第四章 風神 三
野球部? ウスイ ヘイハチ?
そうか、思い出した。上毛新聞のコラムで紹介されていた富士重工業硬式野球部監督の碓氷平八さんだ。間違いない。
小さな囲み記事に書かれていたのは、不況の煽りを受け、廃部の噂も実しやかに囁かれるなか、伝統ある野球部の存続を懸けて奮闘する碓氷監督の姿だった。
《富士重工業》は日本を代表する重工業メーカーの一つである。自動車部門をはじめ、航空宇宙部門、産業機器部門、エコテクノロジー部門など事業内容は多岐に亘った。
歴史は古く、太平洋戦争時には、零戦や隼、疾風などの戦闘機を製造していた。
自動車部門に於いては、すべて群馬県に集結していた。国産車を代表するブランドの一つ、スバル車の全てが太田市を拠点として、県内に五つある巨大工場で製造されていた。野球部も此処に拠点を構えて活動していた。
ややこしい漢字の並ぶ会社の概要を通り越して、富士重工業硬式野球部のブログにアクセスした。
美しい人工芝のグラウンドに電光掲示板。プロ顔負けの球場をバックに、監督をはじめとするスタッフ八名、選手二十七名の錚々たる集合写真は圧巻である。
最前列中央に少々メタボ気味の少し張り出した下腹。大股にしゃがんだ太腿に、固く握りしめた拳を乗せて、真っ直ぐにカメラを見つめる二つの眼。
祖父の敬三が和菓子を作る際に見せた職人気質の佇まいと、とてもよく似ていた。
ジャンルは違えど、水晶みたく澄み切った力強い眼光は、同じ輝きを放っていた。
そうだ。この人が碓氷平八に違いない。
野球部の創立は一九五三年。企業の宣伝広報と、社内の士気高揚を目的として創部した。 社会人野球の三大大会の一つである都市対抗野球大会では、一九六九年に準優勝。最近では、二〇〇八年にベスト四にまで登り詰める健闘ぶりを見せた。
また、日本選手権では、一九八一年と二〇〇六年に全国優勝を果たしていた。
言わずと知れた、社会人野球の名門である。活動報告の中で掲載されている、大応援団の姿を写した一枚の写真。
大きな大会になると関連企業も含め、約一万五千人もの大応援団が駆けつける。
観客席いっばいに掲げられる『スバル・ビッグ・フラッグ』は名物となっていた。
地元との交流も活発に行われており、多くの人たちから愛され、支えられている球団なのだとわかった。
しかし、華々しい歴史と伝統を築き上げた球団が今、経費削減の名目で窮地に立たされているとは、なんとも惜しい話である。
それにしても、面識のない相手に監督が直々に電話をかけてよこすとは。
如何なる用件なのか、気になるところではあった。パソコンの電源を落として、少し早めに床に入った。
また明日から、重い老舗の暖簾を背負う男の、忙しない日常が待っているのだから。
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