第7話
相変わらず仕事中の彼を見ると、ベラベラ話している様子は無かった。
私は発注やら陳列やら忙しくて、目が回りそうだったけれど、視界の端っこで無意識に彼を見失わない様になっていた。
あ、お見舞いのお花のアレンジを頼まれてる、とか。花の手入れを細かくやっている様子だとか。上司に何か頼まれている様子だとか。
けれど、彼が笑顔になることは1度も無かった。
「水沢さん!!」
「あ!はい!!」
アルバイトの小川さんが何度も私に声をかけてくれていたのに、全然気がつかなかった。
「ん?何?」
「何だか顔赤いですけど大丈夫ですか?」
「本当に?そんなに赤い?」
生活雑貨を取り扱っているので、そこの中にある商品の鏡でこっそり自分の顔を見てみた。
すると、確かに赤い。
あー、昨日床で寝ちゃったから…やってしまったかもしれない。
「凛子さん、ひょっとして熱があるんじゃないですか?私閉店までいますから、早退しても大丈夫ですよ?」
小川さん……るみちゃんは、本当に優しくて気のつく子で、彼女になら任せられることは分かっていた。それでも、まだ大丈夫だと自分自身が思えていた。
「ありがとう!大丈夫大丈夫!少し暑いだけ〜」
ただ、それまで気づかなかったことに気づいてしまうと、最悪なことに身体がダルいことにも気づいてしまった…。
そんな日に限って、土曜日ということもあって、お店は忙しくて休憩を取れたのは、夕方を過ぎた頃だった。
その時間の休憩室には誰もいなくて、私は薬局で風邪薬と栄養ドリンクを買って、テーブルに頭をもたげていた。
「大丈夫…ですか?」
頭を上げるのはダルすぎて何とか目線だけで、相手を見てみると、それは奥田くんだった。
「奥田くんも今休憩?今日忙しいよねー」
そう言って笑顔を作ると、おでこにヒヤッとしたものが当たった。
「うわっ、これ結構熱あると思いますよ」
どうやら、奥田くんの手が私のおでこに触れたらしい。魔性の奥田……心配してくれている彼に対して心の中とはいえ、毒づく余裕はまだあるみたいだ。
「言わないで〜。知っちゃうと始まっちゃうから。この2つ飲んだら大丈夫って信じてるんだから 」
「なんの催眠術ですか、それは」
「社会人はね、そんなに簡単に風邪はひけないの〜」
私は気合いを入れて、頭を持ち上げて風邪薬を飲んで、その後で栄養ドリンクをグビっと飲んだ。
「よし!じゃあね」
「よし!って…」
後ろ姿に視線を感じつつ私は自分の売り場に戻った。
催眠術はちゃーんと効く。
それを知っているからこそ私は安心出来る。
そして、閉店時間まで仕事をやり終えることが出来た。
あとは帰るだけ。
実は経験上、ここからが催眠術が解けてくる危ない時間なのだ。電車に乗ると、手すりに掴まって立っているのがやっとだった。
あと3駅、あと2駅、あと1駅。
やっと最寄り駅に着いて、それでも真っ直ぐに帰るわけには行かずコンビニに寄る。一人暮らしで風邪の時に飲み物や食べ物が無い不安は辛い。とりあえずスポーツ飲料とゼリーなんかを買い込んだ。
あとは家まで歩くだけ……。
あれ、催眠術が限界かも……。
コンビニの外で意識がぐわんとした時、誰かが私を支えてくれた。
そこから私の意識は無くなった。
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