15 ひとりぼっちのイーノ

 翌日、イーノは熱を出した。いつものように、はしゃいだ後の疲れだろうと思われたが、昼を過ぎても熱は下がらず、いつも以上にぐったりと憔悴しきっていた。医者は簡単な検査をして、しばらくようすをみると言っていたが、夜になって両親が呼ばれ、イーノは個室に移ることになった。

 屋上で星を見たことは二人だけの秘密だった。でも、もしかしたらあのとき夜の冷気にあたったのがいけなかったのかもしれない、と考えると気が気でなかった。スーネエにそのことを話したほうがいいのだろうか。

 ベッドに寝たまま運ばれていくイーノを見送りながら、ぼくは不安にかられてスーネエの手を引いた。スーネエはぼくの手をにぎりかえして言った。

 「このままじゃ詳しい検査ができないでしょ。だから検査の機械が置いてある部屋にちょっとのあいだ引っ越しするだけよ。だいじょうぶ、心配しないで寝なさい」

 スーネエの笑顔はぼくを安心させるためのものだ、とわかった。それがいっそう不安をかきたてた。イーノのことがあれこれ想像されてしまい、ぼくはなかなか寝つけなかった。 イーノは運ばれるとき精一杯の笑顔をぼくに送ってよこしたのだった。その力のない笑顔が目に焼きついて、いつまでもぼくの胸を痛めつけた。

 ぼくはイーノの部屋に行きたいと、なんどもスーネエに頼んだ。いまはダメだけど、もう少し熱が下がって先生から許可がでたら一番に連れて行く、とスーネエはくり返し約束をした。

 それを待つあいだ、ぼくは気持ちを落ち着かせるために、エンピツ描きのままだったマンガにペン入れをして時間を過ごした。イーノに見せた見開き二ページ分の原稿を仕上げて持っていってあげようと考えたのだ。宇宙を墨で塗りつぶし、その上からホワイトで星を入れるとき、銀河の帯のそばに双子座の二つの一等星も描き加えた。イーノとぼくだけのあの夜の宇宙だった。

 イーノのベッドが抜けたあとに新しいベッドが運ばれた。「そこはイーノが戻ってくるんだよ」と言うと、スーネエは「戻ってきたとき新しいベッドのほうが気持ちいいでしょ」と答えた。

 「ほんとに戻ってくるよね」

 「ええ、よくなったらね。だけどしばらくは個室にいると思うわ。そのほうが治療がしやすいから」

 ぼくがマンガを描いているのに、のぞきこむイーノがいない。となりの真新しいベッドの白さが目についてしかたがない。たった一日で、病室がまるっきり変わってしまったような気がした。

 イーノが個室に入って二日目の午後、スーネエがぼくを呼んだ。イーノがぼくに会いたがってどうしようもないという。ぼくはペン入れを終えて見栄えよくなった二ページ分のマンガを持ってスーネエのあとに従った。

 ノックをすると、イーノのお母さんがドアを開き、ぼくたちを招き入れた。目を腫らして疲れた顔のお母さんに、スーネエが「少しは休まないと」と声をかけた。

 イーノのベッドのまわりには奇妙な形をした金属製の機械がとりまいていて、ロボットの軍団がいまにも襲いかかろうとしているように見えた。そのうえ、吊るされたビンの底から伸びたチューブがイーノの細い腕に刺さり、なにやら液体を注ぎこんでいた。それらがよってたかってイーノをいじめているようだった。もう片方の手に、イーノはかばうようにしてゴリラのぬいぐるみを抱いていた。

 ぼくの姿を認めると、イーノはその手をぼくにさし出そうとしたが、手はベッドからいくらも持ち上がらず、草のようにやわらかく揺れた。ぼくはその手を取って両手で握りしめ、「どう、だいじょうぶ?」と聞いた。

 「青山くんをなんども呼んだんだよ。こわかった。どうしてすぐに来てくれなかったの。かくれんぼのときみたいに消えちゃったのかと思った。なんども呼んだよ。声がでなくて、心の中で呼んだんだ。もういいよ、出ておいでって」

 いまにも消え入りそうなイーノのか細い声が胸に響いた。

 イーノは夢の中で、真っ暗な宇宙を一人で飛び続ける探査機になっていたという。呼んでも呼んでも、だれにも聞こえない。とてもこわくて、とてもさみしかった、と涙を流した。

 スーネエはイーノに心配することない、青山くんは同じこの建物の中にいるんだからいつだってすぐ来れる、遠く離れたわけじゃないんだから、となだめた。ぼくはスーネエにうながされて立ち上がり、マンガの原稿をイーノに見せてから枕元に置いた。

 「できたの?」

 「ううん、まだ。でもがんばって描くから、イーノもがんばれよ」

 「マンガ、ちゃんと完成させてね」

 「ああ。イーノも登場人物の一人に入っているんだぜ」

 「ほんと、なんの役?」

 「つののはえた宇宙人、でも本当は神サマのお使い。名前もイーノっていうんだ」

 「マンガの中にもう一人のわたしがいるんだ。早くその宇宙人のイーノを見たいな」

 「あわてるなって」

 「約束よ」

 イーノがさし出した手を握りしめ、小指をからませて指切りをした。イーノはふふっと笑って言った。

 「双子座星人なんだ、わたし」

 ぼくはイーノにVサインを送った。

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