第五章 風立ちぬ 一
この日から、沼田との二人三脚の日々が始まった。
「いいか、孝一。アンダースローは下半身に大きな負担がかかる投法だ。先ずは土台となる下半身を重点的に鍛えていく。持久走でスタミナをつけ、ダッシュ走でパワーとスピード、俊敏性を養う。それプラス、スクワットで筋力向上を図っていく」
沼田は孝一にかかり切りとなって指導にあたった。
三月も中旬になって一軍が関西遠征に出かけて行く姿を横目に、孝一はホームグラウンドで黙々と下半身強化メニューをこなした。
午前はランニングと筋力トレーニングに費やし、午後になるとようやく投球フォームの指導を受けられた。
オーバースローで肩の力を使い、上から投げていた時とは全くフォームが異なって、下からすくい上げるような投法のアンダースローは、かえって新鮮味があり面白かった。
沼田の教え一つ一つを、孝一は乾いたスポンジのように吸収していった。
第五章 風立ちぬ 二
暦がめくられ、四月一日は富士重工業の入社式だった。
リクルートスーツに身を包んで就職活動をすることもなかった孝一だが、この日ばかりは新入社員よろしく、澄ました顔で式典に参加した。
右を見ても左を見ても、だいぶ年下の初々しい面々が、緊張した面持ちで社長の訓示に耳を傾けていた。
そのとき、斜め後ろから軽く肩を叩かれて内心ムッとしながら僅かに振り返った。
短く刈り上げた頭に、はにかんだ笑顔。武尊の顔と重なって、孝一は思わず息を呑んだ。
少々上がり気味の太い一直線眉に、切れ長の一重の目。浅黒い肌に引き締まった口元からこぼれる白い歯が印象的な青年だった。
「桐生孝一さんでしょう? いまアンダースローを覚えてるんですってね。俺も野球部なんです」
まだあどけなさの残る顔をした青年は、人懐こそうな笑みを湛え、軽く会釈をしてきた。
「ポジションはキャッチャーです。もしかしたらバッテリーを組むかもしれませんね。その時は宜しくお願いします」
驚いた。こんな奴が野球部にいたか。初顔合わせのときには見かけなかった顔だった。
「名前は?」
「磯部大和です」
強引に握手の手を取られ、孝一は少々面食らった。しかし、初対面にもかかわらず妙な親近感を覚えるのは武尊と似ているからか。
入社式が済んでからは、社内勤務も始まった。孝一は磯部と共に総務部に配属され、書類の整理やコピーなどが主な仕事となった。
ときには車の販売促進のイベントも手伝った。野球好きの顧客がいると聞けば営業マンと出かけて行き、野球談義に花を添えたりもした。
基本的に午前中は社内勤務、午後からは野球の練習に時間を割り当ててもらえた。
磯部とは仕事を共にしながら色々な話をした。磯部は福岡県出身の九州男児だった。
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