ざわざわする
「……」
無言で目頭を揉みながら、彼は背もたれに背を預けた。
出来る限りの根回しは終えた。後は自宅に居る『妻』に告げるという仕事が残っているが、それは夫として毅然として態度で臨むだけだ。
新婚間もない状況で側室を得ることに、彼女の実家が面白くない表情を見せるのは安易に想像出来る。
そこはまた相手方の領地に出向いて話し合いの場を持つだけだ。
「……」
開きかけた口を閉じ、彼は微かに震える左手を右手で掴んだ。
息を深く吐いて……自分の覚悟が決まるのを待つ。
覚悟は決まっている。
遠征中ずっと一緒に居て嫌でも気づかされた。
やはり変わらず愛しているのだと。自分の心がそう告げて来るから。
チラリと視線を外に向ければ……チラチラと白い雪が舞っていた。
今日は止めておこうと胸中で呟き、彼は右手で一度顔を撫でた。
「明日だ。明日フレアの元に行って告げる。それで良いだろう……ハーフレン?」
彷徨う心に言い聞かせるように告げて彼は顔から手を退けた。
「……」
特に変わった様子は見えない。
立木の下、枝張りの良い木を傘替わりにフレアはずっとその場所を見ていた。
結局近くに行くことが出来ず、離れた場所から覗くだけになってしまった学びの場。
幼かった自分が日々駆けまわっていたその場所は、今日もあの頃とは変わらず平和そうだ。
立ち上る煙はたったの2本だ。自分たちが通っていた頃などはその数倍の爆発……ちょっとした事故が起きるのが普通だったのに。
「先生が黒いカサカサを怖がって大暴走したっけ」
クスクスと小さく笑い、しゃがんだ姿勢のフレアは懐かし気に目を向け続ける。
自分が通っていた頃の生徒は全員居ない。大半は卒業し、国の中枢で仕事を成しているはずだ。
でも自分を含めてちゃんと卒業して居ない者も多い。
あの日狂って同級生を殺して回った者も居る。
狂った同級生に殺された者も居る。
何より戦場に赴いて帰って来なかった者の方が多い。
嫌な時代だったとも言える。今はやはり平和なのだろう。
「さようなら。……ありがとう」
ポロッと涙を溢し立ち上がったフレアは、もう足を踏み入れられない場所に背を向けた。
自分はあの場所に入るには相応しくないのだから……そう思っている女性は、真っ直ぐ定宿にしている店へと向かう。
明日……親友2人に別れを告げたらこの王都から出て行くと決めていた。
もうこれ以上この場所に居たら……心が砕けて自分で無くなってしまいそうだからだ。
「……」
机の上のケーキを見つめて思う。
やはりイチゴが恋しい。野イチゴとかではなくイチゴだ。赤くて甘いイチゴだ。
「どうしたんですかアルグスタ様?」
「うむ。そろそろ本格的に行動に出るべきか悩んでいたのだよ」
「……ケーキを見つめて悩むって大丈夫ですか?」
フランク過ぎませんかクレアさんや?
まあ確かにケーキを見つめて悩む上司が居たら不安に思うな。
僕だったら間違いなく『ここだけの話』と称して会う人会う人に言って話を広げる。
「実は……果物の品種改良を考えています」
「ひんしゅかいりょう?」
何故首を傾げるクロストパージュ家の娘よ? 君の実家も品種改良した小麦を栽培していることは有名だぞ?
「イネル君。説明どうぞ」
「……良い。クレア? 品種改良は良いもの同士を掛け合わせてより良いものを作ることだよ」
「つまり馬鹿なクレアと頭の良いイネル君との子供は期待できそうにないから、頭の良い別の子とイネル君との子供を作れば頭の良い子が生まれるかもねってこと」
「ふ~ん」
パクパクとケーキを食べていた少女はしばらくしてから言われた言葉を飲み込んだ。
目を見開いてケーキを机の上に置くと、優しい旦那さんに駆け寄り抱き付いた。
「ダメ~。わたし頑張るから……ダメ~」
「大丈夫だよ。アルグスタ様の冗談だって」
結構本気で言いましたが、涙目で頬を膨らませてこっちを睨むクレアに事実は言えない。
「つまり良い物を作る努力をするって言うことかな。それを考えているのだよ」
「……それをすると何が起こるのよ?」
膨れっ面でクレアが言って来る。
想像力の無い子だな。妄想力はあるくせに。
「甘くて大きいイチゴが出来るかも知れません」
「……」
数度瞬きをしてクレアが僕の机の上に乗るケーキを見つめる。
ちょこんと小さな砂糖漬けされた野イチゴが乗ったケーキだ。それでも贅沢品だ。
だがしばらくのイチゴを見つめ……彼女は気付いたらしい。あれが大きくなったらという未来を。
「アルグスタ様」
「ん?」
「頑張ってください。ケーキの為に」
両の拳を握って真剣な眼差しでそう言うクレアは……ある意味でブレが無い。
「……」
「どうしたのノイエ?」
「ん」
さあ寝ようと思ったら本日のノイエは甘えん坊さんになった。
返事をするだけで抱き付いたまま離れない。
「ノイエ?」
「……ざわざわする」
「何処が?」
「ここ」
少し体を離して彼女の自分の胸を指す。
相変わらず綺麗な形をした谷間に視線が吸い寄せられたよ。
「胸が?」
「うん」
言ってノイエがまた抱き付いて来る。
胸を押し付けて来るのは……ざわざわが不快で紛らわせたいのかな?
「なら今夜は『ぎゅ~』としたまま寝ようか」
「はい。ぎゅ~」
少し嬉しそうにアホ毛を揺らしノイエが抱き付いて来る。
うん。たまにはこんなのんびりとした夜があっても良いはずだ。
毎晩激しいのは……僕の体が本当にもたないから。
だけどノイエが寝静まってからしばらくしてファシーが出て来て……多くは語らない。
~あとがき~
四者四様のはずなのに…主人公夫婦がオチに回る作品です
(c) 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます