夕食はパスタ
ひとりっ子の大学生の拓哉が友達の家に遊びに行くというので、うちの中はきょうは妻と私の2人になった。
拓哉は泊まってくるというから、
「晩ご飯は何でも簡単なものでいいよ」
と私が言ったが、結局妻はスパゲティとサラダを作っている。
いつからか、こういう夜が多くなった。
拓哉が出かけて、妻と2人の夕食。
私は妻がスパゲティを作るのをじっと見ている。
こんな感じで、間もなく、段々歳をとっていくのだろうな、と思う。
どういう脈絡からか、大学を卒業して小さな出版社に就職した時のことを思い出した。
その会社は、小さいながらも有名な文学作品などを多数手がけている、名の通った出版社だった。
私は自分が不安神経症であることを隠して採用されたが、実際勤めてみると、出版の世界は私にはキツ過ぎた。
朝はストレスのため嘔吐する。
仕事が終わったら、エディタースクールというところに通わされ、夜遅くまで校正などのの勉強をする。
それが終わると、もはや1時間半かけて郊外に帰る気力はなく、当時流行っていたカプセルホテルなどに泊まる。
そして朝は緊張のせいで嘔吐し、1日ムカムカ込み上げるものをこらえながら仕事する。
正直、仕事が辛いのはガマンする。苦しくても仕事だからやる。
しかし、自分の病気からくる嘔吐にはまいった。これは本当に苦しい。仕事にならない。
結局、私はその出版社を辞めることになるのだが、それ以降、いわゆる社会的ステイタスとも、人並みの給料とも、ずっと縁がないまま生きてきた。
パスタが茹で上がる。妻が皿に盛る。
もし嘔吐さえなければ、私は妻や子に、もう少しいい思いをさせてやれたかもしれない。
しかし結局私は、なるべく社会の片隅で生きることを選んできた。
出版社の辛い経験からも、自分の病気からも、自然そういう生き方を選ばざるを得なかった。
「食べよう」
食卓にサラダとスパゲティを並べて、妻が言った。
「うん」
2人ともいただきますと言ってフォークを手に取る。
寂しいから、YouTubeで音楽を流す。
私は、「犬夜叉」のO S Tを選んだ。
部屋に、静かな曲がたゆたった。
「あなた、ラーメンみたいに食べないでよ。ちゃんとスプーンも使って」
「うん」
「おいしい?」
「うん」
妻との寂しい食事。寂しい会話。
10年後も、20年後も、こうしていられるといいけど。
2人とも元気だといいけど。
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