第一章 なごり雪
一瞬、眩い光が孝一を包み、目が眩んだ。が、次第に周囲がはっきりと見えてきた。
「ここは美里町だ! でも、なぜ......」
見慣れた風景は、孝一が生まれ育った長閑な田舎町であった。
上毛三山の一つである名峰、榛名山の麓に位置しており、県都前橋から高崎市街までを広く一望できた。
「次は美里、美里に止まります」車掌の無機質な声が車内に響く渡った。
見覚えのあるバス停が視界に入ってくる。『渡良瀬橋前』だ。
子供の頃から、孝一は「渡良瀬橋」という名前が好きになれなかった。
代々、美里町の人々に語り継がれている、古くからの伝説が原因だった。
【不徳を積む者、丑三の刻に渡良瀬橋を渡るべからず。さもなくば、古の彼方より、渡良瀬川を守りし神の遣い、純白の龍、出ずるであろう。その二つのまなこ、業深き人間どもの汚れし血の色にそまりけり。その紅のまなこ
、真の心見定めし。偽りあらば、その汚れし御霊、たちどころに喰らい尽くすべし。これを以って仁となす】
初めてこの伝説を聞かされた子供たちは、皆一様に震え上がり、己のささやかなる罪を真剣に詫びたものだった。
しかし、それも一時のことで、大人になれば懐かしい思い出話として物笑いの種となるくらいの、戒めを兼ねた先人たちの教えでもあった。
だが、子供の頃に植え付けられた恐怖感はそうそう消えるものでもない。
大人になった今でさえ、罪の意識に苛まれる日には、長閑な田舎町を流れる渡良瀬川には不釣り合いなほど鮮やかな朱色に彩られた渡良瀬橋を思い出す。
そればかりか、こう思う。
「俺は橋を渡る資格のない男さ」と。
バスは、そんな孝一の思いを知ってか知らずか、寸分の狂いもなく所定の位置に止まった。
妙な体の重苦しさはそのままに、どうにか立ち上がり、降り口に向かう。
全く隙のない、美しい立ち姿の車掌に軽く一礼して、タラップを降りようとしていた。
その刹那、不意に透き通るように白く美しい、氷のような冷たい手が、孝一の左手を捉えた。
一瞬で身体の自由が奪われた。
車掌は大切な秘密を打ち明けるみたく、そっと耳元で囁いた。
「深入りしてはなりませんよ」と。
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