第89話 霹靂神
「なんか雨降りそうな天気だね」
そう誰かが呟いたのを耳にして空を見上げると俺達の未来を暗示するかの如き曇天——暗雲が広がっていた。
戦況は変わらず子供達の半数が迎撃し、もう半数が休憩している。俺も迎撃に加わろうとしたが「連携が乱れる」と却下された。
夜も明け朝陽に照らされ明るくなっている時間だが曇り空のせいで薄暗い。だが、多少なり明るくなった事で強化した視覚にはより鮮明に
地面に転がる死体の香草狼牛よりも現在交戦中の香草狼牛の方が、それよりも奥にいる群れの方が身体に生える植物の割合が多い。
「
「総員! ブレスを警戒するのです! 身体に生える葉っぱを自分で食べ出したらブレス注意なのです!」
「香草狼牛ってブレス吐くのか?」
思わず尋ねてしまった。
だってブレスだよブレス……火でも吐くの?
「身体に生える植物の割合が三割を超える個体はブレスを吐くのです。生えてるのがスーッとする葉っぱなので、凄くスーッとするブレスを吐いてくるはずなのです」
聞いた感じ、香草狼牛の身に生えている植物の成分を濃くしたガスを吐くっぽいな。
生えているのが唐辛子だと催涙ガス、
「それと気になったんだけど香草狼牛が思ったより近づいて来てないのはなんでだ?」
ルトラは現在休憩組で余裕がありそうなので気になっていた事を聞いてみた。
最接近したのが最初の柵をよじ登って来た時で、それ以降は俺達を大きく囲うように前へ出ている迎撃組の所までしか寄ってこない。
「それは眠れる
「……トーラなら起きてるけど」
と言うか俺に撫でられて喉を鳴らしている。
「気付かれていなければ相手にとって寝ているのと変わらないのです」
「ブレスの予備動作だ! 総員! 下がれ!」
アトラの号令で密集陣形となる子供達。
香草狼牛のブレスは初速こそ速いものの一歩分も進まない内に減速し、ゆっくりとした緑の濃霧となって地を這う様に迫ってきている。
ブレスを吐いたのが一匹や二匹ではない為、地を這う緑の濃霧は俺達の身長を超える高さがあった。このままだと確実に呑み込まれる。
「ソラ! あの緑の霧、吸っちゃダメ!」
ティアナの危機迫る警告。
皆の息を呑む音からして、この場にいる全員にとってあの霧は危険なのだろう。
問題は逃げ場が後方の川しかなく、おまけに此処よりも低い位置にあって逃げられない事。
俺だけなら『空間掌握』を使って空中へ逃げられる。だが、そんな選択肢は俺の中には存在しない。俺が取った選択肢は迫る濃霧へ向けての『空間掌握』だった。
ここ数日で『空間掌握』がその名を冠する理由が理解できた。魔力の収束点は手元や足元である必要はなく、自分の魔力が及ぶ範囲であれば任意に指定できる。おまけに魔力を収束する動きまで気を配れば形状や向きまでが自在。
文字通り俺の魔力が満ちる空間を掌握する。
俺の柏手を打つ動きに合わせて緑の濃霧は俺と香草狼牛達の中間点へ凝縮され、粘性のある緑の雫となって地面に落ちた。
落ちた雫から濃縮されたミントの香りが漂うと香草狼牛達の目の色が変わる。
「あなた達、今の内よ! 香草狼牛達の意識が逸れてる間に氷の塔へ! 早く! ソラも!」
ウナの声を皮切りに香草狼牛の群れは緑の雫が落ちた場所へ殺到し雫を奪い合う。その隙に俺達はウナが川の水を凍らせて作った塔の上へ避難した。
氷の塔は逆円錐状で先端が川の底に突き刺さる様に立っている。高さも拠点近くに生えていた樹木と同程度まで高く、木を登るのが苦手な香草狼牛では登ってはこれない。
現に雫争奪戦に負けた中の生き残りが氷の塔へ向かって来たが、爪を立てる事すら叶わずに川へ落ちて流されていった。
「どうする、対岸に逃げるか?」
「それは無理みたいよ、ソラ」
「川の向こうにも香草狼牛の群れを確認!」
アトラの声に振り返って見れば反対側の川岸にも香草狼牛が押し寄せていた。
「なら、川を下るか?」
「ソラ、それは無理。この川も命恵の森を出る前に地下に潜るから」
「し、知らなかったのです」
そうだった。
「おや! 雨が降ってきましたよ!」
ヴリトラさんの声に上を向くと水滴が一つ、二つと当たる。まだ小雨だが、雲の様子から雨脚が次第に強くなるのは間違いない。
「そうだ! 姉上であれば香草狼牛の大群を突き抜けて助けを呼んで来れませんか?」
「待つのです、それだとアトラの試験が——」
「構いません! 私の成績などより皆が無事に帰れる事の方が重要です!」
「留年の危機でもなのです?」
「………………ルトラともう一年学校に通うのもわ、悪くありませんから!」
「アトラ……」
「我が妹ながら天晴な覚悟です! 私も姉として妹の覚悟に応えて魅せましょう!」
カッコいいじゃないかアトラ。これは子供達と呼んでいては失礼だったな。
「待て、それだったら効果があるかは分からんが
「ボス!」「ソラ様!」「ソラ殿!」
「責任は俺が取る。ヴリトラさん頼めるか? っとそうだ、走る際はこんな感じで足裏に煌刃を生やしてミントを地中の根ごと刻みながら走ってくれ。今の森はミントだらけだから煌刃が根を噛んでグリップが増すはずだ」
そう言って靴裏に煌刃でスパイクの鋲を形成して見せる。そういえばこの靴、地味に性能が良い。足との一体感もそうだが、靴越しに煌刃や煌爪が形成可能なのだ。
「なるほど! グリップとは何か良く分かりませんが、こんな感じですね!」
「たぶん、より地面に力を伝えられるとかそんな感じだと思うのです」
「あ、田んぼ作ってた時のアレだ」
「確かにあの時はいつもより速かったわね。少しだけだけど」
すんなりと真似してみせたヴリトラさんは氷の塔から飛び降りた。
「それでは! ヴリトラ、推して参ります!
蒼と金色の閃光と化したヴリトラさんは光の尾を描きながら香草狼牛の大群を撥ね飛ばし、一直線に命恵の森を駆け抜けて行った。
「よくもまぁ、即席で技名思いつくな……」
「あ、それは授業でやるからですね」
背後にいたトライパが俺の呟きを拾って教えてくれた。そうか授業で……授業で!?
「雨が強くなってきたので——きゃん!?」
小雨は豪雨へと変わり、雷が森へ落ちる。
稲光と雷鳴の時間差が無い。雷鳴の轟音で何人かは虎耳、猫耳を抑えて蹲ってしまった。
「ウナ、氷で屋根作れないか?」
「やめておいた方がいいわ。屋根で覆うと冷気が篭るからこの暑い時期でも凍える羽目になるわよ。それに屋根までつけると森の樹木よりも高くなって危険よ?」
森に避雷針なんて物は無い。木の一本一本が避雷針みたいなモノだ。その木々より氷の塔が高くなってしまえば雷が塔に落ちる可能性は跳ね上がってしまう。しかし、ずぶ濡れのままでは体温を奪われ時間が経つにつれ状況は悪化する。どうするべきか考えを巡らせているそんな時だった。
突然のティアナからの指示。
「みんな、伏せて! トーラ、行くよ!」
ティアナの声に俺以外の全員が反応し、その場に伏せる。トーラがティアナを背に乗せ真上へ天高く跳躍した。
「ティアナ、何を……」
ティアナは空中でトーラの背から更に上へと跳び上がる。
俺には見ている事しか出来なかった。
黒雲から音を置き去りにして迫る視界を埋め尽くす程の光の束、激しい雷——
何かがおかしい。
感覚が引き延ばされて時の流れがゆっくりになっているわけでもないのに稲光が空中に止まって見えている。
あれ、これティアナとトーラが雷の奔流を呑み込んでない?
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