溜まった涙
母は亡くなる頃、もう大分認知症が進んでいて、私と父の区別もつかないほどだった。
だからというわけでもないのだが、私は母が亡くなっても、涙を流さなかった。「異邦人」のムルソーではないが、人非人と言われても仕方がないのかもしれない。
しかしその原因は、やはり母と私の関係が、父親との関係ほどではないが、軋轢と葛藤に満ちたものであったからだろうと思う。
とはいえ、子供の頃はずいぶん可愛がってくれた。
何より私のオムツを替えてくれたのも、母乳を与え、食事を作り、私の服を洗濯してくれ、色々な所へ遊びにも連れて行ってくれたのは、そして子供の頃都内の病院に入院した時毎日見舞いに来てくれたのは、紛れもなく病院のベッドで息を引き取った母、その人であったのだから、涙の一つくらい流して当然だったのではあるまいか。
しかし、私は泣かなかった。
今に至るまで、涙のひとつも流していない。
反対に、私が病院に駆けつけ、息を引き取る前の母に
「お母さん、来たよ!」
と言うと、聞こえたのか分からないが、母の閉じた目から一筋のしずくが流れた。
私を私と認識してくれたのか、それとも父と思ったか、あるいはただ訳もわからず涙を流したのか、それはもう分からない。
亡くなる前の1年半くらい、私は母の面倒を見て、毎日クタクタだった。
シモの世話までして、それこそうんざりしていた。
だから結局、母を施設に入れてしまった。その施設に入所して半年後くらいに、母は亡くなった。
そうした経験も、泣かなかった理由の一つかもしれない。
認知症の母との関わりは、本当に苦しい日々だったから。
しかし、時が経つに連れ、母へは育ててくれたことへの感謝の気持ちは残っていく気がしなくもない。
私が幼い頃母と写った写真を見て介護のモチベーションを保ったように、やはり自分にとって母は母、それは誰にも変えることはできない。
最後は文字も書けず、まともな会話も通じない母だったが、達筆で、山ほどしたためられた短歌や、自分にくれた誕生日カードなどを見直すと、認知症は母の人生の終わりのほんの一時期のことだったのだということがよく分かる。
だからその時期の記憶が強烈なのと、やはり「軋轢と葛藤」が忘れられないのは悲しいことだと思う。幼少期という、母がかけがえのない存在であった時期が、遠い昔でしかないことは、残念なことだと思う。
結局、人間対人間は現在しかないのだと思う。
過去にどんな思い出があろうと、その後の関わり方、そして現在の在り方で、相手への感情は変わってしまう。
私の心の中には、涙の泉があると思う。
長い母との関わりの中でしっかりと封印されてきたものだ。
その泉が、もしかしたら何かがきっかけで溢れ出す日が来るかもしれないし、来ないかもしれない。
しかし、そういうものが心の中にしっかり溜まっているのは間違いのない事実のようなのだ。
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