第二章   雷神   四

 別れの時とは、いつも突然にやってくる。そう、季節はずれの遠雷のように。

 席を外した武尊が、なかなか戻らないことに業を煮やし、真琴がそわそわと落ち着かない様子で目を泳がせている。

 嫌な予感に、胸がざわざわと騒ぎ立った。

 お互いに一言も言葉を交わさないまま、いたずらに時が過ぎていく。 

「ちょっと行って見てくるわ。この店は迷路みたく入り組んでるから、帰り道がわからなくなっちゃったのかも」

 そうであってほしかった。しかし、なぜか今回ばかりは、そんな気楽な思いつきも的外れに終わりそうだった。

 晴天の霹靂か。それとも虫の知らせか。

 思考の域を通り越して、心の奥深くにダイレクトに訴えかけてくる焦燥感を見過ごせなくなっていた。

「待てよ、俺も行く」

 立ち上がろうとテーブルに手をついた瞬間、ピシッと尖った音がして、武尊の猪口が真っ二つに割れた。

 一瞬、あのギラギラと血走った目の男が脳裏を過った。

 間違いない。武尊、待ってろ‼︎

「やだ、どうして‼︎」

 悲鳴にも似た声を上げ、靴も履かずに真琴が部屋を飛び出していく。

 遠ざかる背中を見失わぬよう、後を追った。何処を、どう進んでいるのか見当もつかないまま、走った。

 ようやくたどり着いた入口の扉の前に、そわそわと落ち着かない様子の店長が立っていた。

「あっ、真琴さん! お連れのお兄さんが、まずいことになっちゃって。今、外でチンピラ風の男と揉み合いになってて」

 動揺しきりの店長の言葉を聞き終わらぬまま、白づくめの天使が重い木製の扉を開けた。

 強い雨と風が、容赦なく真琴の顔を叩きつけた。

 次の瞬間、閃光に目を眩まされ、続いて耳を劈く雷鳴が蜷局を巻いた。

 怒りに赤く染まる雷神が、鬼の形相で暴れ太鼓を打ち鳴らし、艶めかしくジメジメとした鱗を光らせた青大将が、怪しげに牙を剥く。

 両者睨み合ったまま、一歩も引く気配はなく、互いの出方を窺っている。

「やめて! 危ない‼︎」

 言うより先に、真琴が青大将の前に立ちはだかった、

 俊敏な爬虫類の目が、格好の獲物の登場に狙いを定めた。一瞬の出来事だった。

 本能剥き出しの鋭い牙は、急所を心得ている。突き立てられた狂気が、柔らかな獲物の体に、ぐいぐいと喰い込んでいく。

 畜生道に堕ちた青大将は、執拗にとどめを刺していく。

 これは、よく仕立て上げられた夢物語に違いない。そうだ、そうに決まっている。

 いきなり目が覚めて、気がつけばベッドの中で微睡みながら、深い安堵の吐息を漏らす。

 それでいい。覚めろ、覚めろ。一刻も早く。

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