もう……戻れないのに、ね
通路の角で2人は足を止め相手を認識する。
先に表情が動いたのはフレアだ。
「なんでため息かな?」
「血生臭い馬鹿面を見たから?」
「なんで疑問形!」
プンスカと怒るミシュを放置し、フレアは止めていた足を動かして窓際へと移る。
広場では"彼"が大剣を振るい自身より半身以上大きい相手と戦っていた。
「助けに行かないの?」
「邪魔したら怒って面倒よ」
「またまた~。本当は今にも駆けて行きたいんでしょ?」
「煩いわね……そう言う番犬もご主人様の所に戻りたいんでしょ?」
「あん? 今の私は自由ですから~。自由って素晴らしい~!」
唐突に窓を開けて全力で叫ぶ馬鹿から視線を外し、フレアは軽く辺りを見渡した。
「一応もうひと回りする?」
「かな~。大した敵じゃ無いから問題無いだろうけど」
「……皆殺し?」
「失礼な。どこかの拷問令嬢と一緒にしないで頂戴!」
薄い胸を張って威張るミシュの周りに静かな影が生じる。
慌てたミシュはその場から数メートル後方に移動していた。
「普通使う?」
「さあ? 私は何処かの拷問令嬢らしいから」
「嫌だわ~。冗談も通じない生真面目な令嬢とか」
フレアに尻を突き出しペンペンと叩いて、ミシュは腰からぶら下げている袋に手を伸ばす。
「味方相手にお腹を空かせることになるとか……最悪だ」
「貴女が悪いんでしょ?」
ため息一つ。フレアはまた視線を移し彼を見た。
淡々とした表情で大剣を振るう彼は……あの日に自分同様、変質してしまったままだ。
10年前のこの場所で、何かに見られたような気がしてから。
「ミシュ」
「何さ?」
「貴女は……」
言いかけてフレアは口を閉じた。
モグモグと干し肉を噛み続けているミシュは、そんな相手にやれやれと肩を竦めた。
「私たちは運良く戦場に居た。他の人たちは運悪く街に居た。それだけのことでしょ?」
「……ええ」
残っているひと口分の肉を口の中に放り込み、ミシュは欠伸交じりでやる気の無い声を出す。
「結果として私たちは罪を逃れた。戦場で敵を皆殺しにしたことは罪にはならない」
「そうね」
「でも街の中で一般の人を襲った人たちは罪に問われた。それは仕方の無いことだと思うよ。相手が悪かったんだ」
「……同じ"人"を殺したとしても?」
顔を向けて来る同僚にミシュは欠伸で答える。
「仕方ないんじゃないの? 誰かが線を引いて罪と手柄に分けた訳だし。それに」
クルッと回ってミシュは背を向ける。
「アイルローゼは3日3晩戦い続けた。私たちが狂ったのは僅かな時間だったけれど……彼女は正気に戻ってからも制圧に来た兵たちを殺し続けた。ああ、彼女たちか」
アイルローゼ以外にも抵抗を続けた者は居る。結果死者の数が増え、罪の重さが増し続けた。
「罪の意識を持ち続けるのは悪く無いと思うよ? でも私の場合、それを持ち続けると仕事に支障が出るしね……言葉は悪いけど割り切るしかないんだよね」
ユニバンス王国随一の現役暗殺者……それがミシュの本性だ。
"跳躍"と呼ばれる祝福と天性の運動神経で、常人では対応できない動きから確実に命を奪う。
と、ミシュは肩越しに振り返った。死んだ表情で。
「フレアだってさ……あの後、どれほど人を殺したか覚えてる?」
「……」
痛い部分を突かれフレアは黙るしかない。
10年前のあれ以降……自ら進んで彼に敵対する勢力の者たちを拷問し、情報を吐かせ続けたのだから。
「人を殺すのって簡単に出来ちゃうんだよね。特に力を持つ私たちは」
言ってミシュは苦笑した。例外が身近に居たのだ。
「その分、隊長って凄いよね。あれだけの力を持ってて誰一人として殺してないんだから」
「……でも隊長はあの施設で」
「うん。そう言われている」
隊長であるノイエは、育てられた施設で仲間たち全員を殺したと言うことになっている。
主人であるハーフレンと共に施設に突入したミシュもフレアもその姿を見ている。
全身を血で染め上げた彼女が、死体の転がる広場で独り立ち尽くしていた姿を。
「でもさ……あれって現場でそう見えただけで隊長がやったって証拠は無いんだよね」
「そうだけど……」
「何よりあの場所にあった死体の大半は死因が分からなかったし」
「……」
検死に立ち会った者の証言では確かにそうなっている。
強いて言えば自然死に近い状況だとも言える。
だがそうなると……ノイエは誰の血を浴びていたのか? それすら謎のままだ。
「まあ……ここに来て感傷的になるのは分かるけど、一応お仕事で来てるんだから仕事しないとね」
「……そうね」
「ならフレアは私が通って来た通路をお願い。私はこっちに行くから」
「分かったわ」
確かにブシャールに来て感傷的になっていたのかもしれないと思い、フレアは頭を振る。
もう一度視線を表に向けると……彼はまだ大女を相手に戦っている。
「馬鹿よね。もう……戻れないのに、ね」
ため息と一緒に呟きを溢して、フレアはゆっくりと歩き出した。
ミシュは急ぎ駆けていた。
一瞬だが不審な人影を目撃したからだ。
自分やフレアが敵を取りこぼすなんて考えられない。
それならば発見した者は……後から突入したことになる。
何の為に?
嫌な予感を胸にミシュは急いだ。
「ほぇ?」
相手の余りの言葉に矢を番えるルッテは気の抜けた声を発した。
帝国の元大将軍の部下である彼がとんでもないことを言ったのだ。
両方の肘を曲げて両手を軽く上げるヤージュは今一度同じ言葉を口にする。
「いやはや……参りました。降参です。降伏します」
「えっと……本気ですか?」
「はい」
商人のような笑みを浮かべて彼は言う。
「我々はユニバンス攻めに失敗したので、貴国に囚われ虜囚となりましょう」
「はいぃ?」
戸惑う少女の様子を楽しむように彼は言葉を続けた。
「そしてキシャーラ様はユニバンスへの亡命を求めています。
現国王、並びに新国王へのお目通りを願います」
これが彼が考え実行した最後の一手だった。
(c) 甲斐八雲
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