第十章 邪悪

(1)

 魔法で傷を回復してあげたとはいえ、セフィーゼはついさっきまで命がけの死闘を繰り広げてきた相手だ。

 これ以上何を話していいかわからないし、話すこともない。


 僕は、落ち込むセフィーゼを前にして急に気まずくなり、助けを求めるようにヘクターの方へ顔を向けた。


 ヘクターは少し離れた場所からセフィーゼを見守っていたが、僕と視線が合うとすぐに深々と頭を下げた。

 セフィーゼの命を取らなかったことに、一応恩義を感じているらしい。


 彼ならきっと約束を守って、セフィーゼを連れ、いまだ丘の上でにらみを利かせているイーザ騎兵団を穏便に撤退させてくれるだろう。


 これで正真正銘、決闘デュエルは終わった。

 僕は心底ほっとしてセフィーゼから離れ、戦場の中にアリスの姿を探した。


「今度こそやったな、ユウト!」

 アリスが向こうから大声で叫び、無邪気に手を振っている。

「お前となら勝てる――私の予想は当たった!!」


 アリスはひたすら明るかった。

 とても大国の王女様とは思えない無邪気さだ。


 ……ものすごくかわいい。


 その時、素直にそう思った。

 できることなら走り寄って、ぎゅっと抱きしめたかった。


 が、もちろんそれは妄想の中だけ。

 一介の兵士が、王女様に抱きつくなんて恐れ多いにも程がある。

 いや、それ以前に、現実世界で根暗の引きこもりだった僕にそんな勇気はない。


 それでも、せめて精一杯の好意を伝えたくて、僕はアリスに笑顔で手を振り返した。


 ところが――


「グルルルルルルーー」


 突然、恐ろしげな唸り声とともに、茶色の塊が猛スピードで僕とアリスの間に飛び込んできたではないか。


 それは現実世界では見たことのないけものだった。

 大きさはライオンぐらい。 

 黄色く光る獰猛な目でこちらをにらみ、真っ赤にさけた口からは二本の長い牙が伸びて、そこからよだれをダラダラ垂らしている。


 あの二本の大きな牙――もしかしてサーベルタイガー?

 この異世界アリスティアになら、どんな伝説上の生物が存在していても驚きはない。


 それにしても、次から次へと……。

 ハイオークと戦い、魔法少女と戦い、今度の相手は幻の野獣か。


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