第44話 サイレント・レイニー



 結局の所、越前天魔と机愛衣はお試し期間を設ける事となったが。

 それは特に、英雄とフィリアには関係の無い話である、――訳ではなかった。

 それはつまり、嫁小姑対決に小姑側サポートとしてエテ公が参戦するという事であり。

 しとしとという雨音を聞きながら、夕食後の談話。


「ねぇフィリア? 何か手を打っておくべきかな?」


「ふむ、私は越前の事に詳しく無い。英雄、君がそう考えるなら手を打てば良いのだ」


「栄一郎と違う意味で侮れないんだよなぁ……、中学の時に修学旅行で唯一、他校の女の子のナンパに成功したのはエテ公だし。学校の中でエッチしてるやつらを全部見つけだして邪魔して、風紀委員からスカウト来たのもエテ公だけだし」


「成程」


「いや、そもそも。僕らは何に対して行動を起こせば良いんだ? 愛衣ちゃんも味方が居た方が心強いってもんだけど。結局は当事者三人の問題だもんなぁ」


「そうだな」


「…………隣の家に囲いが出来たってね、カッコイイ」


「成程」


「今日のパンツは水玉?」


「そうだな」


「今日って宿題出たよね」


「成程」


「おっぱい揉んで良い?」


「そうだな」


「ダメだこりゃ」


「成程」


 ちゃぶ台に突っ伏し、そうだな成程マシーンとなっているフィリア。

 ここまで心あらずな彼女は珍しく、英雄はしげしげと眺める。


「熱は、――無いな」「そうだな」


「生理? って聞くのはデリカシーに欠けたね。ごめん」「成程」


「僕が何かした……じゃないなコレ。フィリアの実家から……も違うな」「そうだな」


「うーん、疲れてる? ちょっと早いけど、もう寝ようか」


 同じようにちゃぶ台に突っ伏し、顔をのぞき込む英雄に。

 フィリアは、ボヤケていた焦点を戻して。


「すまないな、偶に、こういう感じになるんだ」


「原因は? どっか悪いの?」


「大きな病気という訳でもないし、ちゃんと診て貰った事もないのだが。――私は所謂、天気病でな」


「天気病、どっかで聞いた事があるような……?」


「簡単に言えばだ、気温の差、気圧の差で体の調子が狂う体質でな」


「ああ、今年の冬は寒暖の差が結構あったりするし。昨日は暖かな晴れで、今日はどんより雲の雨模様だものね」


「うむ、そう言う事だ。天気病と言っても、殆ど調子が狂わないのだがな。雨の日はこんな感じになるのが年に二回ぐらいはあるのだ」


「つまり、年に二回あるかどうかの。レアケースに僕は立ち会ってると」


「理解してくれて嬉しい」


「僕に出来る事は?」


「ただ少し体が重くて、気分がとてもダルい以外に何かがある訳じゃないのだ」


「ふーん」


 何にせよ、大きな病気でなくて一安心である。

 彼女にとっては大変かもしれないが、それはそれとして、何か助けになりたいのが英雄だ。

 こんな調子では、ゲームに誘っても断られるだろう。

 賑やかな映画やドラマも、きっと乗り気では無い。

 となれば。


「じゃあ僕も今日はゆっくりしよう、――お姫さま、君の背もたれに僕が立候補しても? 安心して、変なことはしないさ」


「英雄はこういう時の言葉を違えない男だからな、信頼してお邪魔するとしよう、……んしょ、こうか?」


「そうそう、僕が後ろから抱きしめる感じ。まあ実際に抱きしめるんだけどね」


「――――ああ、背中に感じる君の体温が。今日はとても優しく感じる」


「ありがと、では腕と手はこうする」


「ふふっ、手でお腹を暖めてくれるのか? 嬉しいがそれは別の時のシチュエーションだと少女漫画で知ったぞ」


「嫌だった?」


「いいや、……かなり嬉しい」


 フィリアが微笑む所は、英雄の角度からは見れなかったが。

 きっと幸せそうに笑ったと、彼は確信した。

 そして彼女の髪の匂いを嗅ぐように、首筋に顔を埋めて。


 そしてそれを、フィリアは咎めることも嫌がる事もせず。

 瞳を閉じて、ただ静かに受け入れた。

 脇部英雄という男には、その権利が存在していたし。

 何より、這寄フィリアという少女が望んでいたからだ。

 ――依然として雨は、しとしとと降り続け。


「僕は……」


「ん?」


「知らなかったよ、こんなに静寂が素敵だなんて」


「私もだ」


「ここだけの秘密なんだけど」


「ふむ、続けろ」


「実はね、静かなのが嫌いだったんだ。実家は賑やかだったから」


「奇遇だな、私もだ」


「だからさ、君と一緒に暮らすまでは。テレビとか付けっぱなしにしたり、栄一郎を頻繁に泊めたりしてた」


「友情に厚い親友を持って、幸せ者だな」


「ああ、世界一の幸せ者さ。今じゃ這寄フィリアっていう世界一素敵な女の子と一緒に、こうして退屈だった雨音を楽しめる」


「幸せ者は、私の方だったな」


「そうだね、僕ら二人。幸せ者さ」


 会話が途切れ、静かな雨音が流れる。

 とても、とても、心地よい豊かな静寂。

 フィリアはそっと、彼の手に己の手を重ねて。


 大人の男に変わる途中の、ゴツゴツし始めた指の関節をなぞって。

 女性として完成しつつある、たおやかな指のラインを撫ぜて。


 ひとつひとつ、お互いの手のカタチを。

 そこに刻まれた半生を確かめるように。

 穏やかに、指と指が絡み合って。


「ね、お願いがあるんだ」


「何でも言え、君の頼みなら断らないさ」


「フィリアが好きなんだ、一人の女の子としてさ」


「ほう、興味深いな。もっと続けてくれ」


「残念だけど、この話は短いんだ。だってさ、――ちゃんとした恋人になって欲しい。僕と付き合ってくれないか這寄フィリアさん?」


「こんな時に言うなんて、卑怯者め……」


「答えは?」


「無論、はい、だ」


 フィリアは少し肩を震わせながら、英雄へよりかかる力を少しだけ強め。

 英雄は、それを柔らかく受け止めた。


 ――特に、劇的な事件が起こった訳でもない。

 どちらかの想いに、特別な変化があった訳でもない。

 けれど英雄は、今この時にそう言うのが自然だと思ったし。

 フィリアも、この言葉が突然とも思わなかった。

 月が欠け満ちるように、雨が降りやがて止むように。

 ごくごく、自然なように思えたのだ。


 幸せな少年は、彼女の首筋に軽い口づけをし。

 幸せな少女は、その感触にくすぐったそうな笑みを。


「そうか、……こんなにも簡単な事だったのだな」


「だね、僕はもう少し大変な事かと思っていた」


「だが大丈夫か? 私の愛は変わっていないぞ?」


「大丈夫でしょ、それは僕への愛で、僕も愛してるもの。何かあったら二人で解決すれば良い」


「まったく、英雄は私を喜ばせる天才だな」


「フィリアだって負けてないさ」


「ほら、それだ」


「じゃあ……えっちする? 恋人になった記念に」


「今なら私も、素直に裸を許せる気がする。――でも、そんな気は無い。そうだろう?」


「当たり、今はそういう気分じゃなくて。こうして、フィリアって女の子を抱きしめていたいんだ」


「ふふ、千載一隅の機会を逃したぞ? きっと明日にはまた恥ずかしくなる」


「それでも良いさ。今この瞬間のフィリアと、こうして過ごせるのは今だけだもの」


「今のはフィリアポイント高かったぞ」


「それは光栄、貯まったら何かある?」


「ばか、英雄はもうカンスト済みだ。私全部を予約済みだろう」


「おっと、そうだった。お墓も一緒かな?」


「勿論だ」


 トクン、トクンとフィリアの背中から心臓の音が、英雄のそれと重なって。

 お互いの呼吸が、密やかに響く。


「僕らがお爺ちゃんお婆ちゃんになっても、こうして居られるかな?」


「分からないぞ? 孫が沢山で死ぬまで賑やかかもしれない」


「それも良いね、でも時々は」


「ああ、時々は」


 こんな時間が持てると良い、二人は風呂釜が湧いた電子音がするまで。

 眠ったように瞳を閉じて、お互いの存在を感じていた。


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