第九章 蒼き時の彼方に 四
「孝ちゃん、昨日の投げっぷりは見事だったねぇ。お父さん、見に来てたよ。久しぶりにホームでの試合だって言うからさ。孫を連れて見に行ったら、ばったり会ったんだよ」
カウンターで食事を受け取ろうとすると、厨房から声をかけてくる女性がいた。父の同級生だった。
色白で小太り、丸眼鏡を掛けた気のいい女で「おっかさん」と呼ばれ、親しまれていた。
「父が……ですか?」
そういえば、太田に来てからは一度も連絡を取らずじまいだった。
忙しい仕事の合間を、こっそり抜け出してきたに違いない。
リトル時代も時折、見に来てくれていたのは知っていた。
寡黙な父は多くを語らないが、常にひっそりと遠くから見守ってくれる人だった。
「しかし、見れば見るほど、いい男だねぇ〜。キリッとした一文字眉なんか、昔の洋平にそっくりだよ。お父さんもモテたんだよ。野球もできたしさ。でも、つまらない事件に巻き込まれて。可哀想だったよ。お父さんの分も、頑張んなよ。応援してるからさ」
勝手に言いたいことだけ言うと、さっさと厨房の奥に引っ込んだ。
「見れば見るほど、いい男だねぇ〜」
いつの間にか、隣に並んでいた磯部がいたずらっぽい目で絡んできた。
「うっせぇ、バカ」と突き放すように言い放って、近くの席に着く。
しかし磯部は全くへこたれる様子もなく、隣の席に座りこんだ。返事はないと知りつつも、あれこれと話しかけてくる。
懲りない奴。でも、不思議と憎めない、可愛い奴。
空っぽの胃に熱い味噌汁を流し込めば、起き抜けの体にじんわりと染み入っていく。
相変わらずお喋りの止まぬ口元を横目に見ながら、好物のだし巻き卵に箸をつけた。
まだほんのりと温かく、ふんわりとした食感を楽しみながら、炊き立てのご飯とともに頬張る。
ホッとする優しい甘さが、登板前のさざめく心をそっと包み込む。
「おっかさんの焼いた卵焼きが俺、一番好き」
嬉しそうに大口を開けて食べる磯部は、まだあどけない少年のようだった。
「おれも卵焼きが一番好きだ。さぁ、早く食って行くぞ」
最後の一切れをぶっきらぼうに口に放り込み、そそくさと席を立った。
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