第七章   登龍門   五

 再び喧騒が戻り、息も絶え絶えの悲痛なうめき声が狭いロッカールームに響き渡った。

「そぉ〜れっ、倍返しだぜぃ! くらえ、キャメル・クラッチ‼︎」

 うつぶせになった上野の背中に馬乗りになった磯部が首から顎をつかみ、海老反りさせていた。

「てめえ、大和! 汚ねぇ真似しやがって」

 抵抗を試みる上野を、さらに締め上げる。

 じゃれ合う二人を取り囲んだチームメイトたちが、やんやと野次を飛ばす。

 しょうもねぇ……苦笑いしながらスパイクを磨く。こびりついた土をブラシでこそげ落とせば、仄かに漂う戦の残り香。

 手入れに没頭するほどに、さざなみ立っていた精神は次第に落ち着きを取り戻していった。

 透明度の高まった静かな水面を覗き込み、追憶に浸る。

 改めるべき点や今後の課題など、客観的に振り返れる貴重な手入れの時間は、道具に対する気持ちを芽生えさせた。

 苦楽を共にしてきた道具たちと共に戦ってきた記憶は、心と体にしっかりと刻み込まれていく。

 雨で湿ったグローブの中面に新聞紙を細く丸めて詰め込んでいると、再びメロディー・コールが。

 気づいた磯部が上野そっちのけで、けんもほろろに駆け寄ってきた。

「武尊兄ちゃん、気に入ったって?」

 待ちきれないといった様子で携帯の画面を覗き込む。

GOOD JOB ‼︎ と銘打ったサブタイトルに、磯部が満面の笑みで合いの手を打った。

「っしゃ‼︎ 決まりやね」

 小躍りする磯部を横目に、画面をスライドさせていく。


【映虹、いい名前だ。カミさんもすごく気に入ったようだ。孝一に相談してよかった。

 この名前に決めようと思う。やはり、持つべきものは良き友だな。いや、悪友か?

 人生の悲喜こもごもをオセロに例えるとは、なかなか面白い。

 敷き詰められた黒をあといくつ白にひっくり返せるか。こればかりは、最後の最後までわからない。

 白黒つかないぜ。でも、トータルすれば人生は元が取れるって話を、俺は信じたい。

 孝一やマコと出会い、共に過ごした日々は、たくさんの黒を白にひっくり返してくれた。

 生涯の伴侶を得て、子供を授かったことも大きな白星となった。

 佳き人たちと巡り会えた幸せを今、しみじみと感じている。

 俺も孝一も、まだまだこれからだな。まずは初戦突破、おめでとう‼︎  頑張れよ】


「すいません。つい、勝手に読んでしまいました」

 振り返れば、背後で画面を覗き込んでいた磯部が申し訳なさそうに頭を垂れた。

「いや、いいんだ。それよりさぁ、本当に大和が名付け親になっちまったな」

 照れ臭そうに笑みを浮かべる磯部の目尻は、既に開いているのか閉じているのかわからないほどに垂れ下がっていた。

「映虹、待ってろよ。大和おじちゃんが、いっぱいプレゼント持って会いに行くからな」

 磯部の喜ぶ姿を背中に感じながら、再び携帯をグローブに持ち替えて手入れを始めた。

 





 

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