スウィンドラーは懲悪せり

水白 建人

第1章 真白に花と懲悪を

第1幕

第1話(1/1)

 帰る家もなければ頼る当てもない。

 このような人間にとって、社会はあまりに組織的で世知辛いものだ。

 それでもかごの鳥は飛び出した。落ち行く先が少し広いだけの世界であろうとも、自由のために、いっしょうけんめいに。

 ぬすみにとがめる良心を置き去りにして。




 人口およそ二百万人を誇る大都市「しろ」の中央区内にあるスーパーを出て数分の抜けこう。ほの暗いそこにがらな娘がひとりあしばや姿すがたかくした。

 須佐美すさみ輪花りんかおとこもののミリタリージャケットでそうした、花もじらう女子高生だ。

「さてと」

 輪花は戦利品をしたためようと上着のポケットに手を突っ込む。

 雑踏ざっとうが誰を止めようか。街灯がなにを明かせようか。

 今夜もまた、ひとり怪しまれぬまませんで空腹を満たし、つみせきにん喧噪けんそうちまたに捨てていくだけのこと――そう思っていたところにふと呼び声がかかってきた。

「やあお嬢ちゃん。ちょっといいかい?」

 輪花は毛を逆立てて振り返る。

 くつを見て、あしを見て、どうを見て、息をつく。

 暗がりといえど、その男がけいかんではないと断ずるのにそう時間はかからなかった。

「なんですか」と輪花は顔を作る。その拍子にふと白色が目に留まった。ものや光でなく、男の頭だ。

 たかがはくはつ、さしてめずらしくもないだろう。だがそれでも、輪花はその色に尋常じんじょうならざるみょうさを感じて仕方がなかった。

 ほかにあってしかるべき人間的とくちょう。生白さ以外にかもされてしかるべき雰囲気。

 それらがどこにも認められなかったのである。

「……わたし今、急いでるんですけど」

「実は僕、このあたりを仕事場にしてる窃盗犯せっとうはんを探しててね」

 そう言って男は首をかしげると、

「こんな顔したかわいい女の子なんだけど、見なかった?」

 手のひらに隠していたかがみを輪花へ向けた。

痴漢ちかんです! 誰か助けて!」

「えっどこ!?」

「食らえコロッケパン!」

「ばふぅ!?」

 とっさのうそと飛び道具が男をのけぞらす。そのすきに輪花はアスファルトをり、ベージュのボブを重くはずませながらとうそうした。

 万引きを見られたか、見間違えられたかは定かではない。いずれにせよ、今は脚を動かすべきだろう。

『逃げるが勝ち』という故事にならい、多くの窮地きゅうちをそうやって切り抜けてきたのだから。

 走りに走り、抜け小路から遠く離れたどうきょうの階段までたどり着いた輪花はそこでちからき、りょうひざに手を乗せた。

「…………追って、こない?」

 肩で息をしながら振り返る。車道をまたいで目を配ったが、白い頭は見当たらない。

 ――ざまを見ろ。

 輪花は軽く鼻を鳴らすと、上着のすそを幾度いくどかはたき、いざ進まんと顔を上げる。

「いけないなあ輪花ちゃん。女の子が待たせていいのは彼氏だけだよ?」

「っ~~~~……!」

 待ち人来たりと言わんばかりの仁王立ちに、輪花はひたすら邪気を飛ばす。

 そこにいたのは花の女子高生に臆面おくめんもなく声をかけた、あの男だった。

「あとこれ、廃棄はいきされそうなものだからって投げ捨てちゃ――っと、こっちは違うか」

「輪花の手帳!? なんで持ってるの!?」

 学生手帳を取り返そうと、すかさず輪花は手を伸ばす。

 対する男はたくみに身をひるがえして持ち主の手を寄せつけない。

「せっかく落とし物を届けに来たんだし、お礼のひとつくらいは欲しいんだけどなー、なー?」

「……わたしにできることならなんでもします」

「ん?」

「だからその、お願いします」

 輪花は申しわけなさそうなふりをして頭を下げた。

 びを売るのに抵抗などない。通報されるよりはずっと楽である。

「ハッハッハ。君は上目遣いの天才だね」

 男は無邪気にあざ笑い、かどを立てる女子高生の頭に消費期限間近のコロッケパンをぽんと乗せる。

「じゃ」

「え、あ、ちょっと!?」

 期待どころか常識さえも裏切りながら、男は事もなげに輪花を素通りしていった。




 男が返してくれたコロッケパンは昨晩のうちにいんめつしたが、包装はそうもいかなかった。

「なにが『放課後待ってるね』よ。人の弱みにつけ込んで……!」

 そのほか包装には『しろ』から始まる、この街の住所が油性ペンで書かれていた。つまりはそういうことである。

 暗雲立ちこめる空の下、レジ袋片手にをこぼしながらも輪花が赴いたのは、黒ずんだマンションの一室。いかにも不穏な印象を受けるが、ここで逃げては「あの女子高生は黒である」と白い頭に暴かれてしまう。

 絶対に黙らせるという決意を胸に、輪花は「よし」と自らを奮い立たせ、チャイムにそっと指を重ねる。

 しばらくして、分厚いてっはぎいと鳴き、頭ひとつ分の隙間から人影をはすにのぞかせた。そのとき輪花の脳裏に去来したのは、コロッケパンの包装を便せん代わりに使ったあの男に会いたいと思えるほどの恐怖だった。

「さっさと入れ」

 にたばこ臭さをしみつかせた黒服の男は、花の女子高生の細腕をわしづかみにした。

 ――そう、白髪ではない。

 あろうことか、輪花は誰とも知れない男の部屋を訪ねてしまったのである。

 ぐいと引かれ、あれよあれよという間にマンションの一室へ通された輪花に質問が投げかけられる。

「そいつが例のブツだな」

 これはブツなどと呼ばれる品ではなく、白髪の男に対するわいとして買ってきたコンビニスイーツだ――そう打ち明けたところで、問いかけてきた男はおろか、輪花をずらり取り囲んだほかの黒服たち数人から袋だたきにされるのが関の山だろう。彼らのぎょうそうを見れば明らかだ。

「で、いくらなんだ」

「ひゃぃ……」

「おいおい、それで百はねえだろ」

「ひゃぃ……」

 連れてこられた六畳一間で、棒立ちになった輪花の涙声が空気を湿らせる。

 普段ならかさかさ小うるさいレジ袋ですら、恐れをなしたのかぴくりともしない。

 けつらずんばを得ず。さりとてこんなきょうにまで足を運ぶつもりなど、花の女子高生にはかけらもなかった。ただ保身のために、昨日の夕食時に絡んできたあの男の命令を渋々受け入れただけだ。

 最後のばんさんが水になりかねない惨状に輪花はうつむき、ぜんとする。

 直後、聞き慣れたかんだかれつおんが耳を打つ。それにあいぜんしてガラスとけむりが室内に飛び込むと、そこに居合わせた者すべてがまたたく間に震え上がった。

 ――ただひとり。

 混沌の中で育った花の女子高生を除いて。

「…………逃げなくちゃ」

 悲鳴、けいほう、サイレンのこうさく

 火災報知器が正常に誤作動し、窓ガラスを割って入ってきたはつえんとうが目と鼻を襲う。

 室内はまさしく大混乱におちいっていたが、目を盗むにはかえって都合がいい。輪花は冷静に足音を忍ばせ、しかしてだっの勢いで玄関口へとすっ飛んで、マンションの裏手までなんした。

「……はあ、ひどい目にっ――!?」

「お見事さん。これならほかの仕事もいけそうだね」

 またもあの白い頭に待ち伏せされていたと気づき、輪花はけんにしわを寄せる。

 すると男はそんな態度を意に介さないといった調子で腰を落とし、脚にもたれるダサいリュックから女子高生の私物をひとつ引っ張り出した。

「はい手帳。世直よなおシールもペタっておいたから」

「うぁっ!? なにしてんのよ!?」

 輪花はひったくるように学生手帳を取り返し、ミスマッチもはなはだしい『ちょうあく』の文字に爪をかける。だが、それはしつようにこびりついて少しもはがれなかった。

「僕の発煙筒に火災報知器が反応してから部屋を出るまでにわずか一分! 手際がよすぎて、さすがの僕も合格通知を出すことにやぶさかでないよ」

「いい加減にして! どういうつもりでこんなことを……!」

「仕事だよ、し・ご・と。『できることならなんでもする』って言ったじゃないか」

「……あなた、いったい何者なんですか」

「フフン、よくぞ聞いてくれた」

 すると男は胸を張り、どんてんを晴らさんばかりの大声をも張り上げる。

 自由の光を求めし少女をあんちゅうやくさそうかのごとく。

「僕はスウィンドラー! しょあくらす真白の仕事人さ!」

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