第五章   風立ちぬ   八

 年に一度の納会が終わり間もなくして、確氷はグラウンドから姿を消した。

「風邪をこじらせて自宅で療養している」

 沼田からの説明はあまりにも素っ気なく、府に落ちなかった。案の定、一週間が経ち、二週間が経っても確氷は現れなかった。

 ちょうど去年の暮れにも検査入院していた経緯があり、部員たちの間でも良からぬ憶測が飛び交った。

《本当のところ、どうなんだろう》

 誰もがそう思っていたに違いない。しかし誰一人として、口に出そうとはしなかった。

 そうこうしているうちに、今年も残すところ一週間を切り、今日は練習納めだった。

 風邪も止み、穏やかな午後の日差しのなか、主将上野の掛け声に続きグラウンドを走る。軽くストレッチをしたあとキャッチボールで体を慣らすと、次はシートノックで投内連携の確認をしながら声を出し合った。

 硬球が小気味良い捕球音を響かせながら、縦横無尽にグラウンド内を飛び回った。

 その後はグラウンド整備をした。土色に変色したホームベースなどは、スプレーで真っ白に塗り替えると新品さながらに生まれ変わった。

 上野からの指示で、孝一は磯部と共にブルペンのマウンド整備を任された。

 スパイクの刃が喰い込んでできた穴。その周りに飛び散った土をトンボを使って掻き集め、戻していく。シューズで何度も踏み固めながら、さらにトンボを立てて平らな部位で上から叩いて仕上げていく。

 ざらりとした土の感触と独特の香りは、心をクールダウンする大切な時間だった。

 二つ並んだ蒲鉾型のマウンド。隣では磯部も黙々とトンボで土を叩いていた。今ならきっと聞こえないだろう。

「俺が試合に出るようになったら、やっぱり捕手は大和がいいよ」

 ずっと心で温めていた想いを、小声でそっと呟いてみる。

「りゅう兄ぃ。今、なにか言いました?」

 トンボを持つ手を止めた磯部が、切れ長の細い目を更に細くしながら問い掛ける。

「別に。なんでもねぇよ!」

 夕闇迫るグラウンド。紺青色の空に深く欠けた三日月が凍えていた。

「全員、集合してくれ‼︎」

 主将上野の良く通る声がグラウンド内にこだまする。たちどころに顔ぶれが揃った。

「グラウンド整備、ご苦労様でした。沼田部長から大切なお話があるようなので、聞いてください」

 きっと確氷の話に違いない。

「皆も心配していると思うが。確氷監督は重い肺炎と診断され、しばらくの間入院する。一昨日、お見舞いに行って来たが、残念ながら面会はできなかった」

 沼田はズレた眼鏡を直しながら、伏し目がちに語った。

《沼田部長は真実を語ってはいない》

 部員たちの気持ちを代弁するように上野が訊ねる。

「監督、大丈夫なんですよね?」

 沼田の肩が大きく上下する。ややあって、開いた口から語られた言葉も、釈然としないものだった。

「去年の今頃にも入院騒ぎがらあっただろう。きっと、長年の疲れが溜まっているんだろうな。監督には、これを機にしっかりと治療に専念して貰いたいと思う。我々は来るべき来シーズンに向けて、各自がやるべき事をしっかりとやって、監督の復活を待とう。以上だ」


 

 

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