もう彼女しか居ないのよ

 ハーフレン王子の"副官"として扱われているコンスーロは、凄い勢いで集まる情報に困惑していた。

 主人たる彼はまだ自身の屋敷で静養中だ。そしてコンスーロ自身もまた王子が大怪我を負うと言う大問題に頭を悩ませつつも、国王陛下に対して言い訳……経過報告などをしていた。

 指示を出すべき者が不在で密偵たちは、与えられている任務以外は通常任務をしているはずなのに……おかしなくらいの報告がもたらされる。


 一度思考を止めてコンスーロは、改めて主のことを思う。


 いつも通りに護衛も連れず、王国軍の荒くれ者たちと殴り合いの喧嘩……唯一いつもと違ったのは、彼が負けて怪我を負ったと言う一言だ。

 せめて自分が傍に居ればと思いながらも、実質的な副官として忙し過ぎるほど仕事を背負っている。


 そんな最中にもたらされたのが、今回の大量と言える報告だった。

 事細かに出されている指示は、貧民街で見つかる死体の細部の報告までもが求められている。

 何かを探しているような……そんな気配を感じ、コンスーロは全ての仕事を止めて移動していた。


 騎士棟に出向き、警護の騎士に身分証となる腰の飾りを見せて足を速める。

 向かう先は主の執務室だ。


「失礼します」


 ノックもせずにコンスーロは扉を開けた。


 来る前に確認したが、主は屋敷に居た。居るのだ。

 と、彼の目が細まる。『やはり』と言う気持ちが強かった。

 普段主が座っている椅子に腰かけ、恐ろしい勢いで報告書に目を通す少女……彼女のことをコンスーロはよく知っていた。


「フレア様」

「……」


 彼の呼びかけに一瞬視線が動いただけでまた元に戻る。

 勢い良く資料に目を通しペンを走らせる彼女に……コンスーロはゆっくりと歩み寄った。


「フレア様。お止めください」

「嫌」

「ハーフレン様は貴女にそのような仕事は望んでません」

「でも嫌」


 チラリと向けた視線の先に、コンスーロはそれを見つけた。


 無造作に置かれている書類の山は、例の薬を使用し続けた者の末路が書かれていた。

 激しい中毒症状と破壊衝動に、最後は精神を壊し人でなくなる。

 人が獣に戻る薬……密偵たちの間ではそのように呼ばれている。


 その隣りの山には中毒者によって襲われたのであろう女性の報告書もある。

 余りにも生々しい内容は、第二王子の正室となる彼女が知るにはふさわしく無い内容だ。


 それなのに……コンスーロが向けていた視線の先にフレアが置いた新しい報告が重ねられる。

 少女は顔色一つ変えずに全てを見ているのだ。


 あの日を境に2人とも変わってしまった。

 こうしてしまったのは戦場に子供らを引きずり出した自分たちのせいだと……彼は自覚し嘆きたくなった。


「コンスーロ」

「……はい」


 ずっと資料を見つめペンを走らせていた少女がその目を向けて来る。

 冷たいガラス玉のような目だ。


「至急ここに書かれている場所を調べて」


 突き出された紙を受け取り、コンスーロは舌を巻く。

 頭の良い子だとは知っていた。処刑されたあの魔女の弟子を務めていたほどに。

 と同時にその恐ろしさをコンスーロは感じていた。

 手渡された紙に書かれていた物は、彼らがどれ程調べても得られなかった情報の一端が書かれていた。


「それと1人、探して欲しい人が居るの」


 紙に書かれていた薬の製造方法……ただ材料を混ぜただけでは完成しないそれの謎を解く事柄に目を向けていたコンスーロは、目の前の少女が主と同じ気配を漂わせていることに気づいた。


「ソフィーア・フォン・アーグル。旧姓ソフィーア・フォン・ムルストン。わたしと同じ先生の弟子よ」

「……理由を伺っても?」


 少女は一度目を閉じて、覚悟を決めたように開いた。


「……あの術の全容を知っているのは、もう何人と居ないから」


 答えフレアは椅子から立ち上がる。


「わたしが知る限り、現在あの術を使える可能性があるのは3人。

 わたしとキルイーツ・フォン・フレンデと……そしてソフィーア」


 ゆっくりと歩いて窓際に立った少女は外に目を向ける。


「ただわたしには術式の才能が無いから作れない」


 最初に自分を容疑者から外す。


「キルイーツは自分の"娘"を本当に可愛がっていた。だから使わない。使えない」


 自分の妹夫婦を嚙み殺されても、自分自身噛みつかれ死に掛けても……彼は最後まで自身の娘を抱きしめていたと言う。だから彼があの術を使う訳が無い。あの術は彼女自身なのだから。


「そうなると残っているのはソフィーアだけなの。死者が魔法を使えるなら別だけど」


 窓ガラスの反射越しにコンスーロを見つめ、フレアは息を吐いた。


「彼女の実家は借金が膨らみどうにもならなくなっていた。唯一の手段として裕福な下級貴族に娘を嫁がせて返済の目途を立てていたけれどそれも失敗した」


 悲しい思い出のはずだが、フレアの心は微塵も動かない。

 別に悲しくもない。ただ愚かなことだと思えて仕方ない。


「結局彼女は地方の下級貴族に嫁いだ。非合法な商品を扱う商人紛いなことをする人物の元に」

「だから探せと?」


 コンスーロも窓ガラスの反射越しに彼女を見つめる。


「だって……もう彼女しか居ないのよ。リグの『治療魔法』を知る人は」


 冷たく響く言葉にコンスーロは小さく息を吐いた。

 そしてもう一度握り締めたままの紙に視線を向ける。


 薬の製造場所と思われる拠点が数か所とその薬の製造方法。

 他国で産み出された治療魔法を使ったそれを見つめて……コンスーロは首を左右に振った。


「動いてくれる?」

「ええ。貴女は決して……ハーフレン様を裏切らない」

「そう」


 あの術を知る自分とて容疑者の1人だとフレアも自覚していた。

 だからこそ学友である彼女を身代わりにする……そう思われても仕方ないのだ。

 だがコンスーロは目の前の少女がどんな性格なのかを知っていた。

 決して彼女は『彼』を裏切らない。少なくとも過去の彼女なら絶対だ。


「フレア様」

「なに?」

「これ以上勝手に動かれませんように」


 一礼をしてコンスーロは部屋を出た。


 だが窓の外を見つめているフレアの目にはまだ感情は戻っていない。

 このままでは終われない。

 彼を傷つけた者たちを全て引きずり出して殺さなければ気が晴れない。


「大丈夫ソフィーア」


 微かに笑いフレアは言葉を続けた。


「わたしが貴女を先生とミローテの元に送り届けてあげるから」




~あとがき~


 そして押し寄せる怒涛のシリアス展開。


 たぶん存在を読者に忘れられつつあるであろうソフィーアが捜査線上に浮上して来ました。

 アイルローゼの3人の弟子の1人ですよ? 思い出せましたか?


 そしてフレアは仲間であり、友であったソフィーアを本当に?


 シリアス過ぎて、ここで書くことがどんどん減っていくっす。




(c) 甲斐八雲

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