6 紋章
とある貴族の邸宅、その屋根の上。
黒いローブの男は城の上に広がる黒紫の焔を認めるに、遠視の術を解いて毒づいた。
「……チッ、結局駄目だったか」
男は魔術師であり、またそれなりに屈強な体躯の持ち主である。魔術師よりはそのあたりの兵に見えなくもない外見は、ゲッグスの弟子としてマエリデン侯爵に近づくのに役立っていた。
ようやく侯爵邸から火の手が上がっていた。地下からの焔の舌が侯爵邸全てを焼き尽くすまで至るかは微妙なところだろう。邸宅地下の研究施設や魔殖樹などは全て破棄した上での
なお侯爵一家は刎首による仮死状態から目覚めた侯爵が、直後に装甲して始末していた。殆ど条件反射のようなものだった。
侯爵やゲッグスに甘言を吹き込み、覇国の尖兵とするべく仕立て上げたのも無論彼である。侯爵邸に
任務に就いてから、侯爵やその一家を哀れだという感傷に囚われもしたが、すぐに脳裏から払い除けた。それもこれも全ては覇国のためである。個人的な感情は、大義の前には比べるにも値しない。
彼は赤子の頭ほどの大きさの水晶球を取り出した。
「あら、どこへ
視線を向けると、ローブの美女が妖艶に微笑した。
この女、魔術師か――反応する前に美女の指が何かを弾いて飛ばした。それは過てることなく額の正中に突き刺さった。魔術師は昏倒し、瓦屋根の傾斜を滑って、雨樋のところで止まった。
美女――エアンナは男の頭のあたりにしゃがみこみ、仮死状態にある魔術師の額を探った。細い指によって引き抜かれたそれは、長さ五寸ほどの結晶の
「それじゃあアズレア魔術師の皆さん、後はお任せするわね」
針を手巾に包んで立ち上がったエアンナが手を振ると、その姿は風に掻き消されたかのように見えなくなった。動かぬ覇国の魔術師に、屋根や街角や塀の裏から影が立ち上がり、群がってゆく。魔術師なれば、半死半生の相手であろうとも口を割らせる
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アズレア城の書庫にて、分厚い書物を開く。五日かけて目的の記載を探し当て、マーベルは長く溜息をついた。古今の家系について書かれた紋章録である。
そのページにはドレイクの
獣神騎士などの記載はなかった。
事件の二ヶ月後、アズレア大公モンドの元に二つの箱が送られてきた。それには親書が添えられており、先日の非礼を詫びる文面と、箱の中身の物は二人の騎士に渡して欲しい、という内容が
その場での開封を許されたマーベルとハイダンは、感嘆の溜息を思わず漏らした。
「これは……素晴らしいな、マーベル卿。名工ウルフハートの剣もかくやと思われる剣だ」
「ええ……透き通りそうなほどに美しい剣です」
箱の中身は、いずれも剣である。無骨な造りの長剣と、簡素だが瀟洒なレイピア。いずれも見ただけで切れ味の鋭さが理解出来るような逸品だ。
後で分解してみると、剣の
これを以てエフェスは剣の義理を返したのだ。
意外に律儀なのだな、とマーベルは可笑しく思った。
レイピアを鞘に納めたまま見た。この剣の
クーヴィッツとロイデン間の国境の防衛は既に破られていた。これによってクーヴィッツの防衛線は後退を止む無くされ、じりじりと追い込まれているという。その最先鋒たる異形の幻魔兵の存在は最早公然の存在である。
エフェスがそれを看過するはずがない。彼(と、協力者らしき女性)の行方は知れぬままである。だがガウデリス覇国に激しい敵愾心を抱く彼ならば、必ずや闘いを続けているに違いない。
ハイダンと共に大公に訴え続けている。ウィロンデ中原の国家は恩讐や怨恨、打算や利害を捨て、侵攻するガウデリス覇国の脅威に当たらねばならないと。その先触れとして、幻魔兵の力を目の当たりにしたアズレアがやるべきことは必ずあるはずだと。
彼女の物思いを、衛兵の声が現実に引き戻した。
「マーベル卿、大公殿下がお呼びです」
「ありがとう、今行きます」
立って書を棚に戻し、書庫を出た。いよいよだ、という確信があった。
旅立ち。そして獣神騎士エフェスとの再会の日は遠くないのだ、と。
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