4 神サマはいるか?
ガタガタ大きな音をたててワゴンが廊下を近づいてくる。病室を出入りする人の足音や話し声、食器を運ぶ音。食事の時間になると、眠っていたような時間の流れが急に活気づく。
病院での楽しみは一日三回の食事だ、とみんなは言う。それはぼくにもよくわかる。病院全体がなんとなくにぎやかになる。色彩にとぼしいベッドの上も色とりどりの料理で飾られる。
だけど、ぼくの場合はそこまで。おそらく塩分なしではろくな味つけができないのだろう、文字通り味気のない食事だった。ぼくはもともと塩辛いものが好きだったから、とくにそう感じたのかもしれない。毎日、しょうゆもなにもつけずに豆腐を食べているようなものだ。ほんのちょっとしょうゆをたらすだけで、ずいぶんおいしくなるのに、それができないはがゆさといったらなかった。もし魔法使いがあらわれて、なんでも好きなものをくれるといったら、ぼくは迷わずこう言っただろう。しょうゆが欲しい!
そのことをのぞけば、病院生活はぼくにとってけっこう快適なものだった。痛いところも、体の不自由なところもないから、とても病気とは思えず、ただ好きなだけ寝て、好きなだけ本を読んでいればよかった。だれにもじゃまされず、自分の世界に没頭できた。
ふだんは横になったまま、マンガのストーリーを考えていることが多かった。自分が主人公になったつもりで、小声でセリフを語り、ときには涙ももらした。目覚めたまま夢を見ているようなものだ。そのまま本当の夢にすべりこんで眠ってしまうことも、少なくなかった。
夢の中で、ぼくは宇宙に旅立つ探査機に乗っていた。青く輝く地球がどんどん小さくなる。そこには家族や、クラスの友達や、ぼくの好きな子が残っている。みんなと別れて、ぼくは一人で、無数の星が輝くだけの真っ黒な宇宙を飛んでいる。さみしさが胸をしめつける。だけどぼくには地球の運命を左右する重大な任務があるのだ。ぼくは銀河の中心に向けてメッセージを発信する。「神サマ、出テオイデ」
なんどもくりかえし見た夢だった。この宇宙を飛行する探査機のイメージには、さみしさやせつなさとともに、なにかが終わりなにかが始まる予感のようなものがあった。目覚めたあとも、それはぼくの胸の奥に小さな真空の玉となって残った。
ぼくはこのイメージをマンガにしたいと考えていた。それは人類の運命にかかわる壮大な叙事詩になるはずだった。だけど、いったいなにが終わって、なにが始まろうとしているのだろうか。宇宙を飛ぶ探査機の絵。それに続くストーリーがなかなか思いつかない。夢の続きを見れればいいのだが、夢はいつも同じシーンをくりかえすだけだった。
夢の余韻にひたったままベッドから起きだして、ぼくはマンガの原稿をテーブルの上に広げた。絵をながめ、ネームの文字を読みなおす。そして、その先の展開を考えた。ついに探査機はふしぎな信号をキャッチする。地球ではその信号の解読をめぐって大騒ぎになる。信号の発信源へ向けて、今度は有人ロケットが飛び立つ。壮大なスペースオペラになる予感がする。
でも、ちょっと違うような気もする。この絵のイメージはもう少ししんみりしたものだ。
もしかしたらこのシーンはオープニングではなく、エンディングなのかもしれない、という気がしてきた。しんみりした余韻はエンディングにこそふさわしい。この絵がラストシーンになるような物語を、ここからさかのぼって考えてみたらどうだろう。たしか『マンガ家入門』にも、結末のアイディアが先に浮かぶ例が出ていた。そういう方法もあるのだ。
そのとき、「青山くん」と呼ぶ声に気がついた。ぼくは考えに熱中するとひとりごとを言うくせがあった。
「どうしたの、なんかヘンよ」
イーノがぼくをのぞきこんでいた。
「マンガのストーリーを考えていた」
考えが中断された直後の不機嫌さがまだ消えていなかったのかもしれない。イーノはぼくの顔をうかがいながら話した。
「眠っているときも、なんかうなされているようだったよ。ときどき寝言を言ってた。起きたと思ったら、またそうなんだも、夢遊病かと思った」
「夢遊病? ンなわけないだろ」
ぼくはニッと笑った。イーノの表情がほっとゆるむ。
「こわい顔して、なに考えていたの」
「べつに」
「教えてよ、ケチ」
「神サマのこと」
「なにそれ。それがマンガのストーリー?」
「まァーな」
ヘンなの、と言いながらもイーノはしつこくストーリーを聞きたがった。ぼくは「ぜったいに汚すなよ」と、エンピツ描きの原稿をイーノに見せた。
「どう思う。これがラストシーン。つまり、地球に大きな危機がやってきて、人類は最後の望みを宇宙に求めたってわけ」
「どんな危機なの」
「だから、それを考えているんだよ」
ふーん、とイーノはあおむけに寝転び、天井を見つめる。
「いちおう、神サマをさがしに行く話なんだ」
「宇宙人じゃなくて?」
「どっちでもいいんだ。だって、人類の危機を救うことができるんだったら、神サマと同じことだろ」
ぼくは原稿をかたづけて、自分のベッドにもぐった。
「神サマって、本当にいるのかなあ」
と、イーノが天井に向かって言った。
ぼくは目をつぶったまま、神サマについて考えた。いるのか、いないのか。それをどうやって知ることができるのか。もしいることが証明され、しかも実際にぼくたちの前に姿を現わしたら、世界はどうなるだろうか。そのときのパニックを想像すると、ゆかいな気分になった。もしいないとしたら、ぼくや、この世界が、どうしていまあるのだろう。宇宙はどうやって始まったのだろう。そう考えると、目もくらむほどの大きな空虚に放りだされたような気分になった。なにもわからない。だけどやっぱり、神サマはいないより、いたほうがいい、とぼくは思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます