ex そして悲鳴は鳴りやんだ

「ひ……ッ」


 ルミアに声を掛けられたエマは怯えた声を上げビクリと肩を揺らす。

 見た事が無かった。今まで一度だって見た事が無かった。

 今までこの世界で生きてきて。精霊加工工場でナタリア達が囚われていた部屋を開いた時だって。


「……ッ」


 そこまで怯えた表情を見せる精霊など見た事が無かった。


「ちょーっと待っててね」


 そう言ってルミアは牢の鍵を開く。

 なにかに必要な資源を取りに行く様な感じとはまるで違う。

 逃げて隠れていた獲物を、喜々とした殺人鬼が追い詰め捕まえる様に。

 そんな風に、エマの前へ屈み込み首の枷と繋がった鎖を取ろうとする。


「やだ! やだぁ! いやあああああああああああッ!」


「ほらほら暴れないでよ。暴れるとまたあのお薬打っちゃうぞ☆」


「……ぅッ、あッ……ひッ」


 暴れ、そして何かがパンクしたように、エマが過呼吸に陥ったのが分かった。

 そしてそんなエマに構うことなく、ルミアはエマの鎖を外す。


「よし、外れた外れた」


 そしてその場から動こうとしないエマの腕を掴んでルミアは言う。


「はいじゃあいくよー」


 そしてそのままエマを牢から無理矢理引きずり出す。

 とても……とても楽しそうに。

 そして無理矢理引きずり出されたエマは、過呼吸になりながら手を伸ばした。


 エルに向けて。

 まるで助けを求める様に。

 だけど……何もできない。


(……エマさんッ)


 ……なにもしてあげられない。


「じゃあ二人とも、またね」


 そしてルミアはエルと金髪の精霊にそう告げて、エマを手荒く引きずってどこかにつれていく。

 多分普通に持ち上げる事だってできる筈なのに、きっと無理矢理引きずって。


「……」


 そしてやがて、二人の姿は見えなくなり辺りは静まり返った。

 つい先程までここで誰かが喚き散らしていたとは思えないほどに。

 それを笑って抑え込んでいた人間などいなかったように。

 ただただその場に静寂が訪れる。


「……本当に地獄じゃないですか」


 分かっていたつもりだった。

 人間に捕まっている以上、それがどこであろうと地獄の様な場所だという事は分かっていた。

 だけど……多分自分が想像していた様なレベルは軽く跳び超えてしまっている。

 ……それだけ自分の前に現れたルミア・マルティネスという少女の頭の中は理解できない思想で詰まっている。

 ……そして。


「……こんな所にずっといたんですか?」


 返事が返ってこない事は分かっていても、エルはその精霊にそう尋ねた。

 自分達と別れてから、名前も知らない金髪の精霊はこんな酷い所にいたのかと、半ば独り言の様に。

 そして当然、言葉は返ってこない。

 だけど感情のない人形ではないのだと。隣にいる精霊は何かがあれば苦痛を感じるだけの自我があるのだと。

 それが分かる位の。改めて分かってしまう位の反応を。エルの言葉に顔を向けるという小さな反応を示す。

 そして改めてその精霊と向き合った事で見つけてしまう。


「……ッ」


 腕に残った、生々しい注射針の後を。


 ……一体その跡ができた時にどういう事が行われていたのかは分からない。あのルミアという人間が何をしたのかは想像も付かない。

 だけど少なくとも……対策局で霞との間で行われていたいた様な物ではない事は間違いない。

 同じ精霊に関する研究だとしても、完全に別物だ。

 別物だと断言できるだけ酷い目にあっている。


(……本当に、今シオンさんはどこで何をしているんだろう)


 こんな状況を彼は絶対に許さない筈だ。

 彼が築き上げた地位を全部捨ててまで彼女に寄り添っていたのだとすれば、それこそこういう状況に陥る事だけは阻止する筈。

 ……なのに一体何が起きればこんな事になるのだろうと、そう思った。

 そしてそう考えて一つの仮説に辿りついた。


 ……おそらくシオンとあのルミアという人間の間に何かがあったのだろうと言う事。


 先程のルミアの口ぶりから察するに、二人の間に面識はあると見て間違いないだろう。

 そして研究材料としてとても高い価値を持っている精霊をシオンが連れていると知った。

 そうなれば……あの性格の悪いルミアという人間なら、結果的にこういう事になる様に動いたっておかしくはない。

 ……多分シオン・クロウリーはルミアに奪われたのだ。

 そうでもなければきっと、こういう事にはならない。


 ……だとすれば。


(……もしかしたらあの人も)


 きっとエイジがそうしてくれる様に、シオンもまた自身の契約精霊を助けようと動いてくれているかもしれない。

 もしそうだとすれば、今のエイジとシオンは同じような立ち位置にあるといえるだろう。


 だとすれば……それは都合のいい話かもしれないけれど、二人が協力する様な事があればなと思う。

 思い返せば、かつてアルダリアスの地下で行われた戦いはそういう形で繰り広げられた物だ。

 そういう事があって、無事エイジはエルの元に辿りつき、そしてエルはエイジの元に辿りつけた。


 だから今回も同じような事になれば……より事がうまく運んでくれる気がした。

 自分や隣りの精霊も。そしてエイジとシオン自身も。全員にとっていい結果で終われるかもしれない。


 ……ともかく。

 そういう仮説や憶測や希望をいくら立てても、今のエルには信じて待つという選択肢しか残されていない。

 ……だから今はどういう形になるかは分からないけど、とにかく無事エイジ達が助けに来てくれる事を祈る事にした。


 そうやって、それ以上の会話もなくただ時間だけが過ぎるのを待っていて、しばらくした時だ。




「ぎ……ぃ……あぐ……ッ あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!?」


 そんなけたたましい叫び声が聞こえたのは。

 ……そしてすぐに気付く。


 その声が先程連れていかれたエマの声だという事に。


 ……今、きっと最悪な何かが始まったのだ。


「エマさん……ッ!」


 まるでそういう声が響きやすくなるよう設計されている様に。

 そうやって此処にいる精霊を精神的に追いつめる様に、その声はエル達の牢にまで響き渡る。

 ……そして。


「……ッ!?」


 思わず耳を塞ごうとしたが、それはできなかった。

 それが絶妙にできないように、両手の枷を繋ぐ鎖の長さが調整してある。

 ……塞げても片耳。

 つまりはこの声が止むまで、その声を聞き続けなければならない。

 ただそこに居るだけで精神を擦り下ろされる様な、そんな空間がそこに広がっていた。



 そしてやがて、悲鳴は鳴りやんだ。

 どうやら行われていた何かが終わったらしい。

 十数分だったか数十分だったか。もしくは一時間以上だったのか。その悲鳴に耐えるのがやっとでどれだけの時間が経過していたのかは分からなかったが、とにかく終わったのだ。


 そしてその何かが終わって……その後。

 もうエマは此処には帰ってこなかった。

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