第2話 コゼットさんのお手伝い

「まずは水汲みに行ってもらおうかねぇ。ここでは人手がいくらあっても足りないからねぇ」

 コゼットさんが私に言った。


 働かざる者、食うべからず、という言葉がある。ここに住まわしてもらうのだから、働くのは当然なのだろう。


 だけど、どうもこのスラムは様子が違う。


 だって、病人や老人、働けない人がたくさんいる。明らかに、ベッドから動くことのできない人だっている。


 人手が足りないとはそういう意味なのだろう。


「精一杯頑張ります!」


「この樽、一杯の水を頼むよ」


 ワインの樽ほどの大きさの水樽。


「分かりました」


 王都には、いたるところに井戸が掘られている。水は必需品だし、生きていく上で、生活していく上で欠かせないものだからだ。井戸は、必須のインフラなのだ。


 私は、桶を持ってバラックの外へと出た。


 スラムにも井戸があった。


 もしろ井戸があるのが当たり前か。逆の発想だ。井戸があるから、スラムがあり、そこでなんか人が生活していけるのだ。


 スラムの井戸にも、釣瓶が取り付けられている。


『ソフィアの井戸』である。


 私にとっては、過去の栄光というか、あまり良い思い出がある代物とは言えない。


 試しに、釣瓶を使わずに井戸から水をくみ上げた。


 子どもの頃、一回、水をくみ上げただけで腕がパンパンになった。明日、筋肉痛確定、というような感じだ。腕がぷるぷると震えている。



 それに比べ、釣瓶式の井戸の威力は絶大だった。


 桶を投げ込む投げ井戸式は、腕力の力だけで桶を井戸の深さ、十メートル以上のところから桶を持ち上げて行かなければならない。そうしないと、桶が垂直に上がっていかないからだ。投げ込み式では、井戸に上半身を乗りだして、慎重に壁と桶がぶつからないようにくみ上げる。桶も破損しやすい。


 しかし、釣瓶式は体の体重で引っ張ればよい。釣瓶が、垂直に桶を引き上げてくれる。


 腕力だけで五キロのものを持ち上げるのと、体重を使いながら全身の力で五キロのものを持ち上げる。


 労力が全然違う。



 自惚れかも知れないけれど、釣瓶式の井戸って、人びとの役に立っていたんだ、と思う。



 王宮に行ってからは、次の『神託は?』と、いつも聞かれて、期待されて、もう嫌だった。


 そういえば、釣瓶式の井戸を考えたのって、私にいつも親切にしてくれる侍女、テレッサが腰を痛めたからだった。



『ソフィア様、ありがとうございます。これなら私も水を汲めます。失業しなくて済みます。本当にありがとうございます。これからも誠心誠意、ソフィア様にお仕えさせていただきます。このご恩は一生忘れません』



 泣きながらテレッサさんは私にお礼を言っていた。


 私はその感謝を素直に受け取れなかった。


『どっちにしろ、井戸から水を組んでいるとか、時代遅れでアホらしい。水道があって、蛇口ひねれば水が出るのが普通だし』


 内心では、そう小馬鹿にしていたのだろう。


 テレッサは本当に感謝してくれていたんだ。貴族の末娘に対するおべっかとか、社交辞令かと思っていた。


 ワイン樽一杯に水を汲む。投げ込み式だったら、それだけで疲れ果ててしまうような重労働だったのだろう。

 貴族の末娘として箱入りであったし、王宮に登ってからも井戸の水なんて汲む機会はなかった。

 

 テレッサの『ありがとう』は、本当の『ありがとう』だった。私は、私を可愛がってくれたテレッサの役に立っていた。

 

 私は、ちょっと救われたような気がした。ありがとう、テレッサ。

 

 そしてまた、釣瓶式の井戸を使いながら、誰か知らないけれど、前の世界で釣瓶式井戸を発明した人に感謝をした。


 現代からすると五百年くらい昔かも知れないけれど、それがこの世界では確かに、役に立っていて、人の生活を楽にしている。


 釣瓶。つまり、『滑車』を発明した人は偉大だと思う。『滑車』があれば、足場さえ組めば、どんなに重い石だって、ロープと滑車と土台が丈夫であれば持ち上げることはできる。


 どうやらこの世界の人も、梃子てこの原理は知っているようだが、この釣瓶式井戸のように、『滑車』を上手く応用すれば、工事などが安全になるだろう。


 もしかしたら、人力でもエレベーターなんてものも登場するかも知れない。


 王城には高い見張り塔があった。私も景色を堪能しに塔へと登ったが、螺旋階段でとてもキツかった。エレベーター乗りたい、と何度も思った。


 いや、でもエレベーターは無理か。たとえば、三人が乗ったとして、百五十キロくらいだろうか。その重量を引っ張っていくのに、やはり三人以上が必要だろう。モーターとか電動の力が必要になってくるのだろうし……


 あれ?


 そういえば、滑車って、反対側に重りを付けていなかったっけ?


 左側が十キロの重さで、右側に九キロの重石を付ければ、あと右に一キロの力を加えてやれば釣り合う。


 ん?


 釣瓶式井戸で、桶の反対側に重りを、その辺に転がっている石でも結んであげれば、労力軽減できそう?


 桶に水を入れたときの重さは五キロくらいだから、右側に三、四キロの重石を付ければ、差の分の、一、二キロの力を加えてやるだけでよい。重石の分だけ力が不要になる。


 5 — 4 = 1 みたいな?


 いや……きっとこれは私の記憶間違いだろう。


 そんな単純なことなら、誰かが思い付いているはずだ。だって、もう釣瓶式の井戸が国中に広まって十年は過ぎている。さすがに改良案が出されているはずだ。


 また、別の改良案だと、滑車の右と左の両方に桶を付けたら、桶を井戸へと落とす作業がなくなり、効率二倍な気がするけど……。


 いや、でも、まだこのスラム街にまで、改良版の井戸が届いていないだけなのだろうか。それだったら、私が近くに落ちている石を反対側に括り付けるだけで、改良できちゃうけど……。これだけで水汲みがさらに楽になる。


 難しい作業ではない。ロープの反対側に重石を結ぶだけだ。


 私は、早速作業に取りかかった。釣瓶を支える支柱に結び付けてあるロープをほどき、そこら辺に落ちている平べったいサッカーボールくらいの石を結び付けた。

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