シンプル雑話1000

ブル長

小さな思い出

第1話 雨の海

 雨の日にタケシは傘をさして歩いていた。国道10号線沿いの歩道にはさびれた釣具屋が並んでいた。シャッターの下ろされたそれらの店は雨の中で錆びたブリキの玩具のように見えた。

 タケシはそのまま歩いて海に出た。砂浜におりる。雨に濡れた砂はタケシの長靴に小さく音を立てた。雨のにおいが強く、海の香はしない。波打ち際では相変わらず波が。こんな雨でも波は寄せて返す。雨に降られても変わらないものがある。タケシはそれを知った。

 雨の海を眺める。雨粒が見えない。ただ白く煙っているように見える。水たまりに波の紋を作れても、海のおもてには作れない。それが雨粒の悲しさだった。

 タケシは目を閉じた。そしてまた開いた。目の前に広がっているのは雨の海。

 そこには自然の営みだけがあった。自然はただ自然だった。ここに意味を加えようとすると人間のにおいがしてくる。タケシはそんなことをしたくなかった。ただ海を眺めていよう。そう心に決めて、雨粒の悲しさを忘れた。


 テルアキ老人は海辺の遊歩道を歩いていた。定年退職してから一度も欠かしたことのない散歩を楽しんでいた。散歩のとき、テルアキ老人は人生を振り返る。自分の人生はこれでよかったのか。そんなことを考える。後悔があったとしても、もう取り返せないことは知っている。ただ過去を思い出すままに回想する。自分の人生がこれでよかったんだと、静かに納得するために。そんなひとときを、テルアキ老人は気に入っていた。

 ふと顔を上げたテルアキ老人は海に一人の少年がたたずんでいるのを見つけた。黒い詰襟の後ろ姿は、まだ幼い。おそらくこの近くの中学校の生徒だろう。テルアキ老人はそう見当をつけた。

 声をかけようか。一瞬、そんな考えが頭をよぎった。いや、よそう。テルアキ老人は苦笑した。自分の老婆心に呆れたように。これでいいのだ。この何もないひとときに、彼は何かを悟るだろう。そう思い、テルアキ老人は再び歩を進めた。


 雨の海を見つめていたタケシは、やがて視線を切って踵を返した。そこでタケシは一人の老人を見つけた。傘もささず、雨に打たれながら海岸沿いの遊歩道を歩いていく。あれは……未来の自分ではないか? タケシはそんな錯覚に陥った。老人の姿は煙る雨の向こうに消えていく。タケシはそれを見送って、そして自分も歩き出した。どこへ向かうのか。それは分からない。雨は降り続き、やがてそのとばりの向こうに二人の姿を隠してしまった。

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