旅路
木漏れ日が瞼を越えて、光を伝えてくる。不愉快な目覚めだと、新寺は身を起こす。
「ニック、起きた」
「リドリー、退け」
のそりと、新寺が立ち上がる。蜜色の肌の子供が、新寺の巨躯から転がり落ちる。
首を左右に曲げ、骨を鳴らす。派手な音をさせる首は太く、繊維質な音は数度鳴って止む。非常に涼しく、とても過ごしやすいが、新寺には朝陽に起こされるのは、あまり気分が良くない。
新寺にとって、朝は陽の光ではなく、あのオンボロアパートの部屋で、自らの眠気が覚めた時だ。
「ニック、朝」
「……リドリー、なんで腹に乗る?」
「店でこれすると、皆リドリーほめてくれた」
「……そうか、俺にはしなくていい」
「ん」
頷くリドリーを眺めて、木々の隙間から街道を伺う。人通りの少ない街道を選んだ事もあって、行商人の一人も歩いていない。
「よし、行くか」
「ニック、あれなに?」
小さな指が指し示す街道の向こう側には、赤黒い染みを浮かせて、襤褸布に包まれた何かが、木の枝に吊るされ、朝の風に揺すられていた。
揺すられ、先端に溜まった液体が滴り落ち、水溜まりを作っている最中だった。
「リドリー、あまり見るな」
朝から不愉快なものを見たと、新寺が舌打ちをする。赤黒く汚い木乃伊には、現地語で〝ざまあみろ〟と刻まれていた。
見せしめだろう。まだ新しい、恐らくは自分達が寝ている時には、吊るされていた筈だ。
「……迂闊だったか?」
新寺一人なら、気にも留めないが、今はリドリーという荷物を抱えている。こんな明らかに厄介事には、関わらないに限る。
新寺は少ない荷物を纏め、吊るしの木乃伊に背を向ける。
「ニック、いいの?」
「何がだ?」
「だってあれ、イモムシみたいで、ちょっとかわいいよ?」
「……お前は少し、ものを学んだ方がいいな」
どうにも、このリドリー・ベイカーという少女は、感性が独特で新寺には、理解が追い付かない事が多々ある。
これが彼女自身のものなのか、ダーク・エルフという種族のものなのか、区別はつかないが、理解が出来ないという事だけは確かだ。
「ニックは、かわいくないの?」
「仮に、あれを可愛いとして、お前はあれをどうする気だ?」
「少し持ってく。あきたら、すてる」
子供は純粋無垢故に残酷だ。誰かがそんな事を言っていた気がする。
傷だらけの手で、頭を掻く。確か、麻野だった。腹の肉を摘ままれたとか、鷲掴みにされたとかで落ち込んでいたが、なら痩せればいいと思う。
新寺が溜め息を吐くと、リドリーの長い耳が動く。
「……リドリー、問題だ。上手く答えられたら、次の町か村で菓子を買ってやる」
「ニック、リドリーはクリームたっぷりのケーキが好き」
「そうか。なら、これは何でどうするべきだ?」
新寺が指差すのは、粗末な革鎧に安い造りの剣や鉈に斧、そして下卑た笑み、新寺から見て、所謂ステレオタイプな山賊達が居た。
「おい! 大人しくしろ!」
「で、答えは?」
「大人しくすれば、殺さなねえ!」
「ニックが倒す」
「テメエら! なめてんじゃ……」
「正解だ」
襲い掛かってきた一人が、消えた。雑、無造作、技術を欠片も感じさせない拳が、音も無く、男を殴り飛ばしていた。
「は?」
「さて、問題だ。俺の嫌いなものを当ててみろ」
山賊達が意識を失う前に聞いたのは、新寺のそんな言葉。意識を失う前に見たのは、新寺の厳の様な拳だった。
「てごわい相手だった……」
「お前は何もしてないだろう」
適当に縛って一纏めにした山賊を、街道の脇に蹴り飛ばしながら、新寺は何故か誇らしく胸を張るリドリーを見る。
濃い蜜色の肌に白銀の髪、小さな体を反らせて、転がる山賊を踏みつけて、リドリーは鼻を鳴らす。
「こたえた」
「ああ、そうかい」
軽く息を吐き、新寺は上着の胸ポケットから、フレームの無い丸いレンズのサングラスを取り出し掛ける。
「ニック、ニック」
「ああ?」
「あれ、タコ」
「タコォ? こんな山の中に、タコが……」
リドリーが騒ぐ。新寺がサングラスをずらして、その先を見れば、先程まで吊るされていた木乃伊の頭部が、気色悪く膨れ上がっていた。
腐った血肉の色は、絶妙に赤黒く、裂けた襤褸布が垂れ下がり、肉から伝わる血と膿に染まる。
口か鼻か、それすら最早判断出来ない部分から、血と膿、腐り溶けた肉が泡となり吹き出す。
「うわぁ……、ニック気持ちわるい」
「言い方を考えろ。気持ち悪いのは、アレだ」
気味の悪い見た目で、実に気分の悪くなる水音を立てながら、膨れ上がった頭を揺らす。半固形と液体を、水風船に入れて揺らせば、こんな音が出るだろう。
だが、今揺れているのは、血と膿と腐肉を詰めた肉風船だ。正直、これ以上は聞きたくも見たくもない。
「リドリー、伏せてろ」
「ん」
新寺は側に残っていた枯れ木を、裏拳で抉る様にへし折ると、そのまま槍投げの要領で、肉風船へと投擲する。
「あ?」
「ニック、どうしたの?」
一瞬、肉風船が笑った。そんな気がした。甘ったるい様な、甘臭い声で笑った様な気がした。
不愉快に不愉快を掛け合わせても、そこから出てくる答えは、総じて塵屑以下だ。これならまだ、隣で呆ける小娘の戯れ言の方がいい。
「タコ、ばくはつする。リドリーはかしこくなった」
「それは間違いだから、今すぐ忘れろ」
「そんな!」
吊るされていた木に、今度は磔にされて、肉風船は破裂した。辺りには腐り溶けた血肉と、半ば固まった膿が撒き散らされ、赤と白濁した黄色の二色の水溜まりが出来ていた。
「……ああ、最悪だ最悪だ最悪だ」
「タコ、ばくはつしない。リドリーかしこい」
最悪だ、最悪の気分だと、新寺は吐き気を催す光景を背にし、リドリーがそれに着いていく。
徒歩の旅路は長く、それなのにあんなものに出会した。この仕事は上手くいきそうにない。サングラスの位置を直して、前に視線を向ける。
細く長い煙が幾つも伸びている。炊煙だ。
「町か?」
「ニック、ケーキ」
「売っていればな」
地味に高級菓子を要求するリドリー、溜め息を吐き、背を丸める新寺。
この二人の旅路は、二人の絆と親愛
そして、
「リドリーは、クリームと果物たっぷりのケーキがすき」
「一番高いタイプじゃねえか」
別れの物語である。
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