今度こそ殺すしかない

「まさかここでその名前を聞くことになるなんてね」


 近衛団長の執務室。

 夜分遅い時間もあり部屋にはドラゴン油の明かりが灯され、柔らかく無臭な火が室内を照らす。


 壁の一つに背中を預けたフレアはため息交じりで頭を振った。

 椅子に座り背もたれに体を預けて天井を見つめるハーフレンは頭を掻く癖を見せる。

 彼が気持ちの変化を誤魔化すようにして頭を掻く癖があるのをフレアは知っていた。子供の頃から一番近い場所で見て来たから。


 一次的な感傷を心の外に追い出し、フレアは今聞いた話を頭の中で整理する。


 上司の夫である彼が寝ていて名前を呼び間違えた……そのこと自体万死に値するが、処刑するのは妻である彼女の仕事だから今回は目を瞑る。もし自分がそれをやられたとあったら……チラリと視線を向けると、今にも口笛を吹いて逃げ出しそうな雰囲気の男が目に入った。


「隊長も」

「ん?」


 ビクッと震えてハーフレンは視線を壁に向ける。

 幼馴染が、"10年前"から見せるようになった底冷えする笑みをその顔に張り付けていた。


「股間を蹴り上げて顔面を踏んで、命乞いするまで折檻すれば良いのに」

「…………ノイエがそれをやったらドラグナイト家は間違いなくその日に滅ぶぞ?」

「ええ。でも気は晴れますし……最悪養子でも取って名は残せます」

「……」


 ヒーヒューっと気の抜けた口笛を吹いて彼はあさっての方向を向く。

 ズキッと股間から昔の古傷が疼いたような気がしたのは気のせいだ。

 あの時は股間を蹴り上げられて股間を踏みつけられて折檻された。顔面に変わったところを見ると、少しは男性に対する優しさを思い出してくれたようだ。


 イラッとした気持ちを押さえつけフレアはまた思考する。

 別にその手の夫婦喧嘩は勝手にすれば良い。問題は一つ。


「本当にアイルローゼと呼んだの?」

「確実じゃない。ノイエが言ったのは『アイルロー』までだ。だがそこまで言って『ゼ』以外の単語が出て来る方が珍しい」


(それに異世界人のアイツの知り合いにそんな名前の女が居るとも思えん)


 そのことは口に出さずハーフレンもまた思考していた。


 アルグスタ本人から聞いた限りでは彼の世界でも『名と姓』があるらしい。そして聞く限りでは『アイルロー』などと言う名が存在するような場所では暮らしていなかったと思われる。

 だから彼はその名前をこちらに来て覚えそして間違えたと推理するのが正しい。


「少なくともこの国で『アイルローゼ』と名乗るのは過去を遡らんと居ない。あの事件の後、近しい名前の者は改名したくらいだしな」

「確かにね」


 相手の言葉の正しさを認め、フレアは一度息を吐いて思考を整理する。

 高確率でアルグスタは妻であるノイエのことを『アイルローゼ』と呼んだに違いない。


「単純にアルグスタ様が間違えた可能性は?」

「否定はせんよ。何せ聞いていたのがノイエだ……色々と間違っているかもしれんしな」

「……こんな時ばかりは隊長の記憶力が憎たらしくなるわね」

「違いない。でもアイツはあれでドラゴンに関する知識だけならこの国一だぞ?」


 皮肉でしかないが、お蔭でノイエの記憶容量は数少なくなっているのだ。

 彼女が動くドラゴン百科事典であることを認めつつもフレアはため息を吐くしかない。


「面倒臭いからアルグスタ様が純粋に隊長のことをアイルローゼと呼んだとするわ……問題は?」

「その生死だ」

「……そうよね」


 避けようの無い答えが返って来てフレアは自然と小さく頭を振っていた。


『またあれを捕まえろと言うのか?』


 想像しただけで気が滅入って来る。


「前にあれを捕らえようとして何人死んだか覚えているの?」

「忘れんよ。173人だ」

「ええそうよ。それも王国軍の精鋭と近衛の精鋭、そして宮廷の魔法使いを動員してどうにか抑え込んだ」


 前線で彼女の魔法を食らった者は1人として生き残れなかった。

 絶望的な戦いはまだ脳裏に焼き付いている。


「……あれを最終的に無力化したのはミシュだがな」

「知らないわよ。わたしはあの時、彼女の魔法と相対していたのだから」


 軽く思い出しただけで全身に鳥肌が立つ。

 フレアはブルッと震えつつ自分の腕を手で擦った。


 地獄だった。帝国との緩衝地帯での戦闘を"圧勝"してから取って返し、王国内で凶行に及ぶ若者たちを捕らえて回った。

 まだ10歳だったフレアもその魔法の腕を買われ現場に引き出されたのだ。

 否、違う。周りの者たちが"それ"を知っていたから自分は駆り出されたのだ。


「アイルローゼには3人の弟子が居た。1人は師である者に殺され、1人は屑な貴族に殺された」

「残った1人はこうしてのうのうと生きているわよ?」


 自分の気持ちを察したのだろう……ハーフレンの言葉にフレアは自嘲する。

 そう。アイルローゼ最後の弟子は他でもないフレアなのだ。


 3人とも学院の試験的な試みの一環で彼女に預けられて弟子となった。

 彼女から貰った武装術式もまだ使っている。そのお蔭で"影"を支配することが出来る。

 もう一度笑い……フレアは覚悟を決めた。


「仮にアルグスタ様がアイルローゼを匿っているとしたら?」

「部下からの報告ではそんな気配はない」

「そう。でも彼女は"あの"術式の魔女よ?」

「分かっている」


 その強大で凶悪な魔法と術式を用いてたった1人で軍隊相手に戦争をした魔女。

 もし本当に生きていると分かれば……国の頂点に立つ者の影として、ハーフレンのすることは決まっている。


「仮に生きているなら今度こそ殺すしかない。確実に……それは決定事項だ」




(c) 甲斐八雲

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