第9話
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クウガは軽快なステップとともに、円の軌道で蓮の周囲を移動する。未経験のボクシングのサークリングに、蓮は必死で身体の向きを変えて対応する。
急接近してきたクウガが左ジャブを放つ。蓮は、両手首を合わせてお椀状にした。真下から突き上げてクウガの拳を去なし、下に落とす。
(拳闘には絶対に存在しない動き! これでどうだ!)
高速思考した蓮は、右手を振りかぶりクウガの左腕へと打ち下ろす。
しかしくんっと蓮は後方へ引っ張られた。おそらくは、蓮の後ろにクウガが黒球を生み出したのだ。
体勢を立て直したクウガは右ストレートを振るう。蓮はしゃにむに左手を出すが、
衝突の瞬間、ゴガッ! 左腕から異音がしたように感じ、激痛が生じた。生身で受けるにはあまりにも高威力な一撃だった。
「ぐあっ!」蓮は思わず叫び、患部に右手を当てた。骨は折れていない。だが間違いなく大きな損傷だった。
「理解したか? お前と俺との間には、如何ともしがたい力の差という壁がある。ある程度やり合えて良い勝負はできても、所詮そこまでだ。お前に勝機はない」
冷ややかな声色でクウガは蓮を諭す。だが、応えた様子は一切ない。
五分近くの戦闘を経て、蓮は既に疲弊しきっていた。十年以上の鍛錬で身につけた八卦掌を駆使して攻めるのだが、単純な身体能力や
蓮はきっとクウガを見据えた。己を鼓舞すべく力を込めて話し始める。
「勝ち目のあるなしは関係ない。俺が負けたらアキナが死ぬ。だから俺は戦うんだ! 戦ってお前を……」
がくんと、唐突に左に身体が傾いた。転倒しそうになるも、蓮は両手を地面に突いて体重を支える。
「蓮くん!」アキナの悲痛な叫びが耳に届いた。
「そろそろだろうと思っていたよ。打たれ慣れていない者が、あれだけ内臓廻りに拳を貰ったんだ。呼吸困難や脳の異常を起こしても不思議ではない。この辺りが引き際だろう。お前は良く戦った」
慰めるような言葉が耳に届いてくる。蓮は言い返そうとするが、咳き込んで発語も叶わない。
その時、「もう良いよ!」と高くて澄んだ声が無人の鴨川沿いに響き渡った。
蓮は驚いて声の主に目を向けた。アキナだった。座ったまま、両目に涙を湛えながら悲しい笑みを見せている。
「もう良いんだよ。
諦観を滲ませた穏やかな口振りに、蓮の焦燥は加速する。
アキナは微笑を引っ込めて、クウガに真摯な視線を送った。
「クウガ、わかったよ。私は命を諦めます。その代わり約束して。蓮くんがクウガに刃向かったことを誰にも口外しないって。死にゆく私の最後の望みです」
静謐ながらもきっぱりとした語調でアキナは言葉を紡いだ。
「アキナ=アフィリエ、よくぞ覚悟を決めた。すべての人に忘れ去られようとも、俺だけはお前を忘れない。気高くて、まっすぐで、お前はすばらしい武人だった。お前の遺志は俺が継ぐ。俺の命が尽きるまでに、この世界をよりよい場所に変えて見せる。
心配するな。お前の願いは聞き届ける。それに加えて、今後、蓮や家族に危機が迫った場合、俺が全力で以て蓮たちを守る。これで良いか」
クウガも誠意で応える。するとアキナは安堵の笑顔でこくりと頷いた。そしてクウガはアキナに近づき、懐から短刀を取り出した。
(くそっ! 何を綺麗に話を纏めようとしてんだ! 誰がそんなこと許可したよ! 俺の家族を守るだとか、んなことが代わりにはなるわけないだろ!)
蓮はぎりっと歯噛みした。そうしている間にもクウガは、一歩また一歩とアキナとの距離を詰めていく。
(何でこうなる! 何が足りない! 力が欲しい! 不条理で不可解な現実を、完全完璧にぶち壊すだけの力が!)
言葉が出せない蓮は、心の中だけで思いっきり叫んだ。すると蓮の視界は、徐々に白い光で埋め尽くされていった。
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