第九章   蒼き時の彼方に   五

 試合後のミーティングで、改めて磯部と共に住金鹿島のデータに目を通していると「おっ、やってますねぇ〜、お二人さん。住金の先発はやっぱりエースの悠介かな」背後から上野が覗き込んできた。

「上野さん、石井悠介を知ってるんですか?」

 怪訝そうな顔で磯部が尋ねると、スコアブックに目を向けたままサラリと答えた。

「もちろん。大学時代にバッテリーを組んでた。石井は孝一とタイプが似てる。薄氷を張ったように繊細でもろい心を抱えながら、ポーカーフェイスでマウンドに立つ。似たもの同士の投手戦ってとこかな。明日の試合は、打線の踏ん張りが鍵を握るだろう」

 驚いた磯部が「なんてこったい!」とボールペンを放り投げ、大げさに両手をバンザイしてみせた。

 石井も磯部と同じく、日産自動車硬式野球部の出身であると聞いていたが、上野までが絡んでいたとは。

 妙に因縁めいたものを感じずにはいられなかった。

 磯部は九州、石井は本拠地の横須賀と、拠点こそ違えど、同じ釜の飯を食った仲だった。

「学年は俺の一つ下だった。いいものを持っているのに、なかなか芽が出なくてさ。二年もの間、苦しみに苦しみ抜いて、ようやく地獄から這い上がり、それからは飛ぶ鳥を落とす勢いで、ぐんぐん成長していった」

 一体なにが石井を変えたのだろう。ぜひとも聞いてみたいところだった。

「きっかけは何だったんですか」

「石井は才能に恵まれていながら、自分を活かし切れていなかった。チームメイトとも交わろうとせず、グラウンドでもなるべく目立たないように行動していたし、面倒なことからは、いつも逃げていた。ギラギラと燃え沸るものが感じられず、どこか冷めていた」

 俺とさほど歳も変わらず、大学時代に大きな挫折を味わっている点では、確かに似通っていた。

 あの頃を思い出せば、今でもジクジクと胸が疼く。

「だが、不思議と俺にだけは心を許してくれていた。俺も色々と目を懸けて可愛がっていたんだ。何とかしないと実力を発揮できないまま潰れてしまうと、もどかしい思いを抱えたまま、とうとう一度も登板の機会を与えられず、二年の月日が経った」

 住金鹿島のエースと呼ばれて久しい、石井の意外な過去に触れて、さらに興味が湧いた。

「石井の気持ちも、すっかり萎えちまって。そこで、少しショックを与えてみたらどうかと思いついてさ。ほら、止まった心臓に電気ショックを与えると再び動き出すだろ? 何か刺激を与えれば、また奮起できるんじゃないか、ってね」

 あと一歩が踏み出せずにいるとき、そっと背中を押してくれるお節介焼きの手が必要な時もある。俺もそうだった。

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