異世界召喚 身勝手に呼ばれて身勝手に捨てられたから隠居したい 外伝

逆脚屋

竜胆さんの華麗なる一日

 呻き声が聞こえる。まるで、地獄の釜の底に焦げ付いた、亡者の様な声が紙や羊皮紙等々の記録媒体が、所狭しと積み上げられた部屋に唸っていた。


「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙! 終゙わ゙ら゙ね゙え゙え゙……!」


 喉が渇ききっているのか、机に突っ伏した姿から漏れ出る声は、嗄れ割れていた。


「あ゙あ゙あ゙あ゙ゔゔあ゙あ゙あ゙……」


 唸り呻き、身を悶えさせる。だが、その手に持ったペンは、確かにインクを染み込ませ、机に広げられた紙に文字を羅列していく。

 ただひたすらに、ペンが紙や羊皮紙にインクを文字の形に染み込ませ、その繊維をペン先が削る音が、声の主の耳に入り込んでいく。


「……今日で何徹目だっけ?」


 不意に、声の主は突っ伏した顔上げ、そんな事を口にした。

 机の引出しを探り、手鏡を取り出す。

 酷い隈だ。歌舞伎の隈取りの様に、暗く目が窪んで見える。しかもその癖、その奥にある両目は、ひどく鋭く獰猛な輝きを放っていて、見るからに危険人物が、手鏡に写っていた。


「おおぅ……、こりゃヒドイ」


 朝日を背に、女は今までの記憶を掘り返す。

 一日二日三日四日……

 振り返り、疲れきった顔に太い筋の汗を一つ垂らす。人間とは、最長で何日寝ずに活動出来たか。

 この異世界に召喚され、魔力やらなんやらで肉体に補整が付いたからといって、これ以上の連続徹夜は危険だろう。

 そう思い、竜胆は痩躯を起こし、長い髪からフケを掻き出す。手指が頭皮を引っ掻く動きに合わせて、白い粉が磨かれた黒檀の天板に降り積もっていく。


「あぁぁぁぁ……、女として終わってね? 私」


 この世界で、この役目に就いてから何度目か解らない問いを、誰にでもなく口にする。

 普段ならここまで仕事が詰まる事は無いが、今は緊急と秘匿の両方が、一辺に畳み掛けてきた。


「リンドウ様、起きておられますか?」

「お~う、起きてる起きてる」


 部屋の扉をノックする音と、竜胆を呼ぶ声に返事をすれば、静静とメイドが部屋に入る。


「はあ、リンドウ様。湯浴みの支度は整っております」

「お? 以心伝心?」

「御部屋に篭られて一週間、着替えもしておられないでしょう」

「あ~、超頭痒い」


 乱暴に頭を掻く。メイドが溜め息を吐けば、竜胆は目立つ八重歯を剥き出しにして笑う。

 この目立つ八重歯で、初めの頃は吸血鬼か何かと間違えられたりしたが、今となっては留守にする事の多い屋敷を任せられる人材となった。


「……御部屋の掃除は如何致しましょう?」

「んあ? ああ、掃除は無し。つーか、見たらヤバイもんもあるから、出てった出てった」

「畏まりました」


 気付いていたのか、机に積み上げられた書類には目もくれず、メイドは部屋から去っていく。

 レミエーレ王国の機密や、竜胆が一人極秘裏に進めている計画、国の予算案。その一端が、竜胆邸のこの部屋に詰め込まれている。

 万が一見られても、竜胆にはそう問題は無いが、他の貴族や王族、政治家には問題ありだ。

 最悪、秘密裏に処理されるか、一生幽閉なんて事もあり得る。

 竜胆としては、それは困る。竜胆邸で働いている者達は、全員が竜胆自身が引き抜いてきた所謂〝竜胆のお気に入り〟だ。


「さってと、風呂風呂」


 仮に、〝竜胆のお気に入り〟に手を出せばどうなるか。

 過去にとある貴族が、止まる事無く出世していく竜胆を妬み、彼女の〝お気に入り〟の一人に傷を付けた。

 その結果、竜胆は政財界で〝魔女〟〝魔王〟と呼ばれる様になった。

 竜胆の行った報復は単純、その貴族の資産を残らず奪い去った。金貨一枚、麦粒一粒残さず、綺麗に己のものとして平らげ、ついでとその貴族の汚職の証拠や隠し財産を、民衆へとばら蒔いた。

 貴族や政治家達の間に広めれば、その事実をねじ曲げたり、揉み消したり出来ただろう。

 だが、竜胆は敢えて民衆へと、怒りの火種を蒔いた。


「おや、リンドウ様。御仕事は宜しいのですか?」

「おうおう、国的には宜しくないけど、竜胆さんには宜しいのだよ」

「それは宜しゅう御座いました」


 加えて、その貴族は領地であまり善政を敷いてはいなかった様だ。竜胆が蒔いた火種は、瞬く間に燃え移り、とうとう国がその貴族を処刑する事態となった。


「命の洗濯は~大事~っと」

「あ、リンドウ様」


 竜胆が適当な鼻歌を歌いながら、浴場へ向かっていると、新人のメイドの一人が声を掛けてきた。


「お~う、どったよ?」

「お客様がお見えに」

「客?」


 竜胆が首を傾げ、疲れた頭で今日の来客予定を思い出すが、思い当たるのは一つしかない。だが、その来客は夜だ。今は朝、その来客が来る時間ではない。

 さて、一体誰なのかと、竜胆はエントランスまで降り、その来客を目にすると、


「ふへ」


 八重歯を見せた笑みを浮かべた。






 〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃〃






 和泉忠久は、一日の疲れを湯に浸かり癒していた。

 嘗ての召喚勇者が建てたという、日本家屋風の屋敷には露天風呂があり、和泉の楽しみは一日の終わりに、これに浸かり一日の疲れを労う事だ。

 僅かに張った腕を、解す様に伸ばし、簡易なストレッチを行う。

 この世界に呼ばれてから、あまり録な事が無かったが、それでも衣食住は確保され、仲間の一人による容赦無い手腕により、自分達の立場も確立された。


「ふぅ……」


 湯で温もった息を吐き、風呂から上がったら、貰い物の干物を肴に、酒を少し呑むかと、折角なら神野を呼ぶのも悪くないかもと、算段を立てて、和泉が静かな夜を楽しもうとした時、


「よーう、和泉! 竜胆さんが背中流してやるぜ!」


 和泉の静かな夜は、一瞬で崩れ去った。


「真っ直ぐ、寄り道せず今すぐ帰れ」

「そんなつれない事言うなよ。ほら、ゲストも来てんだぞ?」

「ゲスト?」


 和泉家露天風呂の戸を、勢いよく開け放った竜胆。痩身の彼女が、タオル一枚を纏った体を横にずらすと、見目麗しい美少年が、タオルで体を隠し立っていた。


「はっはっはっ、見たか。この竜胆さんのお気に入り……!」

「お前な……」


 色気、色香とでも言うのか、その少年を見た時、不覚ながら和泉は反応が一瞬遅れた。

 湯に浸かったまま、和泉が頭を押さえる仕草をすると、竜胆が少年を伴って湯に浸かる。


「ああ~……、いい湯だな」

「竜胆、あまり派手に遊ぶなと、言った筈だが?」

「派手の内に入らねえよ」


 溜め息を一つ吐き出す。この世界に来てから、一番変わったのは竜胆だ。いや、変わったというより、我慢する事をしなくなったのが竜胆だ。

 彼女と仲の良い者なら、竜胆の性的嗜好を知っている。


「セレ・エルフ、しかもニンフ族とハイ・エルフのハーフ、正直辛抱堪らん……!」

「あ、リンドウ様」

「自分の家でやれ」


 生粋の美少年美少女好き。

 竜胆は兎に角、美少年美少女に分類される男女を好む。

 それは、自分達の世界でも平然と公言していた事だ。そして、この世界にはその性癖を制限する法も無ければ、それを叶える財源も得ている。

 最早、竜胆を止める手立ては無かった。


「うへへ、このしっとり滑らかな肌。和泉、部屋貸して」

「帰れ」


 少年を抱き寄せると、竜胆は熱を持った吐息を吹き掛ける。それに少年が身を震わせると、竜胆は更に深く少年を掻き抱く。


「竜胆、何をしに来た?」

「何って、ナニをだよ」

「今すぐ帰れ」


 和泉は竜胆の変わらぬ調子に、再び頭を抱える。

 この忙しい時期に、この女は何をしているのか。


「まあ、話を聞けって」

「話?」

「結婚式の出し物決めたか?」

「結婚式? 誰のだ?」


 肉食動物を思わせる鋭い八重歯を見せて、竜胆は笑う。その彼女が発した言葉、それに和泉は首を傾げる。

 和泉の記憶が定かなら、近い時期に結婚式を挙げる者は居なかった筈。

 和泉が考えていると、竜胆は抱き寄せた少年の躯に手指を這わせながら、軽薄な笑みを崩さず言った。


「山科とグレイさんのだよ」

「初耳だぞ……! いや待て、そこまで話が進んでいるのか?」

「モチさ。盛大にやるぜい」

「そうか、正道は?」

「神野も当然、出席する」

「そうか」


 親友の祝い事に、和泉は仏頂面と呼ばれる顔を僅かに綻ばせる。

 グレイ・オーフィリアと神野正道には、山科を巡って静かな争いがあった。だが、互いが互いに己の想いを貫き、収まるべき所へ収まった。


「目出度いな」

「おう」

「ふむ、竜胆。少し良い酒と肴を貰っている。呑むか?」

「お、マジで。部屋借りていいのか?」

「……離れが空いている。あまり汚すなよ」


 もう何を言っても無駄だと、和泉は深い溜め息を吐き出した。

 竜胆は上気した肌の少年を抱いたまま、八重歯を見せて笑った。

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