第七章   登龍門   二

 「いよいよ始まるな。これからの一戦一戦は、俺たちの登龍門となる。石に嚙りついてでも、登り切らなければならない。大和と一緒なら、不可能さえも可能になると思えるんだ。勿論、何の根拠もないけどね」

 磯部が含み笑いしながら「結構俺って頼りにされちゃってるんだ?」上目遣いで言い放った。

 軽くあしらわれているようで、やっぱり鼻につく。

 言わなきゃよかったと後悔しても、後の祭り。

「馬鹿野郎、真面目に言ってるんだ」

 不貞腐れる俺をなだめすかすように、あきれ顔の磯部が首を横に振った。

「ほら、すぐそうやってムキになる。俺はりゅう兄いがムキになるほど、何故か揶揄いたくなる。もっと力を抜いて。俺はりゅう兄いの期待を裏切りませんよ。立派に女房役を務めてみせますって」

 切れ長の細い目尻がきりりと引き締まった。その顔立ちが、あまりにも武尊と似通っていて思わず息をのんだ。

 きっと武尊もきたるべき展覧会に向けて、一心不乱に鑿をふるい、龍門の激流に果敢にも挑んでいることだろう。

 俺も負けてはいられない。

「気難しい旦那で手を焼くだろうが、よろしくな」

「わかってますって!」


          三


  試合前のロッカールームは独特の緊張感に包まれていた。

 初戦の相手はJR東日本東北。

 庵原球場にて、正午きっかりに試合開始の予定だった。

 すでに第一試合は始まっていた。時折、降って湧いたような会場のどよめきが微かに耳をかすめた。

 ロッカールームでは、各自が思い思いの時間を過ごしながら身支度を整え、心を整えていく。

 気の置けない仲間と談笑を楽しむ者、携帯電話とにらめっこしながら器用にメールを打つ者、静かに読みかけの本のページを捲る者。

 選手たちの調子の良し悪しが垣間見えるのもロッカールームならではの光景だ。

 俺はと言えば、ヘッドフォンから流れるお気に入りの曲に聞き入り、何者をも寄せ付けない強烈なオーラを放ちながら、どっぷりと自分の世界に浸っていた。

 二度と戻ることのないはずだった特別な場所に、時を経て再び舞い戻ってきた。

 調子の良い時は、早くマウンドに立ちたくて逸る心を鎮めるのに苦労することもしばしばだった。

 しかし調子の悪いときには、閉塞された空間が牢獄のように思えて、何度逃げ出したいと思ったことか。

 心ノ臓が締め付けられ、吐き気を催すほどの恐怖感に襲われることもあった。

 そんな時は、逆にマウンドに立つことでかえって腹が据わり、ほっと胸を撫で下ろしたものだった。

 懐かしい痛みが、喜びが、同時に胸の奥をくすぐった。

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