妖魔千期会物語

ラクリエード


一人の少年がある家から戸を開けて出てきた。


 片手に黒光りする鞘におさまっている刀を握り締め、家の横道を通り抜け裏の山へと向かい、木々の間へと消えていく。

 しばらく道なき道を、周囲を見渡しながらくさむらを掻き分けて登っていく。そしてすでに高い中腹に来た。少しだけ行く道を変えたが、やはり捜しているものは見つからない。

 足元に気をつけて、足元ばかりを見ていると、じきに崖の上に来てしまっていた。もうこんなところか、と思いながら振り返って、辺りを見渡す。木々と、木の葉から漏れてくる光。だがこれもいずれ、すぐ沈むのだ。冬の日は短い。

 また歩き出しても探しものはやはり行方知れず。どこに行ったのか、いつものことだが気になる。いずこで眠りについているのか、はたまた動きながら食べるものを捜しているのか。今度はこの崖下を見ることにした。一旦戻り、崖に沿って歩いていく。地面は湿って軟らかくはない。

 広く高くそびえる崖はそう長くは続いておらず、代わりにこの山には三つの崖がある。実際にそれらの崖の間の距離などを歩いたことは、彼にはないが実際にはどれも同じくらいだ。そのうちの両端のものは、それぞれ少年の住んでいる里が見える崖と、山の絶景の見られる崖である。少年は山の絶景の方が好きだが、探されている友達は里の方が好きだという。いわく、人間の動く様子が好きらしい。少年は真逆に人間を見るのが嫌いであった。

 じきに崖の下から、てっぺんが左上に見えるようになり、絶壁に沿って捜す。できれば何も出ないで欲しいものだがそれは叶わなかった。木々を揺らす音に少年はため息をついた。

 ため息をつく理由、それは鬼というものである。

 数秒もするとそこに、巨大な人間のような大鬼がこちらを見下ろしながらどしどしと、枝をへし折りながら歩いてきた。自分より倍近くあるだろう巨体は、周囲にむらがる小鬼のせいで、よりいっそう大きく見えた。

 だが怖気づくこともなく、まずは何を言いたいのか聞くために向き直る。

「人間の子ども…おまえか。仲間を殺しているのは」

 遠目から見ればただの人間に見えるかもしれない大鬼は、怒りだけで睨むが少年は怖気づく様子もなく、にらみ見返した。

「…そっちが襲ってきたんだろ」

 吐き捨てると、大きい、探し者の持つ同じような赤い目に憎しみがあふれ出す。

「何が悪い…」

 怒り震える鬼が、くわりと目を開くと同時に、怒りを拳に込めて振り上げ、そしてぐっと脚を曲げて跳んだかと思うと、幹のような腕を振り下ろす。

「俺がなんかしたか!」

 威勢よく叫びながら落ちてくる手首を刀の鞘で払って、自分に向かう軌道を逸らす。大鬼は地面を殴ったことに顔をしかめていると、少年へとむらがっていた小鬼が迫り、伸ばされる手に捕まり、ひっかかれかけながら、刀を抜けば、小鬼がざっとに離れていく。

囲いもなくなり、大鬼と、そのもとへ戻った小鬼らは、じっと様子をうかがっている。だがよく見てみると少年ではなく、刀を見ているのであった。不思議に思いながら、互いにそのまま動かない。

 じっと動かないでいると、一瞬、空を影が覆い尽くした。全員が顔を上げると、顔色を変えた鬼たちは逃げ出した。だが少年にとって、そこには何もなかった。

 なんだったんだ、と思いながら刀を鞘に納め、探し者を再び見つけようとする。だが彼は見つからなかった。別の崖かな、と思い当たり里の見える崖へと歩き出す。

 いつも歩いているが、随分と急な山だ、とつくづく思う。この山は、山脈のうちの一つであり、よってとても広い。そのうえ崖と坂があるので急斜面だから、半ばここらは未開の森である。ほんのたまに里の者が伐採や狩りをしにくることはあるが、滅多にない。必要以上のものを欲しがらないのは、当たり前だった。国からとんでもない命が来るかも分からない。

 方向感覚を狂わせながら里見える崖の下まで辿り着き、探し始める。

 たしかここには一つ、巨大な洞窟がある。一度入ったことはあるが、それ以来は行っていない。行こうと思わなかった。あんなことがあっては、行く気も失せた。

 数分もすると、友達が崖を見つめている姿があった。近づくとその洞窟の闇を真っ赤な眼で見つめていた。

「白蛇ぁー、何してんだよ」

 穴の闇が見えてきたところで体を巻いている蛇の彼を呼ぶ。その姿は白い大蛇。舌を出し入れしながら少年の方を見る姿は獲物を見るようだったが、少年は気にせずに駆け寄って行く。彼のことを少年は『白蛇(はくだ)』と呼ぶ。本来、『白大蛇(びゃくおろち)』と言われているらしいが、少年は長い名前だと言って、そのように呼んでいた。

「何もしておらんぞ」

 人語を話す白い大蛇。初めて見る者は驚き、逃げたりしそうな異様な光景である。だがこれは、人間たちの知っているただの動物ではないため、当然のことであった。

 それは、いわゆる妖怪という。実際には存在しえない存在と言われてはいるが、ただ見えないだけで、すぐとなりにいるのだ。彼らは、この白蛇のような、人々にも見える生物たちが単に大きくなったものだったり、異形だったりもする妖怪が現にいる。涛はそう教えられている。

「何言ってんだよ、おまえ、ここには行くな、とか言っておきながら、おまえ来てんじゃねえかよ」

 疑わしそうに自分の背と同じくらいの高さがあるだろう大きさの頭の、顎の先を刀の鞘でつつく。そこを不快そうに地面につけると、巻いている体をよじらせた。

「…気にするな、涛。我は少し暇を持て余しておっただけ」

 暇という言葉が、涛と呼ばれた子供には何を示すか分からなかったのか、声を上げる。だがそれを無視して白蛇は、ここは危ない、と洞窟から離れるように促して、暗闇への道を体で塞ぐようにする。そのことが気になりながら、涛は坂の下へ誘う蛇の頭についていく。里を貫く道を埋められそうな、いやそれ以上の長い体は、洞窟が見えなくなるくらいまで洞窟を塞ぎ続けていた。

「なあ、白蛇、何か話ってねえのか?」

 白蛇の尾も動き出した頃、赤い眼を横に感じながら問う。いつも彼らは毎日のように会っては、何かの話をする。もっぱら涛の方からばかりなのだが、さすがになくなっていく消耗品。

 白蛇はそこで止まり、胴を引き寄せる。それを見て、地表に出ている手近な木の根に腰を下ろした。すると蛇空気を舐めてから、空を見上げように空気を舐め回す。

「あーあ、またかよ」

 白蛇の反応は涛にもすぐ、何があるのか知らせる。餓鬼が辺りにいるのだ。それも勇敢なのか、無謀なのかは知らないが大蛇のような大妖をも恐れない者だ。少年は仕方なく、だるそうに立ち上がって左手に鞘を持って抜刀した。すると白蛇は呻きを上げるが、少年を気遣わせるほどではなかった。

(またこれか…)

 白蛇は気分を害さぬよう、舌を出すことをやめた。しかしそれでは餓鬼の十分な位置が分からない。

 鱗と布の背中を合わせながら辺りを見るのは二人には当たり前のことだ。いつも襲われてはこうして互いに安全を確保する。白蛇がいるから負ける気はしなかったが、足手まといは嫌いな涛は、必要ないはずの刀を振るうことを昔に決めた。兵士や氏族以外はどうやらという法なんてものは気にしなかった。取り上げられないようには気を遣ってはいるが。

 餓鬼たちは殺そうとしたら、その目標を殺さない限りまず止まらない、と白蛇に教えられた。よっぽど力に差がないと。だからこうやってそうするしかなかった。

「涛、大量にいる。死ぬなよ」

「けがくらい、許してくれよな」

 そんな言葉を放てるくらいの余裕は、二人は餓鬼相手にはあった。

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