 皆が心配する中、英雄は試着室に入り。


(さあ、行こうか『ひぃちゃん』)


 そしてきっかり一時間後、まずローズとロダンが出てきて。


「おじゃっ!? ほほー? これは凄いでゴザる……」


「どうだ? 見事なものだろう!」


「いやぁ、お恥ずかしい。自分で言うのも何だけど、女装は得意なんだ」


「むむぅ、線が細い容姿をしていると思っていたが。これでは本当に女ではないかっ!? やはり、事前に経験があったのかっ!!」


 フィリアの視線の先には、女装したロダン。

 ウイッグを付け、マフラーで喉元を隠し。

 メイクはローズが万全に。


「コートの下はブラウスとチェックのロングスカートだな」


「題して、彼氏と冬のデートと言う所でしょうか?」


「ふふっ、この姿のロダンに勝てるものかっ! 何せロダンの女装は私のハートを射抜いた程だからなっ!」


「付き合う前のボクが逃げてる段階でさ、苦し紛れに女装したら。ローズったら凄く喜んで結婚を申し込んできちゃって…………何処で間違ったんだろう」


 遠い目をするロダンに、ローズ以外は同情の念を送ったが。

 ともあれ、次は英雄の番である。


「……では英雄様、準備は宜しいですか?」


「ええ、勿論よ」


「うん?」「はい?」「英雄?」「小僧?」「英雄くん?」「…………今の脇部だよな?」


 一同揃って困惑した。

 何故ならば、試着室から聞こえてきたのは覚えのない声。

 鈴が鳴るような透明感のある、蠱惑的な声。


「…………英雄殿でおじゃる?」


「ええ、わたしよ栄一郎。わたし以外、誰もこの中に入らなかったでしょう?」


「おい英雄っ!? 早く姿を見せろっ!? どうなってしまったんだお前はっ!?」


 焦るフィリアは、試着室のカーテンを乱暴に開き。

 その瞬間。


 ――――黒髪ロングの天使が舞い降りた。


 誰もが息を呑み絶句して、目をごしごしと擦ってもう一度。


「もう、そんなに変かしら? 我ながら完璧に着こなしてると思うけど……」


「変なのは英雄殿でおじゃ…………いや、お前マジで英雄か?」


「うふふっ、変な栄一郎。じゃあフィリアこっち来て? 背中に傷があるのは知ってるでしょ」


「あ、ああ……。――――お前本当に英雄なのかっ!? どうしたんだいったいっ!?」


 頭を抱えてフィリアは叫ぶ、だがそれも無理からぬ話だ。

 今の英雄は女の服を完璧に着こなしている。


「え、どうやったんだい英雄くん!? そんな大きく肩を開けたニットを着て、そんなに肌を細く柔らかに見せるなんて!?」


「凄いでおじゃっ!? 男の尻だと分かってるのに、タイトミニスカートが色っぽいでおじゃっ!?」


「おい、なんだそのストッキングの質感はっ!? 男の足じゃねぇぞっ!? おい這寄っ!? 英雄は女っぽい足だったのかっ!?」


「馬鹿なっ!? あんなむっちりしてない!? 堅くて男らしい足なのにっ!?」


「いや待て小僧っ!? 輪郭すら変わって見えるメイクは何だっ!? 聞いていないぞ私はっ!?」


 驚愕する皆へ、英雄は淑やかに足を進めて。

 その腰の振り方に、栄一郎とロダンは思わず唾を飲み込んで。


「美しさが罪というなら、――それが今のわたし。ふふっ、美しすぎてごめんなさいね?」


「くっ、何なのだお前はっ!? こんな、こんなっ!? フィリアに匹敵する美少女の姿になるなんて詐欺だっ!?」


「何故、そんな女装が可能でおじゃ英雄殿……?」


「いやスゲぇわ、言葉遣いまで完璧女だわ……」


 婉然と微笑む英雄は、静かに語り出して。


「過去にわたしはね、過ちを犯したの。とある女の子を助けようとして、女装する事になった」


「そ、それがどう過ちに繋がるでおじゃ?」


「――才能があったの、女装のね。今のわたしは、英雄じゃなくて『ひぃちゃん』よ。」


「上手く飲み込めないが、もしかして心も体も女になたとでも言うのか?」


「少し違うわフィリア。……今のわたしはね、男と女を併せ持つ存在。勿論、性的嗜好も!」


「つまり、どうなるんだ小僧?」


 すると英雄は、ロダンに近づいてニコリと笑い。

 その途端、彼は顔を赤くして熱に浮かされたように英雄の腰に手を回して。


「ねぇロダン義兄さん? わたしと、――『ひいちゃん』と、イケナイこと。し・て・み・な・い?」


「はい喜んでっ!?」


「ロダンっ!?」「英雄っ!?」


「ごめんね? わたしったら、男も女もイケちゃうの。――どう? 栄一郎。貴男もわたしが可愛がってア・ゲ・ル」


「ご、ゴザっ!?」


「おい栄一郎っ!? お前までそっちに行くなっ!?」


「ふぁっ!? 拙者は今何をっ!?」


 投げキッス一つで、栄一郎はふらふらと引き寄せられて。

 間一髪、茉莉によって引き戻される。

 すると英雄は淫靡に嗤い、壮絶な色気が一同を襲って。


「ふふっ、うふふっ! わたしは解き放たれたっ! あの時は未遂だったけれど。――今度は全てをっ! 嗚呼っ! わたしという美しさの快楽に堕としてあげる! 男も女も平等にわたしが愛してあげるっ!!」


「くっ、総員撤退っ! 英雄の魔の手から逃れるんだっ!」


「わ、私はなんて怪物を呼び覚ましてしまったんだっ! 今日の所は私の負けで良い! だから後は任せたっ!」


「狡いぞ姉さんっ!? ロダン義兄さんだけ連れて逃げたっ!?」


「這寄女史も一時撤退でゴザるっ!? どうにかして気絶させて服を脱がせるでおじゃっ!」


「未来っ! 未来っ! ウチの部隊を呼べっ!」


「もうやってますっ! 店内を封鎖っ! 念のためにビルも封鎖しますっ!」


「もう二度と英雄には女装はさせないっ! 絶対にだああああああああああっ!!」


 事が終わったのはそれから半日後、這寄家の私設部隊員達の性癖を大いに歪めながら英雄は鎮圧され。

 我に返った英雄はテヘペロと舌を出したが、フィリアにグーで殴られ再び沈黙した。


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