床が濡れるほど

 湯上りのお嫁さんが目の前に立って居る。


 どうする?


 自然な感じでベッドに誘う→そんなことが出来るなら今まで延々と現実逃避などしていない。

 自然な感じでおしゃべりをして茶を濁す→生まれてこの方、彼女なんて居なかった僕にはハードルが高過ぎる。

 自然な感じで……ネタが尽きた。はやっ!


 何を考えているのか良く分からない表情で、僕を見ている彼女を見る僕。


 思考が変だ。完全にフリーズ状態だ。

 このままだと話が進まない。とりあえず会話だ会話。


「ご苦労様。疲れた?」

「はい」

「……召喚術を使って帰って来たとか何とか」

「はい」

「…………どんなのが呼べるの?」

「大鷲」

「………………」


 僕の会話力が枯渇しました。

 何より会話に広がりを見出せませんっ!

 やっぱり怒ってる? キスしたことを怒ってる? 何となく目じりとか吊り上がってない? 気のせい?


 会話も続けられず相手の様子を見ることに徹する僕は、彼女の髪がまだ濡れていることに気づいた。


 普段ならピンと立っているアホ毛が見えない。

 頭頂部に張り付いてるのかな? 何よりこのまま寝たらベッドのシーツとか濡れるよね?


「あ……誰か居ますか?」

「はい」


 スッとドアが開いてメイドさんが入って来る。

 部屋の外で最低でも一人は待機していると聞いたけど……24時間フル対応なんだ。


「ノイエさんの髪が濡れているから何か拭く物を」

「はい」

「要りません」

「はい?」


 彼女を見ると、長い髪がうっすらと光っていた。

 フワッと風でも受けたように広がり……その髪から水滴が離れて行く。


 凄い。水だけが髪の毛から離れてるんだ。


 光が消えて、浮かんでいた水滴が全て床に落ちた。

 落ちたね。全部。


 ピンと復活したアホ毛がフワフワと揺れ出す。どこか機嫌が良さそうだ。


「これで乾きました」

「……そうだね。替わりに床が濡れたね」

「……」


 言われて気付きましたとばかりに彼女が振り返り床を見る。

 フカフカの絨毯がバッチリと濡れてしまっている。


「今のって絨毯にも出来る?」

「出来ません」

「そうか……御免お願い」

「はい」


 控えていたメイドさんが、テキパキと動いて濡れた絨毯を掃除してくれた。


「では何かありましたら」

「うん……うん?」


 一礼して部屋を出て行こうとするメイドさんを追って扉に嚙り付く。


「何処に居るの?」

「? はい。この場所で立って居りますが」

「そこだと部屋の中の会話とか聞こえるよね?」

「はい。……ご安心ください。私たちは路傍の石です。例え部屋の中でどんな会話や特殊な音が聞こえても"聞こえなかったこと"とします」


 会話はともかく特殊な音ってナンデスカ?


「国王陛下付きのメイドたちは、特にそのような"音"を聞くそうです。あくまで噂ですが」


 パパンの変な性癖とか知りたく無かったよ!


『お気になさらず。どうぞ』と言って扉の外に立つメイドさんの様子を確認して、部屋の中に戻った。

 ノイエさんはずっと立ったまま少しも動いてない。


「あの……ノイエさん」

「ノイエ」

「えっ?」

「年下だから、"ノイエ"で」


 つまり呼び捨てにしろってことですよね?

 うわ~。何か意識しただけで心臓がバクバクする。


「ノイエ」

「はい」

「……結婚式のことを怒ってる?」

「……」


 微かに首を傾げてこっちを見て来る。

 やっぱりキスしたことを怒ってるのかな?


「あれはほらね? "誓いの儀式"で必要だったからで、でも命じられたからした訳でも無く……したかったと言うと下心が見えちゃうけど、したくなかったと言えば嘘になる訳で」


 自分でもどんな言い訳をしているのか分かりません。


「とにかくいきなりキスしてごめん」


 こんな時はまず頭を下げちゃおう。責任逃れかもしれないけど。


 しばらく頭を下げていたけれど……相手の反応が全くない。

 恐る恐る顔を上げると、彼女はただジッと僕を見ていた。


「あの……ノイエ?」

「アルグスタ様」

「はい?」

「"キス"って、何?」


 そこ~っ! その部分から説明しないとダメなの?

 何よりこの人って実は今日の結婚式とかの意味を理解してたの?


 不安だ。ダメ元で聞いてみよ。


「はい。今日の式典は……私が他国に連れて行かれないようにする為だと。

 アルグスタ様の"所有物"になれば他国は文句を言えなくなると」

「誰ですか? そんな説明したのは?」

「副隊長」

「後で苦情を言いたいので名前を教えてください」

「……大丈夫。思い出す」


 忘れたのね。まあ良いか。メイドさんに聞けば分かるでしょ。


 つまりノイエさ……常に呼び捨てにしてないと慣れなさそうだな。つまりノイエは、結婚式の意味すら理解して無かったのか、考え過ぎて色々と空回りした僕が恥ずかしいな。


「ノイエ。良い?」

「はい」

「結婚って言うのは……未婚の男女が誓い合って夫婦。つまり"家族"になる儀式なんだ」

「家族?」

「うん。家族は知ってるよね?」

「はい」


 良かった。それすら知らなかったらノイエさんを教育した人を見つけ出して一発殴ってたかも。


「家族……男女が生殖活動をして、子供も増やすのに必要なつがいだと教えられました」


 やっぱり見つけ出して一発殴ろう。


「あ~も~。とりあえず今夜はもう良いや。あとのことは寝て起きてから考えよう」


 主にどう説明したら良いか、僕に考える時間をください。

 と、彼女は僕の声に反応して、いそいそとベッドに移動して仰向けの姿勢で横になった。


 次は何ですか?




(c) 甲斐八雲

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