第一章   なごり雪  二

 渡良瀬川は川幅もあまり広くなく、流れも穏やかで、春の川辺にはセリが群生した。

 みずみずしい若葉は香りがよく、サラダにしたり、おしたしにしたりと、地元では春の七草の一つとして好んで食されていた。

 夏になれば飛び交う蛍が幻想的な光の饗宴を催し、人々の目を楽しませた。

 晩秋の夕暮れ、川沿いのすすきが茜色の風に吹かれ優雅にそよぐさまは郷愁を誘い、冬将軍の訪れと共に雪化粧された川辺は、墨絵の世界に迷い込んだような錯覚を覚えた。

 四季折々に豊かな表情を魅せる渡良瀬川は、子供たちの絶好の遊び場として親しまれていた。

 渡良瀬橋の少し手前には、人工的に造られた緩やかな段差があり、結構な深さもあった。

 血気盛んなガキ大将どもは、橋の欄干から高さ三メートルは優に超える川面を目指して飛び降り、度胸を試された。

「勇者の儀式」と称された危険な遊びは、一人前の男として認めらるための登竜門。

 孝一も誇り高き勇者の一人だった。

 今となっては危険すぎるとして、飛び込みは固く禁じられているが、穏やかな水辺は昔から変わることなく、豊かな恩恵をもたらしていた。

 美しい長閑な故郷は、孝一の輝かしい幼少期の思い出が詰まった聖地でもあった。

「あの頃の俺に会えたなら、今の俺を見てどう思うだろう。頑張っているじゃないかと、褒めてくれるだろうか? それとも愚か者と罵られるだろうか」

 取り留めのない思いを巡らせるうち、いつしか孝一は、コバルト色に輝く膨大な記憶の海に呑み込まれていった。

 懐かしいリトル時代のユニフォームに身を包んだ、まだ華奢な右手が、祖父の敬三に初めて買って貰ったお気に入りのグローブをはめ、屈託なく笑いながら手を振っている。

「お〜い! 孝一ぃ〜!」

 応えるように強く逞しく成長した左手を、ちぎれんばかりに振り返す。

 なぜだろう、涙がとめどなく溢れるのは。

 記憶の中の孝一は、何も答えてはくれなかった。けれども、確かにキラキラと眩いほどの輝きを放っていた。

 


 

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