人殺しよ

 夫のデルグドとの連絡が途切れたと聞いたソフィーアは、床に転がる衣服を身に付けてその場所を出た。


『あの人たちに相談して来る』と言うのが彼との最後の会話だ。

 別に相手のことを何とも思っていなかったので感傷に浸ることも無い。

 相手とて同じであろう。自分の妻が他の男に抱かれている所でそんなことを言っていたのだから。


 一度足を止めて、ソフィーアは出て来た工房に目を向ける。

 持ち運べそうな物を漁る者や、製造中の薬を急いで回収しようと器の腹に短剣を突き立てる者も居る。

 そんなことなどせず急いで逃げるべきだと……鼻で笑って彼女は急ぎ離れる。


 王国の密偵による工房の襲撃は聞いていた。

 あちらは取り締まる方でこちらは取り締まられる方だ。

 ならばどんな手を使ってでも……自分たちの存在を見つけ出すことぐらい容易に考えられた。


 きっと優秀な者たちなのだろう。自分とは違って。


 自嘲気味に笑いながら、通りを行く彼女の服装は酷い物だ。

 貧民かと思わせるほどのボロ身に纏い、髪の毛もボロボロで手入れもされていない。

 その容姿だからこそ……先行して来たミシュも『違うよね?』と見逃してしまった。


 間もなくして最後の工房が強襲され、薬製造の根幹が断たれた。

 だが主犯であるデルグド・フォン・アーグルと、その妻であるソフィーアの行方は判明しなかった。




「亡命したか?」

「可能性は否定できません」

「一応国境に使いを走らせ、確認を」

「もう走らせています」

「ミシュか。便利だな」


 食事を摂りながら走り続ける小柄な少女の苦労など一切気にせず、ハーフレンは綺麗に纏められた報告書を最初から目を通し……最後にサインを入れた。


「俺の謹慎明けの当日に届けて来るとはな」

「はい。貴方が動くと全てを刈り取る不安がありましたので」

「そっちの方が楽だろう?」

「……恨みが全て貴方様に向けられます」

「構わんだろう」


 腕を組んで不敵に笑う主にコンスーロはやれやれと頭を振る。

 今日の主は珍しく騎士の正式な装いだった。


「お詫びに行くのですか?」

「ああ。俺が悪いとは言え陛下にも迷惑をかけたからな。それにこれの報告もある」


 受け取った報告書を振り……ハーフレンは頭を掻いた。


「……フレアは?」

「本日はお屋敷で休むと」

「……そうか」


 報告書を読む限り、彼女が何をしたのかが良く分かる。

 分かるからこそ……ハーフレンは言葉を続けられなかった。


 壊れてしまいそうな彼女を救いたいが一心だった。

 だが自身の行いが、増々彼女を壊してしまったのだ。


「なあコンスーロ」

「はい」

「……何でもない。ご苦労だった」


 言いたかった言葉を飲み込み、ハーフレンは立ち上がる。


「あの巨人とか呼ばれた男は見つかったのか?」

「まだです」

「ミシュが戻って来たらそれの捜索に当たらせろ」

「"掃除"しても宜しいのですか?」

「構わん。まあ……俺自身の手で掃除したいがな」


 立場の上では難しい。

 それを理解しているからこそハーフレンはミシュによる『掃除』の許可を出した。




「おんや~」


 国境に向かい突き進んでいたミシュは、足を止めて立木の後ろに隠れる。


 前方に見えるのは、現在は共和国との国境の要と言えるユニウ要塞だ。

 ユニバンスが誇る平地最大の要塞なのだが……不思議なことに争いが起きている。

 どう見ても殺し合いをしている。嗅ぎ慣れた血肉の匂いだ……間違いない。


「うわ~。外れ引いたっ!」


 現在ドラゴン騒ぎで共和国は遠征など出来る状況ではない。

 お陰でユニウ要塞は最小の人員で警備に当たって居たのだ。


 そんな要塞が襲撃を受けていると言うことは……味方だった者たちの犯行が強い。


「また王都に戻るのかよっ! ……良いですよ。やりますよ。でもその前に少し覗いて行くか」


 やれやれと頭を掻いて、ミシュはその小柄な体型を生かして要塞へと潜入を試みた。




「久しぶりね」

「……ええ」


 雨が降りだしそうな天気だ。

 今にも泣き出してしまいそうな状況で……フレアは屋敷を出て共同墓地に来ていた。

 自分たちの先輩にあたるミローテが収められている墓石の前に彼女は居た。居ると思っていた。


「ねえフレア?」

「なに?」

「わたしの実家はどうなったの?」

「……」


 泣き顔を向けて来る彼女に、出会った頃の面影はなかった。

 優し気な面持ちの顔には影が差し、何より成長したであろう体を覆う衣服はボロボロで酷い。

 目の前に居る女性……ソフィーアが『貴族の娘』だと言われ、信じられる者がどれ程居るか。


「降級処分を受け領地は没収になったわ。貴女が頑張っても貴女の両親には領地を運営する力は無かったの」

「そう……」

「今は王都住まいの名ばかりの貴族よ。貴女以外に子供も居ないから……両親が亡くなれば貴女の家は潰える」

「そう、ね」


 泣いたまま笑い……ソフィーアはゆっくりと墓石を見つめる。

 冷たく鎮座するそれは、師である彼女について行って命を失った人物のなれの果てだ。


「結局わたしたちはあの部屋に入れられて……全てを失ったのね」

「そうかも知れない。でも……得た知識を正しく使えば良かっただけ」

「貴女ならそう言うでしょうね。何せ王子様の婚約者で、大貴族の令嬢。得られる物の全てを持った人なんだから!」


 泣き叫ぶ彼女に、フレアはただただ冷たい目を向ける。

 天から一粒落ちて来た滴が、少女の頬を涙のように伝う。だがフレアは泣いてなど居ない。


「ええ。わたしは全てを得たわ。幸運も幸せも愛情も何もかも」

「……」


 相手の様子にソフィーアは息を飲んだ。

 自分の知らない別の何かがその場に居たからだ。

 友人の姿形をした……本物のなのに偽者にしか見えない少女が。


 雨の滴で作った涙を頬に浮かべ、フレアは冷たく笑う。


「そして絶望と悲しみと……ある罪も得た。人殺しよ」


 口元に手を当てソフィーアは泣いた。

 目の前の少女は……自分の知るフレアでは無くなっていたのだと知って。




~あとがき~


 夫を殺され逃れたソフィーアは友の元へ。

 だがその場に来たのはソフィーアだけでは無かった。

 同じ歳で、同じ師に学んでいた親友でもあるフレアも来ていたのだ。

 そしてソフィーアはその事実に気づく。親友が心を病んでしまっていることを。


 いずれ書くであろう学院の話で描かれますが、しっかり者のミローテ。真面目なフレア。優しくて苦労を背負いがちなソフィーアは、師であるアイルローゼを含めて3人がやらかした後始末をする立ち位置に居ました。

 結果として…1番3人のことを見ていたのかもしれないですね。


 だからこそフレアの変化に気づいて、そして…




(c) 甲斐八雲

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